ソルトレイクシティオリンピック
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ソルトレイクシティオリンピック | |
開催都市 | アメリカユタ州ソルトレイクシティ |
参加国・地域数 | 78 |
参加人数 | 2,527 |
競技種目数 | 7競技78種目 |
開会式 | 2002年2月8日 |
閉会式 | 2002年2月24日 |
開会宣言 | ジョージ・W・ブッシュ大統領 |
選手宣誓 | ジム・シェイ |
審判宣誓 | Allen Church |
最終聖火ランナー | 1980年のアメリカ・アイスホッケーチーム (主将:マイク・エルジオン) |
主競技場 | ライス・エクルズ・スタジアム |
ソルトレークシティオリンピック(XIX Olympic Winter Games in SALT LAKE)は、2002年2月8日から2月24日までアメリカ合衆国のソルトレイクシティで行われた21世紀初の冬季オリンピック。前々回のリレハンメルが冬季五輪開催地で最も北、前回の長野が冬季五輪開催地で最も南だったのに対して今回のソルトレイクシティは冬季五輪開催地としては最も標高の高い都市での大会として話題を呼んだ。
テーマ(キャッチフレーズ)は、"Light the Fire Within."(心に火を灯せ)。同名のテーマ曲をデヴィッド・フォスターが作曲、カントリー歌手のリアン・ライムスが開会式で披露した。78カ国・地域、2,527人が参加。
目次 |
[編集] 開催招致まで
1995年に行われたIOC総会で1回目の投票で開催が決定した。ソルトレイクシティでのオリンピック招致は、1932年、1972年、1992年、1998年の大会に立候補したが、落選した。特に、1998年のオリンピックでは決選投票で長野に敗れた。
2002年冬季オリンピック開催地投票 | |||||
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都市 | 国 | 1回目 | |||
ソルトレークシティ | アメリカ合衆国 | 54 | |||
シオン | スイス | 14 | |||
エステルスンド | スウェーデン | 14 | |||
ケベック | カナダ | 7 |
[編集] ハイライト
冬季・夏季通して21世紀最初のオリンピックは、テロを警戒する厳重な警備体制の中開催された。
開会式では、前年の9月11日に起きた同時多発テロの中心地、ニューヨーク世界貿易センタービルの跡地から発見したアメリカ国旗が入場。アメリカスケルトン代表のジム・シェイ選手による選手宣誓、そして、1980年レークプラシッド男子アイスホッケー優勝のアメリカチームによる聖火の点火が行われた。
ショートトラックスピードスケート男子1000mの決勝で、選手が次々と転倒する中、オーストラリアのスティーブン・ブラッドバリーが、南半球勢として初の冬季オリンピック金メダルを獲得した。
日本勢は地元開催だった長野オリンピックに比べて不振で、金メダルは1個も獲得できず、全体でも男子スピードスケート500m・清水宏保選手の銀、女子モーグル・里谷多英選手の銅、と長野の金メダリストが獲得した2個にとどまった。得意のはずのジャンプは団体で5位入賞止まり。期待されていたカーリングも初戦から7連敗して早々と予選落ちが決まり、最終的には2勝7敗の8位に終わった。
[編集] 実施競技
各競技の詳細については、それぞれの競技のリンク先を参照のこと。
[編集] 各国・地域の獲得メダル数
順位 | 国 | 金 | 銀 | 銅 | 計 |
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1 | ノルウェー | 13 | 5 | 7 | 25 |
2 | ドイツ | 12 | 16 | 8 | 36 |
3 | アメリカ合衆国 | 10 | 13 | 11 | 34 |
4 | カナダ | 7 | 3 | 7 | 17 |
5 | ロシア | 5 | 4 | 4 | 13 |
6 | フランス | 4 | 5 | 2 | 11 |
7 | イタリア | 4 | 4 | 5 | 13 |
8 | フィンランド | 4 | 2 | 1 | 7 |
9 | オランダ | 3 | 5 | 0 | 8 |
10 | オーストリア | 3 | 4 | 10 | 17 |
詳細はこちらを参照。 |
[編集] オリンピック中に起きた様々なトラブル
- フィギュアスケート・ペアの審判買収という八百長事件が発覚し、2組に金メダルを授与する事態になった。また大会終盤になってアルペン、クロスカントリーの選手がドーピングで大量失格になるといったこともあった。また、ショートトラックで1位ゴールした韓国の金東聖が進路妨害とされ失格の判定を受けて繰上げで金メダルを取ったのがアメリカのアポロ・アントン・オーノになったり、アメリカびいきと見られる判定も多く見られた。
- アメリカ寄りと見られた判定が目立ったことなどから、リンカーンの演説をもじった、「アメリカの、アメリカによる、アメリカのための五輪」と揶揄されることもあった。このため多くの国が判定に不満を持つなどして閉会式をボイコットした。[要出典] 開会式で掲揚された世界貿易センタービルの残骸から出てきた星条旗が、ある意味でこの大会のアメリカの政治利用という負の面を象徴しているかもしれない。聖火台点灯を行なったレイクプラシッドオリンピック代表アイスホッケーチームもソビエト連邦のアフガニスタン侵攻直後に米ソの対決で勝ったことから政治的に利用したと考える向きもある。
- 開会式のブッシュ大統領の開会宣言は、本来ならば、オリンピック憲章第69条の規定で定められている「私は、第○回近代オリンピアード(若しくはオリンピック)競技大会の開会を宣言する」とするところをブッシュ大統領は宣言の前に「誇り高く、優雅なこの国を代表して」と政治的色彩のある言葉を付け加え、IOC副会長が批判するなど各方面で反発を招いた。因みに憲章で定められている開会宣言の規定を破ったのはブッシュ大統領が初めてである。
- また前年の同時多発テロの影響による厳しすぎる警備とそれに伴う交通渋滞、ソルトレークシティが飲酒を禁忌するモルモン教の聖地であるためにアルコールを提供する飲食店が高級ホテルのレストランなどごく一部に限られていていたことも、大会関係者や報道陣のストレスを増幅させる原因の1つとなった。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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オリンピック競技 • メダル獲得数 • NOCコード メダリスト • シンボル |
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夏季オリンピック:1896, 1900, 1904, 1906¹, 1908, 1912, (1916)², 1920, 1924, 1928, 1932, 1936, (1940)², (1944)², 1948, 1952, 1956, 1960, 1964, 1968, 1972, 1976, 1980, 1984, 1988, 1992, 1996, 2000, 2004, 2008, 2012, 2016, 2020 | |||||
冬季オリンピック:1924, 1928, 1932, 1936, (1940)², (1944)², 1948, 1952, 1956, 1960, 1964, 1968, 1972, 1976, 1980, 1984, 1988, 1992, 1994, 1998, 2002, 2006, 2010, 2014, 2018 | |||||
¹IOC非公認大会 ²戦争のため中止 |