ファブリス・サントロ
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ファブリス・サントロ(Fabrice Santoro, 1972年12月9日 - )は、フランスの男子プロテニス選手。タヒチ島生まれ。これまでにATPツアーでシングルス4勝、ダブルス22勝を挙げる。自己最高ランキングはシングルス17位、ダブルス6位。身長177cm、体重74kg、右利き。フォアハンド・ストローク、バックハンド・ストロークとも両手打ちの選手。フルネームは Fabrice Vetea Santoro (ファブリス・ベテア・サントロ)という。
1989年にプロ入り。1991年に初めて男子テニス国別対抗戦・デビスカップのフランス代表選手に起用され、「ワールドグループ」準決勝のユーゴスラビア戦でシングルス2試合に勝利を収めた。この年は地元の全仏オープンでも活躍し、ドイツのミヒャエル・シュティヒとの4回戦まで進出する。1992年のバルセロナ五輪で、サントロはいきなり男子シングルス3回戦でボリス・ベッカーを破り、準々決勝で当年度のウィンブルドン準優勝者ゴラン・イワニセビッチに 7-6, 7-6, 4-6, 4-6, 6-8 の逆転で敗れた。しかし、その後に長期間の低迷期が訪れ、1993年の全仏オープン1回戦では日本の松岡修造に敗れたこともある。ようやく1997年10月、サントロは24歳にしてフランス・リヨン大会でATPツアーのシングルス初優勝を果たし、決勝でドイツのトミー・ハースを破った。それ以来、サントロはシングルスで通算4勝を挙げている。1998年はダブルスで好成績を挙げ、年間4勝を記録した。
2002年の全豪オープンで、ファブリス・サントロは8歳年下のフランス人選手ミカエル・ロドラとペアを組み、初めて4大大会の男子ダブルス決勝に進出した。その決勝戦ではダニエル・ネスター(カナダ)&マーク・ノールズ(バハマ)組に 6-7, 3-6 で敗れたが、これをきっかけにサントロはロドラとダブルスを組むことが多くなり、全豪オープンでは2004年まで3年連続で決勝に進出した。2003年の全豪ダブルス決勝で、サントロとロドラの組は前年と同じネスター&ノールズ組を 6-4, 3-6, 6-3 で破り、4大大会ダブルス初優勝を飾る。2004年はアメリカのボブ・ブライアンとマイク・ブライアンの「ブライアン兄弟」を 7-6, 6-3 で破り、全豪ダブルス2連覇を達成した。この年は続く全仏オープンでも初の決勝に進出したが、ベルギーのオリビエ・ロクス&ザビエル・マリッセ組に 5-7, 5-7 で敗れ、地元の大会で優勝を逃した。2005年の全仏オープンで、サントロは混合ダブルスでスロバキアのダニエラ・ハンチュコワとペアを組み、決勝でリアンダー・パエス(インド)&マルチナ・ナブラチロワ組を 3-6, 6-3, 6-2 で破り、4大大会の混合ダブルス部門で初優勝を飾った。
サントロはオリンピックのフランス代表選手としても、1992年バルセロナ五輪、2000年シドニー五輪と2004年アテネ五輪の3度出場経験がある。2000年9月後半のシドニー五輪では、男子シングルス1回戦で全米オープン優勝者のマラト・サフィンを破ったが、3回戦で敗退する。アテネ五輪ではシングルスと男子ダブルスの両部門に出場し、シングルスでは2回戦でスペインのトミー・ロブレドに敗れ、ロドラと組んだダブルスでは準々決勝でクロアチア代表のマリオ・アンチッチ&イワン・リュビチッチ組に 6-4, 3-6, 7-9 の激戦で敗れた。
2004年の全仏オープン1回戦で、ファブリス・サントロは同じフランスのアルノー・クレマンと「テニス史上最長試合」を繰り広げたことで大きな話題を呼んだ。この試合は2日がかりの「6時間33分」を要し、サントロが 6-4, 6-3, 6-7, 3-6, 16-14 のスコアでクレマンを破って初戦を突破した。この後サントロは3回戦まで勝ち進んでいる。2006年の全豪オープンで、サントロは33歳にして初めて4大大会シングルスで自己最高の準々決勝に進出したが、アルゼンチンのダビド・ナルバンディアンに 5-7, 0-6, 0-6 で完敗した。
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