ファーティマ
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ファーティマ(فاطمة الزهراء)は、イスラーム教の開祖ムハンマドとその最初の妻ハディージャの娘。メッカに西暦614年(シーア派伝)または606年(スンナ派伝)に生まれ、ムハンマド死後まもなく632年メディナで没する。後世、彼女は女性が見習うべき理想の女性と賞賛されている。
ムハンマドのいとこアリーと結婚し、彼との間に3人の息子と2人の娘をもうける。長男ハサン・イブン・アリー、次男フサイン・イブン・アリーの2人の息子がそれぞれシーア派の第2代、第3代イマームとして有名。アリーが第四代正統カリフとなったのはファーティマ死後のことである。
[編集] 人物像
スンナ派とシーア派とでは彼女の人物像に対する説明が異なってくる。例えばスンナ派の歴史によれば、ファーティマはハディージャとムハンマドの末娘として生まれ、若くして病死する。一方シーア派によれば、彼女はムハンマドの唯一の娘であり、末娘というのは夫アリーの正当性を貶めるためにスンナ派が広めたものとする、といったものだ。これらは、最初口承によって伝えられ、文章化されたのは100年以上後のことなので、どちらがより正確な事実なのかを判断するのは難しい。
彼女はムハンマドに可愛がられ、ハサンとフサインもムハンマドに可愛がられたとのことである。しかしそういった関係をムハンマドの三番目の妻アーイシャは快く思はず、指導者の座の奪い合いも相まってアリー夫妻を公然と批判する。ファーティマとアリーはムハンマド死後、その父のアブー=バクルと争う。さらにアリーはアーイシャと直接戦っているが、この時すでにファーティマは死亡している。
シーア派はアリーあるいはアリーとファーティマの子孫だけがイマームになれるとしたので、イマームを名乗るということは彼女の子孫であると名乗ることとほぼ同意である。また彼女が初代イマームの妻でまた第二代、三代イマームの母親であるということが彼女のシーア派における立場を決定している。
他に
- ファーティマはイスラーム圏の女性に多い名前
- シーア派王朝ファーティマ朝は、彼女の名に由来する
- ファーティマの手と呼ばれる護符の崇拝
などの後世への影響が見られる。