FMW
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FMW(エフエムダブリュー、フロンティア・マーシャルアーツ・レスリング)とは、元全日本プロレスの大仁田厚が1988年に設立したプロレス団体である。日本におけるインディープロレス団体の草分け的存在。日本初の男女混合団体(ミゼットを除く)でもあった。大仁田厚時代のFMWの成功は、それに倣ったインディープロレス団体の乱立を招くことになり、1990年代以降の日本プロレス界が多団体時代を迎える影響を及ぼした。
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[編集] 大仁田厚時代
1989年10月、名古屋露橋スポーツセンターで旗揚げ。大仁田と空手家の青柳政司の抗争を軸にし、大仁田の全日本での後輩のターザン後藤や元新日本プロレスの栗栖正伸も参加する。初期におけるFMWはその団体名が示す通り、キックボクシングや柔道、テコンドーなどプロレス以外の格闘家が参加しており異種格闘技的な要素が強かった。しかし、その意味付けは当時隆盛だったUWFへの対抗心(あるいは皮肉)によるところが大きく、「格闘技トーナメント」と銘打たれた大会で栗栖がイス攻撃を駆使して優勝したり、ボクシングの元世界チャンピオン、柔道メダリスト、空手家、プロレスラーなどの「タッグチーム」が競う「世界最強総合格闘技タッグリーグ」が開催されたりした。
男女混合団体であるが、「YAMATO NADESIKO」と銘打った女子のみの興行も行っている。後に、全日本女子プロレスと団体対抗戦を行い、これを機に女子プロレスの全団体対抗戦が実現することとなった。
その後、既存メジャー団体に対抗するためにデスマッチ、ストリートファイトマッチなどを行うようになり、1990年8月に汐留で行われた大仁田と後藤のノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチで注目を浴びるようになった。多様な格闘家、奇抜な試合形式、男女混合、怪奇派レスラーなどの(大仁田は「おもちゃ箱をひっくり返したような」と表現した)団体色は一大センセーションを呼び、UWFを除けば当時のメジャー団体であった新日本プロレス、全日本プロレスに匹敵する第三勢力となった。
また、大仁田はテレビ等に極力出演(団体の宣伝目的もあったらしい)し、タレント並みの知名度を得たことにより、団体も知名度も全国区になり、ニュース番組やバラエティ『ギミアぶれいく』などでドキュメンタリーが放送される程であった。(ちなみにテレビ出演のギャラは全て団体運営に回していたと言う)ライバルのミスター・ポーゴの離脱などもあったものの、ザ・シーク、タイガー・ジェット・シンといった新たなヒールも獲得し、1991年には川崎球場に進出、1992年には横浜スタジアム、1993年には2度目の川崎球場と西宮球場での興行を行い、FMWの経営規模は順調に拡大していった。
1994年5月5日の川崎球場大会で天龍源一郎に敗れた大仁田は引退を決意。一年間の引退シリーズを経て、1995年5月5日、川崎球場大会で引退試合を行う。最後の対戦相手は当初は石川敬士であったが、結局は弟子であり次代のエースのハヤブサとなった。
[編集] 新生FMWの時代
大仁田引退後も、FMWは持ちこたえた。「大仁田がいなければFMWは3ヶ月で潰れる」というような声をよそに、ハヤブサを中心に、田中正人(現・将斗)、松永光弘、金村ゆきひろ(現・金村キンタロー)、ザ・グラジエーターらの若い力がリングに活力を蘇らせ、大仁田時代の胡散臭さや怪しさを押し出したスタイルとは異なる、後にハードコアスタイルと呼ばれる激しい戦いが高い支持を得る。ハヤブサが腕を負傷、半年間の欠場の間も、田中と金村のライバルストーリーがファンの支持を得て、リング上のパワーは落ちなかった。1996年5月5日には、ハヤブサ、田中将斗対テリー・ファンク、ミスター・ポーゴをメインイベントに、川崎球場でのビッグマッチを成功させる。
しかし、もう一度スポットライトを浴びたいと願う大仁田は、復帰を画策。ミスター・ポーゴを引退させ、ポーゴの最後の願いとして、大仁田とのタッグ結成をファンに乞うというアングルで、ついに1996年12月11日駒沢大会でカムバックしてしまう。この頃から、ハヤブサら若い世代と大仁田という2つの方向性がリング上に生まれ、FMWはぎくしゃくとし始めた。大仁田がZENという団体内団体を旗揚げしたのも、2つの方向性を両立させようとする当時のFMWフロントの苦心の結果である。また、WARを離脱した冬木弘道、邪道、外道が参戦。金村、雁之助らとチーム・ノーリスペクト(TNR)を結成。FMWの歴史上でも、最も存在感の大きなヒール軍団となった。
[編集] ディレクTVとの契約とエンターテイメント路線
日本に進出を図ったCS放送ディレクTVがキラーコンテンツのひとつとして選んだのが、FMWであった。1998年3月に「3年3億円」で契約。テレビ放映を手にしたFMWは、最大のインディ団体と言われるようになる。契約を結んだFMWは制作費の提供を受け、グレードアップしたエンターテイメント路線を走り始める。その第一弾となった横浜大会では、ハヤブサVS雁之助、冬木VS大仁田、新崎人生VS金村、田中VSクラッシャー・バンバン・ビガロなどが行われ、いずれも好勝負となった。その後、荒井社長と選手が一丸となって、大仁田に対し撤退を要求。1998年11月20日の横浜文化体育館大会を最後にして、大仁田はFMWを離れた。
1999年後半からは、よりアクの強いエンターテイメント路線にシフトチェンジを行い、ドッグフードマッチやおばけ屋敷マッチなど、これまでの日本では考えられなかったショー要素の強いプロレスを展開する。AV男優のチョコボール向井やAV女優の若菜瀬奈、演歌歌手の谷本知美など、プロレス経験のない素人までが試合に参加し、プロレスファンの話題と反発を呼んだ。好調であるかに見えたFMWだが、1999年11月23日横浜アリーナで行われた10周年記念大会は、ショーン・マイケルズ、レイヴェンなどの大物レスラーを招聘したにも関わらず、興行的には失敗。FMWの経営状態は一気に悪化する。
[編集] ディレクTVの撤退と迷走
2000年3月、ディレクTVがスカイパーフェクTVと統合となった。FMWのPPV放送はスカイパーフェクTVに引き継がれたが、放映権料は大幅に下げられることとなり、経営悪化は一気に拍車がかかった状況となった。
また、翌2001年には、話題作りの為か、同社荒井昌一社長率いる正規軍6人が「経営権」をかけ、冬木軍と対決。結局負け、経営権を奪われる(あくまでもリング上の話であり、実際には倒産まで荒井が社長を務めていた)。同年10月に、ハヤブサが試合中の事故で頚椎損傷の大怪我をし、戦線離脱。看板選手の欠場は、経営基盤の弱いFMWには致命傷であった。荒井社長はコストカットのため、田中、邪道、外道、中山香里の4名の契約解除を行うなど、FMWの危機は一般のファンにももはや明らかだった。また、翌年1月には、ミスター雁之助も負傷し欠場となった。
丁度この頃に行なわれた、出来立ての飲茶を食べながら凶器にも使える「ファイティングディナーマッチ」や敗者を全裸にする「ネイキッドマンマッチ」と言う試合形式がファンはおろかプロレスマスコミからも反発を受ける、と言う事態がFMWの迷走ぶりを示していた、と言えるかもしれない。
[編集] 団体崩壊と社長の自殺
2002年2月14日、とうとう団体は不渡りを出す。そして、その翌15日にも、二日連続で不渡りを出し倒産。負債総額は3億円であった。そんな中、団体社長の荒井昌一はたった一人で金融業者28社から3000万円を借り入れていたという。その他、家の権利書まで持ち出そうとした。運営の責任感から来るものだと思われる。実際、赤字続きで首が回らなくなった際にも、ちゃんと選手にはギャランティが支払われていたと言う。
団体崩壊後、借金から逃れる為身を潜めていた荒井社長であったが、著書『倒産!FMW カリスマ・インディー・プロレスはこうして壊滅した』を執筆。そして、5月16日、葛飾区内の公園にて、荒井社長が首を吊って死んでいるのが発見された。家族宛ての遺書を身に付けていた為、借金苦での自殺だと思われる。36歳という若さであった。その前日付けの消印で、団体関係者宅に「ご迷惑をおかけしました」と言った文書が届いていたことも、その後明らかになった。 この事件について、当時は「乱立するインディ団体へのメッセージ」といったことも言われた。最大のインディ団体は、面倒見が良く責任感の強い社長の自殺と言う最悪の終焉を迎えてしまう結果となった。
荒井の死後、冬木弘道は著書「鎮魂歌」において、「いい人だったのは認めるが、社長としては不適格だった(大意)」と荒井を批判している。残されたものとして言うべきことは言っておくべきだと思ったのか、それとも荒井の本でやや悪役として語られる大仁田厚の代わりに反撃したのかは定かではない(大仁田と冬木はリング外ではつながりがあった)。『倒産!FMW〜』の記述を見る限り荒井社長が経営者として欠落している部分があるのも明らかであり(事実大仁田は「不渡りを出す前に会社を潰せ」と以前から進言していたにも拘らず、不渡りを出した後も借金を続けるなどしたのは本人の責任感という評価がある一方、経営者としては明らかに問題がある)、FMW末期、エースとして団体の為に身を粉にしていた冬木自身それを間近で見てきたはずで、不満に思っていたことは想像に難くない。また冬木は恐らくこの時点で自身のガンのことも、余命のことも理解していたと思われ、その上での主張だったであろうとも推測される。何れにしても冬木も亡き人となり、大仁田も議員となった今、その真相は藪の中である。
[編集] FMWに所属した選手、参加した選手
[編集] 男子
- 市原昭仁(現:フライングキッド市原)
- 森重正臣
- 尾内淳(現:ウルトラマンロビン)
- 栗栖正伸
- ドラゴン・マスター(現:ケンドー・ナガサキ)
- ミスター・ポーゴ(フリー)
- リッキー・フジ「チーム・カナダ」
- 李珏秀(フリー)
- 金鉱煥(フリー)
- 上田勝次(フリー)
- ザ・シューター
- ミスター雁之助
- ハヤブサ
- ザ・グレート・パンク(現:新山勝利)
- 中川浩二(現:GOEMON)
- 田中正人(現:田中将斗)
- 黒田哲広
- 五所川原吾作(現:Gosaku)
- ミスター珍(故人)
- 松永光弘
- 大矢剛功
- 戸井マサル(現:戸井克成)
- 保坂秀樹
- マッハ隼人(旧:ダークレンジャー)(のち:南条隼人)(現:ミラクルマン)
- 金村ゆきひろ(現:金村キンタロー)
- 非道(現:BADBOY非道)
- 青柳政司(誠心会館所属)
- 岡本衛(のち:岡本魂)
- 牧村英雄
- 佐々木嘉則(現:マンモス佐々木)
- チョコボール向井(フリー)
- 山崎直彦
- 牧田理(現:ソルジャー)
- 森田友和(現:ガルーダ)
- 佐々木義人
- 冬木弘道(故人)
- 怨霊
- 新宿鮫
- 中牧昭二
- レオン・スピンクス
- グリゴリー・ベリチェフ
- ダミアン
- アミーゴ・ウルトラ
- タートル仮面
- パンディータ
- ザ・グラジエーター
- ホーレスポウダー「チーム・カナダ」
- ビック・タイトン「チーム・カナダ」
- ジミーバックランド
- ドクター・ルーサー
[編集] 女子
- 里美和
- 松田久美子(のち:ツッパリ・マック)
- 土屋恵理子(現:シャーク土屋)「コンバットアーミー」
- 工藤めぐみ
- 森松由紀(のち:ドレイク森松)
- 前泊よしか(のち:クラッシャー前泊)「コンバットアーミー」
- 豊田記代(のち:コンバット豊田)「コンバットアーミー」
- 天田麗文
- 鍋野ユキ江
- 中村理恵(のち:ナース中村・バッドナース中村、RIE)
- 岩見敬子(のち:キラー岩見)
- 清水真弓
- デスピナ・ゴトー(ターザン後藤夫人)
- 小泉恵美
- 熊沢菜緒子
- 小松崎由美子
- 石倉由加利
- 中山香里
- 池田陽子
- 上林愛貴(のち:ミス・モンゴル、Aky)
- 元川恵美(現:さくらえみ)
- 若菜瀬奈(フライングキッド市原マネージャー→チョコボール向井らと組んで一度だけ出場→リッキー・フジマネージャー→終了)
- 荒井薫子(荒井昌一社長の姪というギミックでたびたびリングに登場。若菜瀬奈とキャットファイトをしたり、草凪純とフライングキッド市原のマネージャーをかけた争いなどをした)
- 草凪純(若菜瀬奈の試合で実況ゲストで出演→フライングキッド市原のマネージャーとなる。後に荒井薫子との争いなどをした)
[編集] その他
[編集] 管理タイトル
- WWAブラスナックル(後に世界ブラスナックルと改称)
- 世界マーシャルアーツ
- 世界マーシャルアーツタッグ
- インディペンデントワールド・ヘビー
- インディペンデントワールド・ジュニアヘビー
- WEWヘビー
- WEWタッグ
- WEWハードコアタッグ王座
- WEW6人タッグ