マーク・ノールズ
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マーク・ノールズ(Mark Knowles, 1971年9月4日 - )は、バハマ・ナッソー出身の男子プロテニス選手。ダブルスのスペシャリストとして知られ、長年の間カナダのダニエル・ネスターとペアを組んで活躍している。ATPツアーでシングルスの優勝はないが、ダブルスで43勝を挙げている。自己最高ランキングはシングルス96位、ダブルス1位。身長190cm、体重88kg、右利き。
バハマ諸島が男子テニス国別対抗戦・デビスカップに初参加したのは1989年のことであったが、マーク・ノールズは初参加の時からずっとバハマ代表選手として活躍し、2003年までデ杯通算「39勝32敗」(シングルス23勝25敗、ダブルス16勝7敗)を記録した。1990年から1992年までは学生テニス選手としてカリフォルニア大学ロサンゼルス校に在籍し、1992年からプロテニス選手として活動を始める。オリンピックのバハマ代表選手としては、1996年アトランタ五輪、2000年シドニー五輪、2004年アテネ五輪の3度出場経験を持つ。1996年のアトランタ五輪ではシングルスとダブルスの両方に出場し、シングルスは1回戦敗退に終わったが、ロジャー・スミスとのダブルスでクロアチアとの2回戦に進出した。後の2回はマーク・メルクライン(Mark Merklein)と組んだダブルスのみの出場で、シドニーでは南アフリカペアとの準々決勝まで進んだが、アテネでは(金メダルを獲得した)チリのニコラス・マスー&フェルナンド・ゴンザレス組に1回戦で敗れている。
マーク・ノールズのダブルス初優勝は、1993年7月末にカナダ・モントリオールで開かれた大会で、パートナーは当時世界ランキング2位のジム・クーリエであった。1995年の全豪オープンでダニエル・ネスターとペアを組み、初めて4大大会の男子ダブルス決勝に進出したが、ジャレッド・パーマーとリッチー・レネバーグ(ともにアメリカ)に敗れて準優勝になった。それ以来、ノールズはほとんどの大会でネスターとペアを組むことが多くなる。1995年は日本の「ジャパン・オープン」で優勝しているが、この時はアメリカのジョナサン・スタークと組んで出場した。しかし1996年の同大会では、アメリカのリック・リーチと組みながらも、決勝でオーストラリアの強豪ペア、マーク・ウッドフォード&トッド・ウッドブリッジ組に完敗している。1998年はネスターとのペアで、全仏オープンと全米オープン準優勝があり、なかなか4大大会ダブルス初優勝に手が届かなかった。ノールズとネスターがようやく宿願を実現させたのは、2002年の全豪オープンであった。フランスのミカエル・ロドラとファブリス・サントロ組を 7-6, 6-3 で破った優勝は、初めての男子ダブルス決勝進出から7年後の長い道のりだった。こうしてノールズは、バハマに初めてのテニス4大大会タイトルをもたらした選手になった。同年には全仏オープンとウィンブルドンでもネスターとのペアで決勝に進出したが、全仏ではエフゲニー・カフェルニコフとポール・ハーフース(オランダ)の組に、ウィンブルドンではトッド・ウッドブリッジとヨナス・ビョークマン(スウェーデン)の組に敗れて準優勝にとどまる。2003年の全豪オープン男子ダブルス決勝では、前年と同じフランスのロドラ&サントロ組に敗れ、大会2連覇を逃した。2004年の全米オープンで、ノールズとネスターの組は4大大会ダブルス2勝目を達成する。2006年度も2人のペアは男子テニスツアーのダブルスで年間4勝を挙げ、長年にわたって強さを維持してきた。
シングルスでは2000年まで本格的な戦歴があるが、2001年から2003年まではバハマ国内の小規模なトーナメントのみに出場し、2004年以後は活動をダブルスのみに絞っている。