スペル・デルフィン
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スペル・デルフィン | |
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プロフィール | |
リングネーム | スペル・デルフィン ザ・モンキーマジック モンキーマジック・ワキタ モモタロウ |
本名 | 脇田洋人 |
ニックネーム | セニョール・ペルフェクト |
身長 | 172cm |
体重 | 82kg |
誕生日 | 1967年9月22日 |
出身地 | 大阪府和泉市 |
所属 | 大阪プロレス |
スポーツ歴 | アマチュアレスリング |
トレーナー | アポロ菅原 大仁田厚 グラン浜田 |
デビュー | 1989年 |
スペル・デルフィン(本名脇田洋人 1967年9月22日- )は、プロレスラーで大阪プロレスの創始者。イルカをモチーフとした覆面レスラーである。"Sr.Perfect"(セニョール・ペルフェクト、英語のミスター・パーフェクトと同義)というニックネームを持つ。大阪府和泉市出身。かつてモンキー・マジック・ワキタのリングネームで活動していた事もある。
目次 |
[編集] 経歴
プロレス入り前にはサンボを経験している。プロレス歴は、たけしプロレス軍団(TPG)~FMW~ユニバーサル・プロレスリング~みちのくプロレス~大阪プロレス。デビュー戦は、1989年3月19日オランダのアムステルダムのエイデンホールにおける対ブルドッグKT(現:外道)。
ユニバーサル・プロレスリング時代の初期には前座として『モンキーマジック・ワキタ』のリングネームで、MASAみちのく(現:ザ・グレート・サスケ)と組み、ブルドッグKT(現:外道)&クーリーSZ(現:邪道)との対戦が主だった。
その後、MASAみちのくと共にメキシコに武者修行の為に遠征、現地では漫画家、にわのまことの作品である『THE MOMOTAROH』をモチーフにした覆面レスラー、『モモタロウ』として活躍する。
その後、帰国。当初はメキシコ遠征時の『モモタロウ』としてユニバーサルに上がる予定だったが、集英社及び当時の『THE MOMOTAROH』が掲載されていた週刊少年ジャンプの了承を取っていなかった為、クレームになる事を憂慮し、謎の覆面レスラー『スペル・デルフィン』として正体を明かさないまま、試合を行う(ただ、ユニバーサルのファンには、正体はバレていた)。尚、余談だが、にわのまこと本人は、『モモタロウ』という名前のレスラーが存在した事を楽しんでいて、週刊プロレスに自身のコメントを寄せている(週刊少年ジャンプのにわのの担当は渋い顔をしていたらしいが)。
その後、バレてはいたが自ら正体を明かし、スペル・デルフィンとして活躍するが、ユニバーサルの経営難によるギャラの不払いに端を発し、1993年、ザ・グレート・サスケのみちのくプロレス旗揚げに参加、ルード集団のデルフィン軍団を率い、サスケのライバルとして君臨した。
獣神サンダー・ライガー戦で有名。リーグ戦のベスト・オブ・スーパージュニア(新日本主催)では他団体からの参加で唯一優勝決定戦に出たレスラー。この時、半分がライガーのコスチューム(通称:デルイガー)で登場する。おちょくりをやりながらも強いデルフィンはこのシリーズ参戦により爆発的な人気となりプロレス雑誌の好きなレスラー1位になった。新日での活躍によってスイング式DDTは一世を風靡した。
ディック東郷率いる海援隊との抗争に敗れ、試合後東郷の股をくぐり失踪。復帰にあたり肉体改造に成功し、東郷に雪辱。その後サスケとタッグを組んだりしていたが、次第にサスケと団体運営に対する考え方で対立するようになり、愚乱・浪花、薬師寺正人、星川尚浩、瀬野優(大王QUALLT)、練習生の木川(現スーパー・ドルフィン)、レフェリー松井幸則らとともにみちプロを退団(浪花はすぐ復帰)。大阪プロレスを旗揚げする。その後サスケとは絶縁状態が続いているが、2003年社長新崎人生の尽力によりサスケVSデルフィン戦が実現、両者とも当初この試合を拒絶していたが、試合を了承。デルフィンが勝利した。
自分のマスク(デルイガー)をテレビ東京製作の開運!なんでも鑑定団に出したりした。
父親は土地家屋調査士で、若い頃、父の測量現場の仕事なども手伝っていた。元タレントの美樹子夫人(大阪プロレスの事務局長も務めていた)がいたが、元所属選手の初代えべっさん(現・菊タロー)の紹介で、タレントの早坂好恵と再婚した。
元大阪近鉄バファローズの外野手・内匠政博は、リトルリーグ時代のチームメイト。 スーパー・ドルフィンとの兄弟関係はギミックである。
一度は第一線を後進に任せて退き前座でのコミカルな試合が主だったが、選手の大量離脱などで団体の経営が傾いてきたため再度、最前線に立つことになる。
2006年2月26日、スーパードルフィンをデルフィンスペシャル0号で破り大阪プロレス王者となる。4月16日松下IMPホールではみちのくプロレス社長の新崎人生と初のシングルマッチを行い、勝利している。この試合では人生側に不利なレフェリングがなされている。また、フィニッシュも人生のジャーマンが崩れ同時フォールになったがカウント3目前でデルフィンが肩をあげたものである。
5月21日、大阪プロレスIMPホールにて南野たけしと大阪プロレス王者&東北ジュニアヘビー級ダブルタイトルマッチを行いジャーマンスープレックス・ホールド(原爆固め)で勝利。二冠王になる。 6月10日には、7年半ぶりにみちのくプロレスへ参戦し、気仙沼二郎に勝利して初防衛に成功した。
しかし8月26日にビリーケン・キッドに破れ大阪プロレス王座を失い。10月8日にはみちのくプロレスのザ・グレート・サスケとの防衛戦でデルフィンは東北ジュニアヘビー級王座をサスケは引退を賭けたがデルフィンに却下され人生を賭けて対戦。しかし、サスケに原爆固めで破れ東北Jrも失い現在無冠
[編集] リングネーム
これまでデルフィンが名乗ったリングネーム。
- スペル・デルフィン
- モンキー・マジック・ワキタ
- モモタロウ
[編集] 得意技
- デルフィン・クラッチ
- スイングDDT
- 大阪御堂筋スタナー
- 大阪臨海アッパー
- デルフィンスペシャル 1号/2号/3号/0号
- デルフィン・ラナ(ミステリオ・ラナ)
デルフィンは技に関してはアイデアマンであり、多くのオリジナル技を考案している。特にその中でもスイングDDTは多くのレスラーが使用している。
[編集] タイトル履歴
- 大阪プロレス選手権
- スーパーウエルター級
- UWA世界ウエルター級
- CMLL世界ウエルター級
- 東北ジュニアヘビー級王座
[編集] 趣味
[編集] 外部リンク
- プロフィール紹介(ライブドアスポーツ:大阪プロレスより)
- デルフィン社長の秘密基地(公式ブログ)