和田岬線
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和田岬線(わだみさきせん)は、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陽本線の支線、兵庫駅~和田岬駅間の通称である。
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[編集] 概要・沿革
もともとは貨物線として建設され、1984年までは神戸市場駅などへの貨物支線も分岐していた。
かつては和田岬駅より先へ線路が伸び、三菱重工業への引込線となっていた。駅前の道路には神戸市電が通り、平面交差を避けるため市電は専用軌道の陸橋で和田岬線をオーバークロスしていた。この陸橋は市電の廃止とともに撤去され、現存しない。
また、和田岬方面から山陽本線の明石方面へ直接接続する線路の敷設計画があった。国道2号線の高架の直下、兵庫駅へのカーブが始まる付近から分岐、西進して国道28号線と山陽本線との交差の約50m西方で山陽本線に接続する計画であった。この計画は結局実現しなかったが、この線路が敷かれる予定であった敷地が道路や細長い公園(梅ヶ香公園)となっているのが、今も地図上で確認できる。さらに、山陽本線に接続する予定であった箇所は高架橋の南側が東方に向かって広がっており、計画のなごりを見ることができる。
現在は、三菱重工業神戸造船所などへの通勤の足が主要な役割となっており、朝は和田岬行き、夕方は兵庫行きが大変な混雑となる一方、それぞれ逆方向の乗客は非常に少なく、列車によっては回送同然となるが、学校が休みの時期になるといわゆる「鉄道乗りつくし」のためだけにこの区間を乗りに来る鉄道ファンが反対方向の列車に多く乗っている光景が見られる。 また、川崎重工業兵庫工場で落成した鉄道車両の輸送にも使われている。2003年からは、和田岬駅近くにオープンした神戸ウイングスタジアムへの観客輸送も担っている(2002年のワールドカップでは、神戸ウイングスタジアムも会場となったが、このときは、応援する国別にサポーターを分離し、一方を御崎公園駅に、他方を兵庫駅に徒歩で誘導したうえ、和田岬線は通常運行さえも中止し全面運休となった)。
和田岬線は、JR線では最後まで定期列車に旧型客車を使用していたことで知られる。また、全ての駅でホームが進行方向右手(和田岬行きの場合)である上、乗車時間が10分未満のため、客車時代はホーム側の車両中央に引戸式のドアを増設して座席をほとんど撤去した車両(オハ64・オハフ64)を、また気動車時代はホームとは反対側のドアを一部撤去した車両(キハ35・キクハ35の各300番台)を使用していた。いずれも、短時間の通勤輸送に特化した専用の車両であり、他に例のないものであった。これらは鷹取工場を車両基地としていた。
2001年の電化後は、他線と同じくドアが両側についた車両を使用している。基本的に、網干総合車両所明石支所の103系6両編成を使用しているが、1編成しかないため、検査などで運用を離れると、普段JR京都線・JR神戸線などで使用している201系からサハ1両をはずして6両編成で使用したり、207系を3・4両編成単独か、3両編成2本で使用する(205系だけは4編成しかなかったため、和田岬線の運用に入ったことはない)。
また、途中の兵庫運河を渡る鉄橋は、運河を利用する船舶の航行のため、日本国内の鉄道用としては非常に珍しい旋回橋である。ただし現在は固定されており、動くことはない。
和田岬線には中間駅がないため、利用者は100%、兵庫駅と和田岬駅を行き来する人である。そのため、現在の和田岬駅には券売機も改札機もなく、代わりに兵庫駅構内(JR神戸線コンコースと和田岬線コンコースの渡り口)にこれらが設置されている。なお、この改札口は、和田岬線が運行する時間帯(下記「運行形態」参照)のみ利用できる。この分岐駅で集改札と終端駅発着の乗車券等を発売する方式は東武大師線、名鉄築港線でも見られる。
余談であるが、和田岬線は日中列車の運行がないため、電化工事も昼間と終列車後に行うことができ、僅か3ヶ月ほどで工事が完了した。
[編集] 運行形態
原則、朝と夕方以降だけの運転で昼間時間帯の運転はない。しかも休日は朝夕各1往復のわずか計2往復だけの運転である。ただし、神戸ウイングスタジアムでの試合やイベントによっては、臨時列車を運行することもある。
和田岬線は需要の多い時間帯のみ運行する路線ゆえ、JR西日本屈指の黒字路線である。かつて、神戸市の中心地三宮と和田岬を直結する神戸市営地下鉄海岸線が2001年に開業するのにあわせ、JR和田岬線は廃止されるといううわさもあったが、JR西日本は電化させたうえで存続させた。黒字路線であったことが、存続に加え電化につながった可能性は十分あると考えられる。だとすれば、JR西日本がいかに和田岬線を重視しているかがうかがえる。
車両の回送に際しては、兵庫駅の和田岬線ホームと鷹取駅の間に設けられた小運転線を用いる。この小運転線は平日昼間には訓練線として使用されている。また、西明石~鷹取間は、網干総合車両所明石支所を出場後に西明石駅から大久保駅まで下り、折り返して西明石から列車線を走って鷹取駅の小運転線へと入る。
[編集] 歴史
和田岬線は、1888年に山陽鉄道が兵庫~姫路間建設時の輸入資材を兵庫港に陸揚げ後、輸送するために敷設され、資材輸送終了後の1890年に貨物線として開業した。
- 1890年(明治23年)7月8日 山陽鉄道が貨物線として兵庫~和田崎(現在の和田岬)間を開業。
- 1906年(明治39年)12月1日 国有化。
- 1911年(明治44年)11月1日 旅客営業開始。
- 1912年(明治45年)4月16日 兵庫~和田岬間に鐘紡前駅開業。
- 第二次世界大戦中に鐘紡前駅休止。
- 1962年(昭和37年)3月1日 鐘紡前駅廃止。
- 1980年(昭和55年)10月1日 兵庫~和田岬間の貨物営業を廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道に継承。
- 1990年(平成2年)10月1日 客車から気動車(キハ35系)に置き換え。
- 2001年(平成13年)7月1日 電化。電車(103系)に置き換え。
[編集] 駅一覧
客扱いをする中間駅として1962年まで「鐘紡前駅(かねぼうまえ)」という駅が存在した。駅名は付近に鐘淵紡績(現在のカネボウ)の工場があったことに由来する。
駅名 | 営業キロ | 接続路線 | 所在地 |
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兵庫駅 | 0.0 | 西日本旅客鉄道:山陽本線(JR神戸線) | 兵庫県神戸市兵庫区 |
和田岬駅 | 2.7 | 神戸市営地下鉄:海岸線 |