フランス映画
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フランス映画(フランスえいが)とは、フランスの資本と人材によって製作された映画のこと。
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[編集] 1890年代
映画というメディアの創生期において、フランス映画の技術は世界一を誇っていた。映画が発明されたのがフランスであったためである。1895年12月28日、リュミエール兄弟がシネマトグラフを公開した。
[編集] 1900年代
1902年にはジョルジュ・メリエスによる世界初の物語のある映画「月世界旅行」が公開。1908年、映画を芸術に高めようという動きが起こり、ル・フィルム・ダール社が設立される。ル・フィルム・ダール社による映画「ギース公の暗殺」が公開され、ヒット。
[編集] 1930年代
1930年、ルネ・クレール監督の「巴里の屋根の下」公開。
1935年、ジャック・フェデー監督の「女だけの都」公開。
1936年、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の「我等の仲間」公開。
[編集] 1940年代
1949年、マルセル・カルネ監督による「天井桟敷の人々」公開。
1946年、フランス政府がカンヌ映画祭を開催。
1949年、ジャン・コクトー監督による「オルフェ」公開。
[編集] 1950年代
1951年、映画評論雑誌「カイエ・デュ・シネマ」が刊行される。
同年、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の「巴里の空の下セーヌは流れる」公開。
[編集] 1960年代
1960年、ジャック・ベッケル監督による「穴」、ルネ・クレマン監督による「太陽がいっぱい」公開。
1961年、アラン・レネ監督の「去年マリエンバードで」がヴェネチア映画祭で金獅子賞を受賞。
映画監督のジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォー、ルイ・マルらによるヌーヴェルヴァーグの台頭。
1963年、ジャック・ドゥミ監督による「シェルブールの雨傘」公開。
1967年、ロベール・アンリコ監督の「冒険者たち」公開。
[編集] 1980年代
1981年、ジャン=ジャック・ベネックス監督の「ディーバ」、フランソワ・トリュフォー監督の「隣の女」公開。
1982年、フランソワ・トリュフォー監督の「日曜日が待ち遠しい!」公開。
1984年、クロード・ジディ監督の「フレンチ・コップス」公開。
1986年、レオス・カラックス監督の「汚れた血」公開。
1988年、リュック・ベッソン監督の「グレート・ブルー」、ブリュノ・ニュイッテン監督の「カミーユ・クローデル」公開。
[編集] 1990年代
1991年、レオス・カラックス監督による「ポンヌフの恋人」公開。
1992年、ジャン=マリー・ポワレ監督による「おかしなおかしな訪問者」、アレクサンドル・ジャルダン監督による「恋人たちのアパルトマン」、ルイ・マル監督による「ダメージ」公開。
ジャン=ピエール・ジュネが1991年、「デリカテッセン」で監督デビュー。1995年には「ロスト・チルドレン」を監督。その後1997年にはハリウッド映画「エイリアン4」を監督。
1996年、セドリック・クラピッシュ監督による「猫が行方不明」公開、ジル・ミモーニ監督による「アパートメント」公開。
1997年、ジェラール・ピレス監督による「TAXi」公開。
1998年、フランシス・ヴェベール監督による「奇人たちの晩餐会」公開。
1999年、ジャン・ベッケル監督による「クリクリのいた夏」、セドリック・クラピッシュ監督による「パリの確率」公開。
[編集] 2000年代
2000年、マチュー・カソヴィッツ監督による「クリムゾン・リバー」公開、ジェラール・クラヴジック監督による「TAXi2」公開。
2001年、ジャン=ピエール・ジュネ監督による「アメリ」、アリエル・ゼトゥン監督による「YAMAKASI」、コリーヌ・セロー監督による「女はみんな生きている」公開。
2002年、セドリック・クラピッシュ監督による「スパニッシュ・アパートメント」公開。
2003年、ジェラール・クラヴジック監督による「TAXi3」公開。
2004年、オリヴィエ・ダアン監督による「クリムゾン・リバー2 黙示録の天使たち」公開。
[編集] 映画祭
[編集] 外部リンク
- フランス映画通信 - フランス映画の専門サイト。作品評、監督・俳優名鑑、劇場公開情報など