ヨナス・ビョークマン
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ヨナス・ビョークマン(Jonas Björkman, 1972年3月23日 - )は、スウェーデン・バクショ出身の男子プロテニス選手。フルネームは Jonas Lars Bjorkman (ヨナス・ラース・ビョークマン)という。長年にわたり、スウェーデンの男子プロテニス界を支えてきたベテラン選手のひとりである。ダブルスの名手として、すべての4大大会で男子ダブルスのタイトルを獲得した数少ない選手のひとりに数えられ、通算「9勝」を挙げる。自己最高ランキングはシングルス4位、ダブルス1位。これまでにATPツアーでシングルス6勝、ダブルス47勝を挙げている。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
6歳からテニスを始め、1991年にプロ入り。1993年に男子テニスツアー下部組織の大会を回っていた頃、4月に名古屋で行われたトーナメントでパトリック・ラフターを破って優勝したことがある。同年の全米オープンで、4大大会に初出場を果たす。1994年から男子テニス国別対抗戦・デビスカップのスウェーデン代表選手となり、それ以来1994年、1997年、1998年の3度スウェーデン・チームのデ杯優勝に貢献した。デ杯初優勝を飾った1994年は、全米オープンの男子シングルスでミヒャエル・シュティヒとの準々決勝に進出している。1996年のアトランタ五輪にスウェーデン代表選手として初出場したが、シングルス・ダブルスとも1回戦で敗退した。
1997年にヨナス・ビョークマンはシングルスで初優勝を果たし、この年に年間3勝を挙げた。同年の全米オープンベスト4進出が、ビョークマンの4大大会シングルスでの自己最高成績である。この準決勝では、イギリスのグレグ・ルゼドスキーに 1-6, 6-3, 6-3, 3-6, 5-7 のフルセットで惜敗した。1998年の全豪オープンで、ビョークマンはヤッコ・エルティン(オランダ)とペアを組み、男子ダブルス決勝でトッド・ウッドブリッジ&マーク・ウッドフォード組(ともにオーストラリア、「ウッディーズ」“Woodies”という愛称で呼ばれる)を破り、4大大会ダブルス初優勝を飾った。1997年と1998年の2年間、ビョークマンはデビスカップでもスウェーデン・チームの2連覇に貢献し、自身3度の優勝を成し遂げた。1999年の全豪オープン男子ダブルスでは、パトリック・ラフターとペアを組んで2連覇を達成したが、この時はインドのマヘシュ・ブパシ&リアンダー・パエス組に 6-3, 4-6, 6-4, 6-7, 6-4 に競り勝っている。2001年の全豪オープン男子ダブルスでは、トッド・ウッドブリッジとのペアで2年ぶり3度目の優勝を飾った。
ビョークマンとウッドブリッジのペアは、2002年から2004年にかけてウィンブルドン男子ダブルス「3連覇」の偉業も達成している。2003年には全米オープンでも、ウッドブリッジとのペアでダブルス初優勝を果たし、6年前にシングルス決勝進出を逃した全米オープンで、ダブルスの頂点に立った。そしてついに、2005年の全仏オープン男子ダブルスにおいて、ビョークマンはすべての4大大会で男子ダブルスのタイトルを獲得した選手に名前を連ねる。パートナーはベラルーシのマックス・ミールヌイと組み、アメリカのマイク・ブライアンとボブ・ブライアン(双子の兄弟のペア)を 2-6, 6-1, 6-4 の逆転で破った。2006年の全仏オープン男子ダブルスでもミールヌイと組み、ブライアン兄弟のペアを破って2連覇を達成した。
1996年にステファン・エドベリが引退した後、スウェーデンのテニス界は往年の輝きを取り戻せない苦悩が続いているが、ビョークマンは同世代のトーマス・エンクビストやトーマス・ヨハンソンらと並んで故国のために奮闘してきた選手の1人である。
[編集] 4大大会ダブルス優勝
- 全豪オープン:3勝(1998年、1999年、2001年)
- 全仏オープン:2勝(2005年、2006年)
- ウィンブルドン:3勝(2002年-2004年) [大会3連覇]
- 全米オープン:1勝(2003年)