セシル・フィルダー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
セシル・グラント・フィルダー(Cecil Grant Fielder、1963年9月21日 - )はアメリカカリフォルニア州ロサンゼルス出身のプロ野球選手(一塁手)。アメリカメジャーリーグ、日本プロ野球でプレーした。
目次 |
[編集] 来歴・人物
1982年ドラフト4位でカンザスシティ・ロイヤルズに入団。トロント・ブルージェイズに移籍し1985年にメジャー初昇格。主に代打要員で、なかなか出場機会に恵まれなかったため、日本を含めてレギュラーを確約できる球団を求めていたところ、阪神タイガースから4番打者としてオファーがあったこともあり、初めて海外でプレーすることとなる。
1989年、阪神に一塁手として入団。そのスイングの豪快さから、「荒熊」というニックネームが付けられる。来日当初は変化球が全く打てなかったが、当時の石井晶チーフ兼打撃コーチ(ヘッド格)、柏原純一打撃コーチ、村山実監督らの指導により、変化球打ちを覚え、シーズン開幕後は本塁打を量産するようになる。特に、大洋戦には滅法強く、横浜スタジアムでは、1試合で場外本塁打を含む3打席連続本塁打を放つなど、大洋戦だけで本塁打16本を記録する。逆に、巨人戦は本塁打3本と弱かった。
同年9月14日の巨人戦(東京ドーム)で、水野雄仁から三振を喫した際、腹いせに地面に叩きつけたバットが手に当たり骨折、そのままシーズンを棒に振り、タイトルを逃す。
同年オフに残留を希望する阪神球団とは合意しかけていたが、本塁打王を獲ったラリー・パリッシュが翌年からヤクルトの指揮を執る野村克也監督のチーム編成案から外れて解雇となった事で代理人が一方的に契約破棄を通告し、メジャーリーグへ復帰しデトロイト・タイガースと契約に至る。
大リーグ復帰後1年目に本塁打、打点のタイトルを2年連続で獲得する等の大活躍する。当時、2年連続で50本塁打を記録したのはベーブ・ルース以来で、MVP級の活躍であったが、フィルダーに対する評価はほとんどなかった。タイガースが弱体化していた事や、日本帰りであった事(当時は日米貿易摩擦で全米的に反日感情が高まっていたため)が理由だと言われている。ただ、当時のタイガースの監督であったスパーキー・アンダーソンは、同じく日本からの出戻り組のビル・ガリクソンやトニー・バナザードがチームに在籍して活躍していた事もあって、「日本製品は素晴らしい!!」と形容した事もあった。又、タイガースの本拠地が在るデトロイトでは、地元の新聞に「デトロイトが受け入れた唯一の日本製品」と称された事もあった。
1996年にニューヨーク・ヤンキース移籍し、ワールドシリーズを制して世界一となった。1998年にはアナハイム・エンゼルスに移籍するもシーズン途中に解雇され、同シーズン中にクリーブランド・インディアンスへ移籍。同年引退。
引退後は、予てから長距離砲として注目されていた、長男プリンス・フィルダーの代理人に専念する。
2004年になって突然「セシル・フィルダーがギャンブルにのめりこみ、莫大な借金を抱えて自己破産した上に蒸発した」というニュースが流れた。妻とも離婚し、豪邸である自宅はゴミが散らかり放題、と悲惨な状況である。尚、現在も消息はわかっておらず、プリンス・フィルダーは父に代わる新たな代理人を雇う事となった。
[編集] メジャーでの成績
- 通算試合 1470試合
- 通算打率 .255
- 通算安打 1313本
- 通算本塁打 319本
- 通算打点 1008打点
- 通算盗塁 2盗塁
- 通算犠打 0個
- 通算犠飛 46本
- 通算四球 693個
- 通算死球 43個
- 通算三振 1316三振
- 通算併殺打 169個
[編集] 日本での成績
- 通算試合 106試合
- 通算打率 .302
- 通算安打 116本
- 通算本塁打 38本
- 通算打点 81打点
- 通算盗塁 0盗塁
- 通算犠打 0個
- 通算犠飛 3本
- 通算四球 65個
- 通算死球 2個
- 通算三振 107三振
- 通算併殺打 13個
[編集] メジャーでのタイトル
[編集] 年度別打撃成績
年度 | チーム | 試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 四球 | 三振 | 打率 | 出塁率 | 長打率 |
1985 | TOR | 30 | 74 | 6 | 23 | 4 | 0 | 4 | 16 | 0 | 6 | 16 | .311 | .358 | .527 |
1986 | TOR | 34 | 83 | 7 | 13 | 2 | 0 | 4 | 13 | 0 | 6 | 27 | .157 | .222 | .325 |
1987 | TOR | 82 | 175 | 30 | 47 | 7 | 1 | 14 | 32 | 0 | 20 | 48 | .269 | .345 | .560 |
1988 | TOR | 74 | 174 | 24 | 40 | 6 | 1 | 9 | 23 | 0 | 14 | 53 | .230 | .289 | .431 |
1989 | 阪神 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 |
1990 | DET | 159 | 573 | 104 | 159 | 25 | 1 | 51 | 132 | 0 | 90 | 182 | .277 | .377 | .592 |
1991 | DET | 162 | 624 | 102 | 163 | 25 | 0 | 44 | 133 | 0 | 78 | 151 | .261 | .347 | .513 |
1992 | DET | 155 | 594 | 80 | 145 | 22 | 0 | 35 | 124 | 0 | 73 | 151 | .244 | .325 | .458 |
1993 | DET | 154 | 573 | 80 | 153 | 23 | 0 | 30 | 117 | 0 | 90 | 125 | .267 | .368 | .464 |
1994 | DET | 109 | 425 | 67 | 110 | 16 | 2 | 28 | 90 | 0 | 50 | 110 | .259 | .337 | .504 |
1995 | DET | 136 | 494 | 70 | 120 | 18 | 1 | 31 | 82 | 0 | 75 | 116 | .243 | .346 | .472 |
1996 | ☆1 | 160 | 591 | 85 | 149 | 20 | 0 | 39 | 117 | 2 | 87 | 139 | .252 | .350 | .484 |
1997 | NYY | 98 | 361 | 40 | 94 | 15 | 0 | 13 | 61 | 0 | 51 | 87 | .260 | .358 | .410 |
1998 | ☆2 | 117 | 416 | 49 | 97 | 17 | 0 | 17 | 68 | 0 | 53 | 111 | .233 | .324 | .397 |
Total | (MLB通算) | 1470 | 5157 | 744 | 1313 | 200 | 7 | 319 | 1008 | 2 | 693 | 1316 | .255 | .345 | .482 |
- ☆1=デトロイト・タイガース→ニューヨーク・ヤンキース
- ☆2=アナハイム・エンゼルス(現ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム)→クリーブランド・インディアンズ
- 1989年については所属チーム→阪神タイガースとしているが、成績はメジャーでの通算成績を記載している為、成績は表記無し。
[編集] 関連項目
- 阪神タイガース4番打者
- 第59代
-
- 先代:
- 柏原純一
- 次代:
- ラリー・パリッシュ