刈屋富士雄
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刈屋 富士雄(かりや ふじお 1960年4月3日 - )は、NHKのチーフアナウンサー(課長級)。静岡県出身。静岡県立御殿場南高等学校、早稲田大学社会科学部卒業。1983年入局。初任地はNHK福井放送局。ニュースの他に、大相撲などスポーツ中継を担当する(2005年大相撲九州場所は同時期に行われたフィギュアスケートの中継を担当する関係で大相撲中継は担当しなかったものの、「大相撲・幕内の全取組」の案内役を担当した)。過去には教育・教養番組の司会なども担当していた。2006年6月よりNHK福岡放送局で勤務。今や藤井康生アナウンサーと並び、NHKの看板スポーツアナの一人である。
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[編集] エピソード
- 2006年(平成18年)大相撲初場所8日目東の花道のリポーターを務めた際、勢い余って土俵外に落ちた力士に観客の女性が下敷きにされたが、その際「おばあちゃんが下敷きに」「声をかけられているおばあちゃんがその人です」等と「おばあちゃん」を連呼し、同日ゲストとして呼ばれていたデーモン小暮閣下に「ご婦人と言ったほうがいいですよ」と訂正されてしまう。放送中にアナウンサーがタレントに言葉遣いを直されるという、いささか恥ずかしい光景を繰り広げてしまった。
- 福岡放送局では、『情報ワイド福岡いちばん星』においてその日の福岡県出身関取の情報を提供している。番組初登板となった2006年(平成18年)名古屋場所2日目では、山下信アナウンサーから刈屋アナの紹介がなされた。
- なお、番組コーナー内では刈屋アナ自身の解説・感想も述べられる。普段は平等かつ冷静な実況スタイルで知られるが、コーナー内ではあくまで福岡出身の関取贔屓である。
- 報告者紹介テロップでは最初は写真が使われたが、すぐに似顔絵に変更された。番組にちなんだ「いちばん星!」のポーズである。
- トリノオリンピックではフィギュアスケート(ペアと女子シングル)、バイアスロン(女子7.5kmスプリント)、女子カーリング(カナダ戦、スウェーデン戦、イギリス戦の3試合)の実況を担当したが、カーリングの実況の際、女子日本代表の本橋麻里選手の事を、実況を担当した対戦国の放送局に対して「本橋選手の事をマリリンと紹介してください!」と懇願した。なお、マリリンは本橋選手の愛称である。また、本人も「ご存知マリリン」、「マリリンショット」などと本橋選手が出てくるたびに実況を行い、小野寺歩選手が林弓枝選手に「(コース)見える〜?」という声に対して「(解説の小林氏に向かって)見えますよね?…思わず私が応えてしまいました」と実況をした。 なお、「マリリン」の呼称に固執したのはマイナー競技であるカーリングに注目して貰う意図もあり、実際彼の実況で興味を引かれ、見始めると競技の内容にすっかり引き込まれた、という人も多い。
[編集] ミスターゴールドメダルアナウンサー
- 以下のような事から一部の視聴者からはMr.GOLD MEDALアナウンサーと呼ばれている。
- 2004年夏のアテネオリンピック体操男子団体の中継で、最後に日本のエース冨田洋之が着地する直前、自局の大会放送テーマソングである、ゆずの「栄光の架橋」を踏まえて「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架橋だ!」と絶叫。冨田が着地に成功して日本が逆転優勝を決めるとさらに、「体操日本、日はまた昇りました」、「小西さん、どうぞ泣いてください。小西さんの目から大粒の涙が…」(小西さんとは解説者の小西裕之=1988年ソウルオリンピック体操男子団体銅メダリスト)といった名言を放った。日本のメダルラッシュに沸いたこの大会を象徴する体操の復活劇を盛り上げた名実況が話題となった。これ以後、相撲の実況等でも「架け橋」という単語を使用するようになった。この年の第55回NHK紅白歌合戦でもゆずの「栄光の架橋」の曲紹介を、体操男子団体と一緒に「白組、栄光への架け橋だ!」と名調子で紹介していた。なお、アテネオリンピック体操男子団体の中継の放送原稿はNHK放送博物館に展示されている。
- フィギュアスケートの実況は1994年のNHK杯国際フィギュアスケート競技大会から、長野オリンピック、ソルトレイクシティオリンピックでも担当した同種目の第一人者。演技中は実況や解説を抑え、視聴者にじっくりと選手1人1人の “ワールド”を体感させる巧みなテクニックで進行。トリノオリンピックの女子フィギュアスケートでは、最終滑走のイリーナ・スルツカヤの得点が出て、荒川静香選手がショートプログラムの3位からフリーで大逆転、金メダルが決定した瞬間「トリノのオリンピックの女神は、荒川静香にキスをしました!」と実況、始めは落ち着いたトーンから徐々に興奮気味に述べていた。9年間にわたり、紆余曲折もあった荒川を見続けてきたという本人曰く「最後の公式練習の時、トリノオリンピックの女神が荒川さんを指名するイメージが浮かび、その通りになって感動しています」。アテネに続きトリノでも再び感動的な実況で多くの心を動かした。日本勢が全体として低迷したこの大会で、唯一のメダル、それも金メダルを獲得する競技の実況を担当したことで、アテネに続き話題を呼んだ。
[編集] 現在の出演番組
スポーツ中継
[編集] 外部リンク
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