トッド・ウッドブリッジ
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男子 テニス | ||
金 | 1996 | ダブルス |
銀 | 2000 | ダブルス |
トッド・ウッドブリッジ(Todd Woodbridge, 1971年4月2日 - )は、オーストラリア・シドニー市出身の男子プロテニス選手。長年にわたり、ダブルスの名手として活躍した。とりわけ、同じオーストラリアのマーク・ウッドフォードとのペアで無敵の強さを発揮したが、この2人は姓がよく似ていることから「ウッディーズ」(Woodies)と呼ばれた。自己最高ランキングはシングルス19位、ダブルス1位。ATPツアーでシングルス2勝、ダブルス83勝(うち4大大会男子ダブルス部門16勝)を挙げた。身長177cm、体重75kg、右利き。フルネームは Todd Andrew Woodbridge (トッド・アンドリュー・ウッドブリッジ)という。
1988年にプロ入り。最初期のウッドブリッジのダブルス・パートナーは、同じオーストラリアのジェイソン・ストルテンバーグと組むことが多かったが、1991年から6歳年上のマーク・ウッドフォードと本格的にペアを組み、世界的な活動を始める。この年は日本の「サントリー・ジャパン・オープン」男子ダブルスで、ステファン・エドベリとペアを組んだ優勝もあった。1992年にウッドフォードとのペアで全豪オープン男子ダブルスに初優勝を飾り、1993年から1997年までウィンブルドンで5連覇を達成した。この頃から、2人のペアは「ウッディーズ」と呼ばれるようになる。ウィンブルドン5連覇の期間中に、1995年と1996年の全米オープン男子ダブルスで2連覇を飾り、1997年には地元の全豪オープンで5年ぶり2度目の優勝を果たす。また、1996年のアトランタ五輪オーストラリア代表選手として、ウッドフォードとのペアで金メダルを獲得したが、この決勝ではイギリス代表のティム・ヘンマンとニール・ブロードの組を圧倒している。しかし、1998年のウィンブルドン・ダブルス決勝ではオランダの強豪ペア、ヤッコ・エルティンとポール・ハーフースの組に4時間5分の激戦の末 6-2, 4-6, 6-7, 7-5, 8-10 で敗れ、6連覇はならなかった。
シングルスでのウッドブリッジは、1995年5月にアメリカ・フロリダ州「コーラルスプリングス」大会の決勝でグレグ・ルゼドスキーを破って初優勝を遂げた。それから1997年初頭のオーストラリア・アデレードの大会で2勝目を挙げたが、彼のシングルス優勝はこの2つのみで、準優勝が7つあった。最後のシングルス決勝は、1997年2月にテネシー州メンフィスの大会の決勝でマイケル・チャンに敗れた準優勝である。この年はウィンブルドンの男子シングルスで自己最高のベスト4に入り、準決勝でピート・サンプラスに 2-6, 1-6, 6-7 のストレートで敗れた。これ以後、ウッドブリッジはシングルスでの活躍は少なかった。
2000年に入り、ウッドブリッジとウッドフォードの組は全仏オープン男子ダブルスで初優勝を飾り、これで男子ダブルスの同一ペアとして「キャリア・グランドスラム」を達成した。2人は全仏オープンはあまり得意ではなく、初めての決勝戦は1997年でエフゲニー・カフェルニコフとダニエル・バチェク(チェコ)の組に敗れていた。続いてウィンブルドンでも3年ぶり2度目の優勝を果たし、オランダのハーフースとオーストラリアのサンドン・ストールの組を破った。しかし、この年に地元で開催されたシドニー五輪の男子ダブルス決勝で、2人はカナダ代表のダニエル・ネスターとセバスチャン・ラルーの組に 7-5, 3-6, 4-6, 6-7 で敗れ、2大会連続の金メダルを逃した。35歳になったウッドフォードは2000年のシーズンを最後に現役を引退したが、最後の年にも全仏オープンとウィンブルドンを含めて、ダブルスで年間8勝を記録している。こうして「ウッディーズ」のダブルスはテニスの歴史に残る大きな足跡を残し、4大大会男子ダブルスで通算「11勝」を記録した。
ウッドフォードの引退後、ウッドブリッジはスウェーデンのヨナス・ビョークマンとペアを組み、直ちに2001年の全豪オープン男子ダブルスで優勝する。これはウッドブリッジにとって4年ぶり3度目の全豪優勝であった。2002年から2004年にかけて、今度はビョークマンとのペアで再びウィンブルドン男子ダブルス3連覇を成し遂げ、ウッドブリッジのウィンブルドン・ダブルス優勝は「9勝」となった。このペアは2003年の全米オープンでも優勝し、ウッドブリッジには7年ぶり3度目の全米ダブルス優勝となる。ビョークマンとのペアでは4大大会男子ダブルスで「5勝」を挙げ、こうしてウッドブリッジは4大大会ダブルスで総計「16勝」の記録を残した。(ウッドフォードと11勝、ビョークマンと5勝)
しかし2005年に入ると、ウッドブリッジはインドのマヘシュ・ブパシとペアを組みながらも早期敗退が多くなる。ブパシと組んだ2005年のウィンブルドンで、2回戦でステファン・フース(オーストラリア)とウェスリー・ムーディ(南アフリカ)の組に 3-6, 6-7, 3-6 のストレートで敗れ、同選手権で10度目の優勝を逃す。この試合を最後に、ウッドブリッジは34歳で現役を引退した。
[編集] 4大大会ダブルス優勝
- 全豪オープン:3勝(1992年、1997年/2001年)
- 全仏オープン:1勝(2000年)
- ウィンブルドン:9勝(1993年-1997年、2000年/2002年-2004年) [大会5連覇と3連覇を含む]
- 全米オープン:3勝(1995年、1996年/2003年)
[編集] 男子ダブルスの4冠達成ペア
- フランク・セッジマン&ケン・マグレガー (ともにオーストラリア、1951年に唯一の「年間グランドスラム」)
- ケン・ローズウォール&ルー・ホード (ともにオーストラリア、1953年 → 1956年)
- ロイ・エマーソン&ニール・フレーザー (ともにオーストラリア、1959年 → 1962年)
- ジョン・ニューカム&トニー・ローチ (ともにオーストラリア、1965年 → 1967年)
- マーク・ウッドフォード&トッド・ウッドブリッジ (ともにオーストラリア、1992年 → 2000年)
- ヤッコ・エルティン&ポール・ハーフース (ともにオランダ、1994年 → 1998年)
- ボブ・ブライアン&マイク・ブライアン (ともにアメリカ、2003年 → 2006年)