ロバート・デ・ニーロ
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ロバート・デ・ニーロ(Robert De Niro, Jr.、1943年8月17日 - )は、アメリカ合衆国出身のイタリア系俳優。二度のアカデミー賞受賞を誇り、過剰なまでの役作り(詳細は後述)は多くの俳優に強烈な影響を与える現代映画界最高の俳優の一人である。
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[編集] プロフィール
ニューヨーク出身。父親のロバート・デ・ニーロ=シニアは画家。2歳の頃に両親が離婚し、母親の元で育てられた。少年時代から演技に憧れ、名門アクターズ・スタジオに入門した。一時期ヨーロッパに出向き、各国を渡り歩きながら演技の修行をしていたこともあった。
まだ俳優として無名だった頃は、同じく無名監督であったブライアン・デ・パルマ監督とコンビを組んでいた。その後、『ゴッド・ファーザー』のソニー役のオーディションを受けるも、落選。その演技力をフランシス・フォード・コッポラ監督に買われて、続く『PART II』では若きドン・ヴィト・コルレオーネを演じ、人気を得る。その際デ・ニーロは、わざわざシチリアまで赴いてイタリア語を完璧にマスターした後、マーロン・ブランドのしゃがれ声を真似るために必死の練習をしたという。
出世作である『ゴッドファーザーPART II』をはじめ、『タクシードライバー』、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』、『アンタッチャブル』、『グッドフェローズ』、『カジノ』など犯罪映画の顔的存在であるが、本来はアクターズ・スタジオ出身の演技派であり1980年代半ばから出演するようになったコメディ映画などでも成功を収め、幅広い演技力を見せている。『レイジング・ブル』でアカデミー主演男優賞、『ゴッドファーザーPART II』でアカデミー助演男優賞を受賞。
1988年には、ジェーン・ローゼンタールと共同で、プロダクション「トライベッカ (トライベッカフィルムセンター)」を設立。初監督となった1993年の『ブロンクス物語』など、プロデューサーとしても活躍している。
『レイジング・ブル』では体を鍛え上げボクサー役を演じた後、老いた主人公を演じるために体重を20キロ増やしたり、『アンタッチャブル』では頭髪を抜くなど、徹底した役作りは有名でこのような取り組みを示す「デニーロ・アプローチ」という造語もある。
その演技はまさに変幻自在。どのような役であろうと事前の徹底したリサーチの基に、完璧な演技を観客に見せつける。『レナードの朝』での患者役は、実際の関係者が驚くほど役にはまり込んでいた。また、その演技力ゆえか、脇役で映画に登場した際は、その怪演で主役を完全に喰ってしまうことが多々ある(『バックドラフト』、『アンタッチャブル』など)。
映画以外では表立った活動を避け、マナーを欠いたマスコミの対応は嫌悪する。無許可で撮影した場合などは不快感をあらわにしている。
2005年にイタリアのベルルスコーニ首相が彼を「著名なイタリア系移民」として表彰しようとしたが、一部市民団体から『ゴッドファーザー』などで「イタリア=マフィア」のマイナスイメージを植え付けた人物として批判され、表彰は沙汰止みとなった。
日本語吹き替えの声優は、津嘉山正種や池田勝などが担当している。
[編集] 逸話
上述の通り、デ・ニーロは役に成りきるための努力を惜しまない。その例を挙げる。
- 『ゴッドファーザーPART2』では、シチリアに住んで、イタリア語をマスターした後に、マーロン・ブランドのしゃがれ声を必死にまねした。
- 『タクシードライバー』では実際に3週間、ニューヨークでタクシードライバーとして働いた。
- 『ディア・ハンター』では、物語の舞台となったピッツバーグに撮影数ヶ月前から偽名で暮らしていた。さらに鉄工所で働こうとしたが、現地の人に拒否されたという。また、この映画のヒロインであるメリル・ストリープの婚約者だったジョン・カザールが癌のために製作側から降板させられそうになったのを、ストリープや監督のマイケル・チミノとともに「彼を降ろすなら、俺も降りる」といって、カザールに役を続行させた。
- 『レイジング・ブル』では周知の通り、体重を20キロも増やして役に臨んだ。体重を増やすためにデ・ニーロは、イタリアに赴いて、現地のあらゆるレストランを食べ回った。
- 『アンタッチャブル』では実際に頭髪を抜いて、アル・カポネを怪演した。体重は直後に映画出演が決まっていたので、太るわけにもいかず、ボディスーツを着用した。だが、顔だけは太らせて撮影に挑んだ。
- 『ミッドナイト・ラン』では監督、マーティン・ブレストと共に実際の賞金稼ぎと行動し、捕獲の瞬間、張り込み、捜査の方法などを経験した。
[編集] 出演作品
- マンハッタンの哀愁 Trois chambres à Manhattan (1965)
- ロバート・デ・ニーロのブルーマンハッタン/BLUE MANHATAN2・黄昏のニューヨーク Greetings (1968)
- 血まみれギャングママ Bloody Mama (1970)
- ロバート・デ・ニーロのブルーマンハッタン/BLUE MANHATAN1・哀愁の摩天楼 Hi,Mom! (1970)
- ミーン・ストリート Mean Streets (1973)
- ゴッドファーザーPART II The Godfather: Part II (1974)
- ラスト・タイクーン The Last Tycoon (1976)
- タクシードライバー Taxi Driver (1976)
- 1900年 1900 (1976)
- ニューヨーク・ニューヨーク New York, New York (1977)
- ディア・ハンター The Deer Hunter (1978)
- レイジング・ブル Rasing Bull (1980)
- キング・オブ・コメディ The King of Comedy, mit Jerry Lewis (1983)
- ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ Once Upon a Time in America (1984)
- 恋におちて Falling in Love (1984)
- 未来世紀ブラジル Brazil (1985)
- ミッション THe Mission (1986)
- エンゼル・ハート Angel Heart (1987)
- アンタッチャブル The Untouchable (1987)
- ミッドナイト・ラン Midnight Run (1988)
- 俺たちは天使じゃない We're No Angels (1989)
- グッドフェローズ Goodfellas (1990)
- レナードの朝 Awakenings (1990)
- 真実の瞬間 Guilty by Suspicion' (1991)
- バックドラフト Backdraft (1991)
- ケープ・フィアー Cape Fear (1991)
- ボーイズ・ライフ This Boy's Life (1993)
- ブロンクス物語/愛につつまれた街 A Bronx Tale (1993) 監督・製作も
- フランケンシュタイン Frankenstein (1994)
- 百一夜 Les Cent et une nuits de Simon Cinéma (1994)
- カジノ Casino (1995)
- ヒート Heat (1995)
- ザ・ファン The Fan (1995)
- スリーパーズ Sleepers (1996)
- マイ・ルーム Marvin's Room (1996)
- ウワサの真相/ワグ・ザ・ドッグ Wag the Dog (1997)
- ジャッキー・ブラウン Jackie Brown (1997)
- 大いなる遺産 Great Expectations (1998)
- RONIN Ronin (1998)
- アナライズ・ミー Analyze This (1999)
- フローレス Flawless (1999)
- ザ・ダイバー Men of Honor (2000)
- ミート・ザ・ペアレンツ Meet the Parents (2000)
- 15ミニッツ 15 Minutes (2001)
- スコア The Score (2001)
- アナライズ・ユー Analyze That (2002)
- シャーク・テイル Shark Tale (2004) 声
- ミート・ザ・ペアレンツ2 Meet the Fockers (2004)
- ハイド・アンド・シーク 暗闇のかくれんぼ Hide and Seek (2005)
[編集] プロデュース作品
- ウィズアウト・ユー Entropy (1999)
- アバウト・ア・ボーイ About a Boy (2002)
- レント Rent (2005)
[編集] トライベッカ
生まれ育ったマンハッタンのトライベッカ地域に特に愛着を持ち、共同で設立したプロダクションにもその名を使い、アメリカ同時多発テロで被害を受けた復興のためにトライベッカ映画祭を主催するほか、「トライベッカ・グリル」や「ノブ」などのレストランを経営する。
[編集] 関連項目
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