エフゲニー・カフェルニコフ
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男子 テニス | ||
金 | 2000 | シングルス |
エフゲニー・カフェルニコフ(Yevgeny Aleksandrovich Kafelnikov,Евгений Кафельников, 外国人名の日本語表記に即したより正確な読みは、ィエヴゲーニー・カーフェリニコフ 1974年2月18日 - )は、ロシア・ソチ出身の男子プロテニス選手。強力なストロークを軸とするオールラウンド・プレーヤーで、ハードコート、クレーコート、芝生コートのすべてのサーフェスを得意とした。ATPツアーでシングルス26勝、ダブルス27勝を挙げた。自己最高ランキングはシングルス1位、ダブルス4位。
1992年にプロ転向。1994年にツアーでシングルス3勝、ダブルス4勝を記録し、その頃から急成長を始める。1996年の全仏オープンで4大大会初優勝。決勝戦でドイツのミヒャエル・シュティヒをストレートで破り、ロシア人のプロテニス選手として最初の4大大会優勝者に輝いた。1999年の全豪オープン決勝戦でトーマス・エンクビスト(スウェーデン)を破り、4大大会シングルスで2勝目を挙げた。しかし翌2000年の全豪オープン決勝でアンドレ・アガシに敗れ、大会2連覇を逃した。2000年のシドニー五輪で男子シングルスの金メダルを獲得した時は、決勝でドイツ代表のトミー・ハースを 7-6, 3-6, 6-2, 4-6, 6-3 のフルセットで破っている。
カフェルニコフはダブルスでの活躍も目覚ましく、1996年、1997年、2002年の全仏オープン、1997年に全米オープンの男子ダブルスで優勝し、通算「4勝」を挙げた。最も相性の合うパートナーはダニエル・バチェク(チェコ)で、最初の3勝はバチェクとのペアで獲得したものである。それから5年後、2002年の全仏オープン男子ダブルスではオランダのベテラン選手、ポール・ハーフースと組んで3度目の優勝を飾った。しかし、現役最後の年となった2003年の全仏オープン男子ダブルスで、カフェルニコフとハーフースの組はアメリカのボブ・ブライアン&マイク・ブライアン組(双子の兄弟のペア)に敗れて連覇を逃した。
コート上では審判にクレームをつけることも少なく、極めて紳士的な態度だった。現役生活の後半はかなりの毒舌家で、男子テニス界の“ご意見番”との声も上がっていた。
2003年10月以降大会に出場せず、2004年11月に正式に引退を表明した。現在はポーカーの大会に出場している。
[編集] 4大大会優勝
- 全豪オープン 男子シングルス:1勝(1999年)
- 全仏オープン 男子シングルス:1勝(1996年)、男子ダブルス:3勝(1996年&1997年、2002年) [1996年は単複2冠獲得]
- 全米オープン 男子ダブルス1勝(1997年)
年 | 大会 | 対戦相手 | スコア |
---|---|---|---|
1996年 | 全仏オープン | ミヒャエル・シュティヒ | 7-6, 7-5, 7-6 |
1999年 | 全豪オープン | トーマス・エンクビスト | 4-6, 6-0, 6-3, 7-6 |
[編集] 関連項目
男子テニス世界ランキング1位 | |
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