国家社会主義
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国家社会主義(こっかしゃかいしゅぎ)は、社会主義思潮の勃興する中に生れたもので、国家と社会との関係を何等かの形で均衡させるべく生れた主義主張である。しかしその思想内容は、地域的にも時間的にも相異なっており、単一の定義を下すことが難しいものとなっている。大きくはラッサール流の国家社会主義、ビスマルクの社会政策、ナチスの別称、日本に於いて誕生した国家社会主義、福祉国家的政策の通称などがある。
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[編集] ラッサールの国家社会主義
政治思想として最も一般的な国家社会主義(英state socialism、独 Staatssozialismus)は、左翼思想ないし社会主義思想の一つであり、国家権力の補助で、資本主義の労働者に対する弊害を排除しようとする立場を指す。夜警国家の命名やカール・マルクスの親友で、エンゲルスと並ぶその生活支援者として有名だった19世紀ドイツのユダヤ系左翼思想家フェルディナント・ラッサールらによって体系化された。他にロドベルトスなどもこの中に入れられる。
[編集] ビスマルクの社会政策
ラッサールらが社会主義陣営の一人であるのに対し、社会主義とは無関係に国家主導で社会政策を行うことを主張したものが、ビスマルクの国家社会主義だと評されている。これは富の過剰な部分集中を制限し、また下層社会の底上げを国家主導で行う社会政策の比喩である。その意味から、ビスマルクの国家社会主義とは社会政策を意味している。これは当時熾烈に行われたマルクスやラッサール等の社会主義陣営の興起を抑圧するために、ビスマルクが行った政策の一つであった。同様の主義主張をもったものに経済学者のワグナーがいる。
日本では戦前にビスマルク流のものも国家社会主義として説明する場合があったが、現在では学術的な意味からビスマルクを国家社会主義者に数えることは稀となっている。
[編集] 日本の国家社会主義
日本の国家社会主義(英national socialism)は、「国家社会主義」という名称の発生とともに、社会主義への対抗概念として生れたものである。見方を変えれば、当時最新の知識でもあった社会主義に危機感を覚える国粋的雰囲気を持つ人間を引きつける道具でもあった。この基本的立場として、(1)当時主流であった社会主義インターナショナルやコミンテルンなどの社会主義は民族や国家の脅威であり、(2)民族または人種に重きをおく国家社会主義を行わなければならず、また(3)国家社会主義を行わなければ国家や民族を防衛できないとする主張である。この場合の国家社会主義が何を指すかは時々の運動方針によって変化する。この主義の代表的人物に、山路愛山、高畠素之、赤松克麿、林癸未夫、近藤栄蔵、石川準十郎らがいる。また学説的に北一輝の思想も加える場合がある。
日本の国家社会主義は、名称そのものは明治時代の山路愛山に端を発するが、運動としての起点は大正時代の高畠素之に帰せられ、特に高畠独特の国家観は以後の国家社会主義運動を規定することになった。しかし山路にせよ高畠にせよ、その率いる勢力は微弱であり、世論に与える影響は殆んどなかった。
この運動が最も勢力を得たのは、満州事変から日支事変(日中戦争)の時期(昭和7年~12年)である。これは(1)「非常時」が叫ばれた当時、従来の社会主義(インターナショナリズム)は右傾化した日本の思潮にそぐわないと見なした赤松克麿らが、国家社会主義化を目指して運動方針を転換させたこと、(2)当時の代表的共産主義者であった佐野学や鍋山貞親の転向があり、彼等が国家社会主義的運動方針を提出したこととも関連して、極左陣営から国家社会主義に転向するものも現れたこと、(3)本来は反社会主義的立場でありながら社会主義に有利な情勢に抗しきれない人々が合わさったことなどの理由によるものであった。
これらの潮流は、日本国家社会党、新日本国民同盟、大日本国家社会党、勤労日本党などの政治団体を生み出した。しかし数度の統一運動の模索にもかかわらず、より日本主義(右派)に傾斜するものと、より社会主義(左派)に傾斜するものとの間に絶えず分裂があり、また人間関係内の対立なども重なり、遂に単一政治組織の結成には至らなかった。
一時期は世論を主導的に牽引した国家社会主義運動も、日支事変によって世の趨勢が日本主義的傾向を強めるに至ると、運動関係者はこぞって日本主義に傾斜して行き、国家社会主義運動そのものが消滅することになった。以後、石川準十郎を代表とする少数の人間は国家社会主義運動を続けたが、社会的に影響を与えることはなかった。結果的には、日本の国家社会主義は、社会主義から日本主義へ至るための過程を果たす役割を演ずるものであった。
[編集] その他
ナチスの「国家社会主義」(ナチズム、National Socialism、独 Nationalsozialismus)は、ナチス党が国家を支配し、社会はアーリア人によって構成されるという思想である。形態的には共産党が国家を支配する「党独裁の社会主義」のソ連型社会主義に近い。これはナチスが共産党の組織を範としたせいである。
ヒトラーは「ドイツ的資本主義」は比較的良いものだとしているが、市場そのものがコスモポリタニズムに由来することから資本主義自体には反対した。
「国家社会主義」ドイツ労働者党(ナチス党)は、「民族社会主義」ドイツ労働者党とも訳されることがあるが、アーリア人によるドイツ国家を守るという方針であり、民族的な差異に関わらぬ国民という概念を前に出すものではないので、国民社会主義という訳語よりも、国家社会主義という伝来の訳語が妥当である。しかし、この場合、ドイツ語側にはある(StaatssozialismusとNationalsozialismusとの間の)区別が、日本語ではなくなるという不都合がある。しかし、後者が反ユダヤ資本を強く打ち出していたという点を除けば、この二つが本質的には同一であり、ドイツ固有の反自由主義精神を築いていたということを知るためには、このままにしておくことにも意味がある。
民族社会主義政党は、党旗に褐色を象徴色とする事が多い。例えば、ナチ党の突撃隊は、褐色の制服を用いた事から「褐色シャツ」とも言われた。