ディド・ハーフナー
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ディド・ハーフナー(ディード・へーフェナール) (Dido Havenaar, 1957年9月26日 -)は、オランダ出身の元GK(ゴールキーパー)選手で、現横浜F・マリノスGKコーチだが今期限りで辞任。後述するように、現在の国籍は日本。
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[編集] 経歴
1986年、当時日本リーグのマツダSC監督だったハンス・オフトに誘われ来日。マツダSC、名古屋グランパスエイト、ジュビロ磐田、コンサドーレ札幌などで選手として活躍。なお名古屋在籍時の1994年に日本に帰化している。また、現役時代に1994年アメリカワールドカップ出場を目指したオフトジャパン(日本代表)のGKコーチも担当している。
引退後、コンサドーレ札幌GKコーチを経て現職。
息子のハーフナー・マイクもサッカー選手、U-19日本代表のFWとして期待される。彼は2006年マリノスのトップチーム昇格が決まり、日本人として初の親子Jリーガーが誕生した。
[編集] 逸話
- 日本リーグ・マツダ時代のディドのプレーを観た者によれば、とにかくいちいち前に出て全部止め、一人だけ異次元のサッカーをやってるかのようだったという。また24時間頭の中はサッカーだけ、というプロとしての哲学は信藤健仁ら、まわりの選手に大きな影響を与えた。
- 帰化が報道された際、帰化名が、同時に官報に記載された日本国籍取得者の「浜名デレク」と取り違えられる誤報が流れた。実際はカタカナの「ハーフナー・ディド」である。なおディドによればオランダ語風に彼の名前をカタカナ表記することは、日本語にない音を含むため非常に困難だそうである。
- オフトに招かれてやってきたジュビロ磐田ではGKコーチを兼任していたが、ディド後のジュビロのゴールを守った大神友明(現サテライトGKコーチ)によれば、ディドは選手としてやる気満々で、他のGKはほとんど直接指導を受けられなかったという。
- 選手時代は、試合前練習でサポーターからコールが起きると手を振って答えるなど、ファンを大切にする姿勢をみせていたため広く親しまれていた。コンサドーレ札幌では引退してGKコーチになったあとも、試合前練習のGKのパートナーとしてグランドに出るとサポーターからコールが起きていたほど人気があった。 なお、その姿勢は今も変わらず、マリノスの試合前にもディドのコールが時折起き、その都度手を振り応えている。
[編集] 経歴
[編集] 選手経歴
- 1985年 - ダナヒック(オランダ)
- 1986年~1988年 - マツダ
- 1989年~1990年 - 読売クラブ
- 1990年~1991年 - 読売ジュニオール
- 1991年~1992年 - トヨタ(GKコーチから選手復帰)
- 1992年~1994年 - 名古屋グランパスエイト
- 1995年~1996年 - ジュビロ磐田
- 1997年~1998年 - コンサドーレ札幌
[編集] 指導者経歴
- 1993年 - 日本代表:GKコーチ
- 1995年~1996年 - ジュビロ磐田:GKコーチ
- 1999年~2002年 - コンサドーレ札幌:GKコーチ
- 2003年~2006年 - 横浜F・マリノス:GKコーチ
[編集] 成績
- J1通算 - 148試合0得点
- リーグ戦初出場 - 1993年6月2日対サンフレッチェ広島戦
[編集] 参考文献
- 増島みどり『ゴールキーパー論』(講談社新書、2001年)
様々な種目のゴールキーパーを論じた著作で、サッカーからはハーフナーと松永成立が取り上げられている。