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ギリシア美術 - Wikipedia

ギリシア美術

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ギリシア美術とは、クレタ文明ミケーネ文明衰退後の紀元前1000年頃から紀元前1世紀末頃にかけて、ペロポネソス半島イタリア半島南部、エーゲ海周辺地方などで栄えた美術を指す。紀元前12世紀頃からしだいにギリシアに侵入したドリス人は、先住のアカイア人の勢力をペロポネソス半島から駆逐し、クレタ的色彩の濃いミケーネ文明の美術を完全に破壊した。こうしてギリシアは長い文化的暗黒時代に入ったが、この期間にギリシア人は自己の民族性に根ざした新しい美術を徐々につくり始めた。このギリシア美術は、同時代の古代エジプト美術が3000年間にわたってほとんどその様式を変えなかったのとは対照的に、初期の古拙・幼稚な段階から驚くほどの速度をもってその様式を発展させ、紀元前5世紀紀元前4世紀頃には、西洋美術の永遠の典型とされるクラシック美術を開花させた。

ニケ
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ニケ

目次

[編集] 様式の展開

ギリシア美術は、その様式発展の上から一般に次のように時代区分される。

[編集] 幾何学様式時代(紀元前1000年 - 紀元前700年)

幾何学様式とは、ミケーネ文明が滅んだあとギリシア人が最初につくり出した美術様式であり、この時代の陶器がおもに幾何学的・抽象的図形で飾られているところからこの名で呼ばれる。主要な装飾モチーフは、平行線、メアンデル菱形三角形、市松、同心円などである。陶器製作の中心地はアッティカで、葬祭用の精巧な大型陶器が、アテナイのケラメイコス墓地から大量に出土している。陶器以外には、テラコッタ、ブロンズ、象牙の小型像などが残っている(幾何学様式の項目も参照して欲しい)。

[編集] アルカイク時代(紀元前700年 - 紀元前500年)

アルカイク時代は、幾何学様式の解体からペルシア戦争が勃発する頃までのギリシア美術の初期の段階を示す時代を指す。紀元前7世紀には動物、植物、空想的怪物などの装飾モチーフを用いた、いわゆるオリエント様式の陶器が幾何学様式に代わって流行した。同様にオリエント、とくにエジプトの影響によって、紀元前7世紀中頃には、初めて大型の石造彫刻が成立した。紀元前600年ころからは、直立裸体のクーロス像や着衣のコレー像が、奉納像や墓像として数多く作られた。初期の彫刻の姿はまだきわめて幼稚・素朴であるが、紀元前6世紀を通じて芸術家の写実的関心は驚くべき速度で高まり、アルカイク後期の作品は非常に正確で有機的に構成された人体表現を示すようになった(アルカイク美術の項目も参照して欲しい)。

[編集] 厳格様式時代(紀元前500年 - 紀元前450年)

厳格様式時代は、ペルシア戦争による緊張した時代を背景に、クラシックにおけるギリシア美術の完成を準備する段階に入った時代を指す。彫刻の顔からはアルカイク・スマイルが消え、像の表情は厳しく、中には沈鬱な表情の像も登場した。人体の骨格や筋肉組織の表現はきわめて正確に作られており、厳格さを特徴としている。

[編集] クラシック時代(紀元前450 - 紀元前320年)

クラシック時代はギリシア美術がその調和的・理想的形式を完成させた時代であり、ペリクレスアテナイの政権を手中に収めた頃からアレクサンドロス大王の没年頃までをいう。クラシック (classic) の呼名はラテン語で「最上級の」「模範的な」という意味のクラシクス (classicus) に由来する(クラシクスは本来、ローマ市民の階級区分クラシスにおける最上級層クラシキの形容詞形で、語意が転用されたものである)。この時代は一般には紀元前5世紀後半の盛期クラシック(崇高な様式)と紀元前4世紀の後期クラシック(優美な様式)とに区別される(この区別と命名はウィンケルマンによる)。盛期クラシックには、ペリクレスのアクロポリス復興計画に基づき、パルテノン神殿、プロピュライア、エレクテイオンなどの壮麗な建物が完成し、彫刻では、フェイディアス、ミュロン、ポリュクレイトスらの巨匠が活躍した。紀元前5世紀末のペロポネソス戦争紀元前4世紀の絶えまないポリス間の対立・抗争を通じて、人びとの感情・思想はより現実的・人間的になり、宗教的関心もしだいに弱まった。この傾向を反映して、後期クラシックの彫刻家プラクシテレス、スコパス、リュシッポスらは、優雅で人間的情感にあふれる彫像を作った。

[編集] ヘレニズム時代(紀元前320 - 紀元前30年)

ヘレニズム時代は、アレクサンドロス大王の没年頃から、プトレマイオス朝の滅亡までの時代をいう。アレクサンドロスの遠征の結果、これまでほぼギリシア人(ヘレネス)の間に限られていたギリシア美術は、小アジアシリアエジプトなど広くオリエント全土に拡大し、それぞれの土地の文化的伝統や歴史的事情と結びついて、多くの特色ある作品を生み出した。美術の中心地はペルガモンエフェソス、ロドス、アレクサンドリアなど東方に移った。彫刻からはクラシック美術の理想性・宗教性が薄れ、現実生活に密着した世俗的性格が目だってきた。同時に日常的、個別的、激情的、醜悪、悲惨、異常なものが、冷たく写実的な眼でとらえられ、美術はしだいにギリシア的本質から離れたものへと変わっていった(ヘレニズム美術の項目も参照して欲しい)。

[編集] 建築

Acropolis
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Acropolis

古代ギリシア都市は上市、要塞、聖域などの機能をもつアクロポリスと、その裾にひろがる下町から成っており、下町には民会、市場、各種の催しが行われる公共広場(アゴラ)を中心に、市民の住宅が立ち並んでいた。議会、行政、司法などの公共施設はアゴラの周囲に並設されるのが普通であるが、適度な斜面を必要とする劇場や、大面積を必要とする競技場や教育・体育施設などはアゴラから離れ、ときには市外に建てられることも多かった。町全体は市城壁で囲まれていた。ギリシア人がこれらの施設のために開発した建築の中で、最も重要なものは神殿であった。

[編集] 神殿建築

神殿はギリシアの公共建築の中で最も古い遺構を残しており、その建築の様式はギリシアの他の建築の手本になったばかりでなく、いわゆる古典様式として、それ以後の西洋建築の規範となった。神殿の平面は単純なメガロン型で、奥行きの深い縦長長方形広間の神室(ナオス)と、その前面にナオスの側壁を延長したポーチ(プロナオス)から成る。プロナオスの正面には側壁の間に2本の柱を立て、玄関柱廊を形づくるのが普通で、この形式をイン・アンティス式と呼ぶ。側壁を正面まで突出させる代りに、側壁の前方にも柱を立て、正面に4本の柱が並ぶことがある。この形式をプロステュロス式と呼ぶ。ナオスの背面には何もないこともあり、またプロナオスと同形のポーチ(オピストドモス)がつけられることもある。このような神殿全体を取り巻くように、四周に列柱廊が造られている神殿はペリプテロス式(周柱式)と呼ばれ、四周に2列の列柱が巡らされているものはディプテロス式(二重周柱式)と呼ばれる。ディプテロス式の内側の列柱が省略され、2スパン分の広い周柱廊を巡らしているものはプセウド・ディプテロス式(疑似二重周柱式)と呼ばれる。初期の神殿の壁は日乾鮭瓦で造られるのが一般的であったため、周柱廊は土壁を保護するため深く突き出した軒を支えることから発生したと考えられている。

[編集] オーダーの3形式

石造建築としての神殿遺構は紀元前6世紀から見られる。それらは普通は3段の階段状基壇をもち、縦のフルーティング(溝彫)をつけた円柱を立てる。その上に桁に相当するアーキトレーブ(エピステュリオン)、小壁に相当するフリーズ(ディアゾマ)、壁面より突き出たコーニス(ゲイソン)をのせる。これら、柱の上にのる構造物全体をエンタブラチュアと呼ぶ。エンタブラチュアの形は、初期の木造屋根の構造に由来している。発端となった建築伝統が地域によって違っていたため、ギリシア本土やイタリア南部などではドリス式と呼ばれる建築が、小アジア西海岸ではイオニア式の建築が、並行して発展した。

ドリス式では円柱に20本の浅いフルーティングをつけ、フルーティングの境は鋭い稜線をなしている。柱身はエンタシスのゆるい曲線を描いて上の方が少し細くなっている。柱頭(キャピタル)は鏡蛭を逆さにしたような形のエキノスと、正方形の厚い板(アバクス)を重ねた形をしている。アバクスの上にのるアーキトレーブは単純な角材で、最上部にタイニアと呼ばれる単純なモールディングがつけられる。また上にトリグリュフォスがのる所には、タイニアの下に6個の木栓のような形をした露玉装飾(グッタ)をつけたレグラがつけられる。フリーズには、やげん形の縦溝で3本の縦棒のように見えるトリグリュフォスと、ほぼ正方形の浮彫石板(メトープ)が交互に並べられる。トリグリュフォスの中心線は、柱の中心線上と柱間の中央に置かれるのが原則であるが、両端の柱の上にあるトリグリュフォスは、中心を柱中心とそろえるのではなく、フリーズの端に置かれることになっている。このため端のメトープが他より大きくなってしまうので、メトープの幅をそろえようとすると、両端の柱を少し内側に寄せる必要がある。これを隅の柱間の短縮と呼んでいる。屋根は切妻形であるため、正面には三角形の破風(ペディメント)があり、その内側のテュンパノン(タンパン)は神々の群像などで装飾される。ペディメントの両端と中央にはアクロテリオンと呼ばれる装飾彫刻がのせられていた。円柱とエンタブラチュアが上述のような部材で構成される建築のシステムをドリス式オーダーという。

イオニア式オーダーも基本的にはドリス式に似ているが、円柱には柱礎(ベース)があり、彫りの深いフルーティングの数は24本を標準とし、フルーティングの境に平たんな部分を残すこと、柱頭は左右に渦巻をもつ特殊な形を見せ、アバクスが薄いこと、アーキトレーブに3本の水平区分がつけられていること、フリーズにトリグリュフォスとメトープの区分はなく、連続した装飾浮彫帯になることなどが、ドリス式とのおもな相違点である。なおイオニア地方ではフリーズを欠くことが普通で、その代りコーニスの下に、密に並べられた垂木の先端のようなデンティル(歯状装飾)がつけられる。ドリス式に比べてイオニア式の細部は装飾が豊富で、優雅な印象を与える。

このほかに、アカンサスの葉や渦巻で装飾された柱頭を特色とするコリント式と呼ばれるオーダーもある。しかしギリシア時代のコリント式は柱頭が違うだけで、他はイオニア式とほとんど同じであった(オーダーの項目も参照して欲しい)。

これらの神殿建築の理想は、建築を構成する各部材がそれにふさわしい完ぺきな美しさをもち、部材相互間、および全体と各部材の間に理にかなった均衡(シュンメトリア)を保ちつつ、周囲の自然と対立的に調和することであった。この理想はドリス式においては、オリンピアのゼウス神殿、パエストゥムのポセイドン神殿などを頂点とする、紀元前5世紀前半の神殿において達成された。バッサイのアポロン神殿、アテナイパルテノン神殿など、紀元前5世紀後半の神殿では、早くもイオニア式との混交が始まり、その後、イオニア式に近い、より軽快な比例に変わってゆく。そして、ヘレニズム時代以後は、ドリス式神殿はほとんど建てられなくなった。

イオニア式神殿は、クラシック時代盛期には、アテナイのアテナ・ニケ神殿、エレクテイオンなどのほかには残存遺構が乏しい。再建されたエフェソスアルテミス神殿、サルディスのアルテミス神殿、ディデュマのアポロン神殿などの巨大神殿、プリエネのアテナ神殿、マグネシアのアルテミス神殿など有名な神殿はクラシック時代末期からヘレニズム時代に多い。コリント式神殿は小アジアのウズンジャブルチのゼウス神殿、アテナイのオリュンピエイオンなど、ヘレニズム時代に入ってからである。

Agora-Athens
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Agora-Athens

[編集] 公共建築、住宅

アゴラの周りに建てられる公共建築は、多くは前面に柱を立て並べ、三方を壁で囲った長大なホール(ストア)の形式をとっていた。列柱は正面だけのこともあり、中央にもう1列あるものもある。この場合、内部列柱の柱間は正面の柱間の2倍となっているのが普通である。またストアの奥壁にそって、事務所、商店、集会室などに使われる小部屋が並んでいることもある。ヘレニズム時代には2階建ての、いわゆるペルガモン風ストアが盛んに建てられた。アテナイの「アッタロスのストア」がその例である。ときには四方に建てられたストアが共通の中庭に向かって柱廊を開いていることもある。この場合は外部に向かって閉鎖的な列柱中庭(ペリステュロス)を構成することになる。ギリシア都市のアゴラはこのようなストア群で取り囲まれており、それぞれの個性をもったストアの、ほぼ同じ高さの開放的な列柱群が広場に秩序と統一感をつくり出すことになる。

市政の最高機関である長老たちの会議場(プリュタネイオン)は、公衆のための食堂と会議場をもっているが、議員数がせいぜい数十人であるから、その建物はヘレニズム時代に発展したペリステュロス住宅に似ている。数百人から千人近くの議員をもつ評議会場(ブレウテリオン)は、長方形広間の3方に階段席を設け、屋根のある小劇場に似た形をしており、演奏会場(オデイオン)とほとんど区別がつき難い。劇場は斜面を利用して鉢状の観覧席(テアトロン)を造り、中央に円形の土間(オルケストラ)がある。その奥に2階建ての建物(スケネ)が建つ。舞台(ロゲイオン)はその2階床面の高さに造られ、舞台の下および後ろは芝居の背景や楽屋として使われた。

最大でも人口5万を超えなかったと思われる古代ギリシア都市では生活に要する水は天然の泉に頼っていて、公共の泉は古くから建てられていたが、都市的規模の水道はヘレニズム時代以後のことであった。市内に東西、南北の直交道路を碁盤目状に通し、市内の敷地を聖域、公共用地、私有地に明確に区分する、いわゆるヒッポダモス風の都市計画は、前5世紀ころより普及し、やがてヘレニズム期の都市計画の基本となった。各街区は15メートルから20メートル角の宅地に細分され、1戸あたりおよそ220平方メートルから300平方メートルを占めるのが標準的であった。最も多く見られる住宅平面は、敷地の北側と東側、西側にコの字形に建物を建て、ほぼ中央にパスタスと呼ばれる広い廊下状の空間が東西方向にとられている。パスタスの南側中央は中庭(高級住宅ではペリステュロス)になり、客間(アンドロン)、居間(オエクス)などの主要な居室はパスタスの北側に並べられていた。

[編集] 彫刻

Funeral statue woman
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Funeral statue woman

ギリシアの建築、彫刻、絵画の中で最もギリシア的特徴をもつものは彫刻であるといわれる。ギリシア彫刻をその目的から分類すると、神殿や聖所の礼拝像、神域に立てられる奉納像、死者への哀悼を表す墓像や墓碑浮彫、戦勝や競技の優勝を祝う記念像、神殿の破風やメトープ、フリーズを飾る建築彫刻などであり、ギリシア彫刻は本来ほとんどが直接・間接に神に奉仕する宗教性の強いものであった。彫刻の材料としては青銅大理石が最も普通で、小型像には粘土象牙、ときにはガラスなどが用いられた。石造彫刻では肌、頭髪、ひげ、口、衣装、刺斥などが鮮やかに彩色され、武器、冠、装身具などは別に金属でつくりつけられた。残念なことに、ギリシア彫刻で現存するものは比較的少ない。とくにクラシック時代の巨匠の手になる原作はほとんどが失われている。しかし、古代ローマに作られた多数のギリシア彫刻の模作や大プリニウスの『博物誌』、パウサニアスの『ギリシア地誌』、その他の古文献や碑文などを手がかりにして、ギリシア彫刻の歴史はかなりのところまで再構成できる。

紀元前10世紀から紀元前8世紀にかけての幾何学様式時代には、青銅、テラコッタ、象牙の小型像が残るにすぎない。古文献によって、クソアノンと呼ばれる単純・素朴な木彫神像のあったことが知られるが、現存するものはない。本格的な大型の石造彫刻は、アルカイク時代の紀元前7世紀中頃にエジプトの刺激によって成立した。デロス島出土の『ニカンドラの奉納像』やルーブル美術館蔵の『オーセールの婦人像』などは、最も初期の作例であり、その平板な形に木像の名残をとどめている。

紀元前7世紀末からアルカイク時代を通じて、多数の等身大あるいはそれ以上のクーロス像が作られた。アルカイク初期の作品には『スーニオンのクーロス』『メトロポリタンのクーロス』『クレオビスとビトン』の兄弟像などがあり、中期には『テネアのアポロン』、後期には戦闘中に倒れた兵士『クロイソスの墓像』などがある。初期の作品では、人体の把握はまだ未熟で、プロポーションは不自然、頭髪や手足の関節部などの細部の表現はまったく型にはまっているが、中期・後期になるにしたがって、身体各部はしだいに均斉のとれた有機的関連をもち、自然で正確な描写に近づいてくる。他方、着衣のコレー像も多く作られ、とくにアクロポリスの丘上で発掘された彩色の跡をとどめる一群の優雅なコレー像は魅力的である。アルカイクの彫刻には、このほかにもアクロポリスで出土した『ランパンの騎士』『子牛を担う人』『ザクロを持つ女神』、デロス島出土の『飛走するニケ』、サモス島出土の円柱状の『ケラミュエスの奉納像』などがある。これらの作品はいずれも身体の中央軸が一直線をなし、像の姿勢はつねにこの軸を中心に左右相称を守っている。神殿を飾る建築彫刻では、紀元前6世紀初頭のコルフ島のアルテミス神殿破風の浮彫をはじめ、セリヌスのC神殿のメトープ、アテナイのアクロポリスの『ヘラクレスとトリトンの格闘』の石灰岩破風と『神々と巨人の戦い』の大理石破風、デルフォイの「シフノス人の宝庫」のフリーズと「アテナイ人の宝庫」のメトープなどがあり、アルカイクの最終段階にはアイギナ島のアファイア神殿の破風群像『トロイア戦争』のような傑作が生まれている。

紀元前5世紀前半の厳格様式時代に入ると、彫像の口もとから明朗なアルカイク・スマイルは消え、アクロポリスの『金髪の青年首部』や『エウテュディコス奉納の少女像』などのように、厳しく重苦しい印象が彫像の形姿全体から感じられる。人体の把握はアルカイクに比べて格段に正確になったが、まだ次代の盛期クラシックがもつ優美さには達してはいない。しかしながら男性立像にはアクロポリスの『クリティオスの少年』に見られるように、直立像にわずかながら立脚と遊脚の区別が現れ、そのため像の中央軸はこれまでの垂直線から少しずつ湾曲し始めるのである。この時代の代表作には、2個の青銅像『デルフォイの御者』と『アルテミシオンのゼウス』があり、浮彫には有名なルドビシ玉座の『アフロディテの誕生』がある。紀元前460年頃に完成したオリュンピアのゼウス神殿の破風群像と12枚のメトープ浮彫とは、厳格様式の最後を飾る傑作である。

「崇高な様式」と呼ばれる紀元前5世紀後半の盛期クラシックには、ミュロン、フェイディアス、ポリュクレイトスの3巨匠が活躍した。ミュロンは『円盤投げ』などの作品に見るように人体の激しい動きの中の一瞬をとらえることに優れ、フェイディアスは、古代最高の神殿作家の名にふさわしく、高貴・厳粛な彫像を制作した。また、フェイディアスがアクロポリス復興事業の総監督であったことから、パルテノン神殿の92面のメトープ浮彫、祭典行列を表した全長約160メートルのフリーズ浮彫、守護女神アテナの神話を扱った東西破風の群像の中にが、フェイディアスの壮大な芸術的構想が反映していると見ることができる。アルゴス派の巨匠ポリュクレイトスは、コントラポストの手法によって、男性立像の表現に古典的解決を与えた。彼はまた人体のプロポーションを研究して『カノン』を著し、このカノンに基づいて『槍をかつぐ青年』や『勝利の鉢巻を結ぶ青年』を制作した。紀元前4世紀の後期クラシックに入ると、彫像の形姿はしだいにより優しく軽快なものに変わり、気品と自信に満ちた神の顔は、より人間的・情緒的な表情を帯びてくる。いわゆる「優美な様式」の成立である。この時代、アテナイのプラクシテレスは『クニドスのアフロディテ』において初めて女神を全裸の姿で表現し、『トカゲを殺すアポロン』や『オリュンピアのヘルメス』において、親しみあふれる人間的な神の形姿を創造した。パロス島出身のスコパスは、『ポトス(あこがれ)』や『狂乱のマイナス』などの作品で人間の激しい内面的感情の高まりを表すことに成功した。アレクサンドロス大王の宮廷彫刻家であったリュシッポスはアレクサンドロス大王のほか多数の肖像を作り、また競技選手を表した『アポクシュオメノス』では、大胆に彫像の前後の奥行き空間を表現している。

紀元前4世紀末のアレクサンドロス大王の遠征の結果、彫刻の中心地はギリシア本土から、ロドス島ペルガモンアレクサンドリアアンティオキアなどの東方に移った。クラシック時代の「崇高」「優美」な理想主義に代わって、彫刻家の現世的・写実的関心が高まり、未熟な幼児や盛りを過ぎた老人、黒人やガリア人のような異民族、それに世俗的、劇的、激情的、官能的なものが好んで主題に取り上げられた。日常的情景を写した『酔える老婆』『眠るサテュロス』、悲劇的な異邦人の最期を写した『采死のガリア人』、断末魔の苦痛を表す『ラオコオン』、力強い運動感にあふれる『サモトラケのニケ』、強い明暗効果の中で錯綜した闘争場面を表すペルガモンのゼウス祭壇浮彫『神々と巨人の戦い』などは、ヘレニズム美術の特徴をよく示している。紀元前4世紀に始まるアフロディテの裸体表現は、この時代にとくに愛好され、有名な『ミロのビーナス』をはじめ『メディチのビーナス』『カピトリーノのビーナス』『キュレネのビーナス』などの立像や、紀元前3世紀にドイダルサスが創始した『うずくまるアフロディテ』型の女神像が数多く制作された。しかし、その多くはかつての神性を希薄にし、女神の名のもとに成熟した豊満な女性の肉体を賛美するものに変わっていた。ギリシア彫刻は、その本来の宗教的性格を失うにつれて、しだいに退潮に向かっていったのである。

[編集] 陶器

ギリシア陶器はそれぞれの時代と装飾様式にしたがって、おおむね次の4つに分類される。第1期は紀元前11世紀頃の原幾何学様式に続く紀元前9世紀から紀元前8世紀にかけてであり、アテナイを中心に幾何学様式が著しい発展をみた。そのモチーフならびに表現は雷文、ジグザグ文、菱形文、波状文、網目文など硬直な連続文からなり、これらが器全面を埋めている。ディピュロンの墓地から出土したいわゆる「ディピュロンのアンフォラ」と呼ばれる高さ1メートルに及ぶ一連のアンフォラはその典型である。第2期は紀元前8世紀から紀元前7世紀末におけるオリエント様式の時代で、この期は有翼獣や植物をモチーフとしたオリエント陶器の影響を強く受けた。これらの窯業の中心はコリントおよびエーゲ海域で、別名「コリント式陶器」とも呼ばれる。これらは先の幾何学様式に比べて全般に器形が小さくなり、一方、東方的なモチーフの動・植物の表現は著しく優美となる。第3期は紀元前6世紀初頭から末に至るアッティカ黒絵式陶器の誕生で、ここに初めて太古の神話伝説をモチーフとした人物が装飾の主役となった。紀元前6世紀の後半にはアマシスの画家やエクセキアスらの優れた陶画家が活躍し、黒絵式陶器はアテナイを中心に著しい発達をみた。器の表面を褐色地で埋め図像を黒くシルエット風に描き、その細部を鋭い尖筆で形どる黒絵式の技法はすでにコリント式陶器に見られるが、図像の表現に物語性を導入し、ときには図像の人物の内的感情を表している点で次の赤絵式陶器と並んでギリシア人の人間観をよく表しているものといえる。第4期は紀元前6世紀末の赤絵式の発明以後で、これはアテナイのアンドキデスの画家によって紀元前530年に考案されたとされている。先の黒絵式とは逆に図像を黒い背景から浮かび上がらせ、細部を筆により濃淡をもって表すことにより、人間感情を自由に表現することが可能となり、またその主題も単に神話伝説に限らず、日常生活の一こまなど現実性を加えることによって著しく多様となった。その後エウフロニオスやエウテュミデースらの陶画家が出るに及んで、紀元前5世紀中頃より赤絵式陶器は黄金時代を迎え、これらはイタリア半島黒海沿岸にまで多量に輸出された。

[編集] 器形と用途

初期の段階では陶器の種類は比較的少なかったが、古典期以後、ギリシア陶器の器形はその用途に応じてほぼ30種を数える。これらのうち、アンフォラ、ペリケー、スタムノスは主としてブドウ酒、油、はちみつ、小麦などの貯蔵用の器、クラテル、プシュクテル、レベス、カンタロス、ディノスは酒宴用、キュリクス、スキュフォスは飲酒用の盃、小さなレキュトス、アリュバロス、アラバストロンは香油入れ、ただし紀元前5世紀以降の白地レキュトスは葬祭用にのみ供せられた。口縁部が三葉形をなすオイノコエは水さし(または酒つぎ)、垂直あるいは水平の把手のあるヒュドリアは婦人が泉から水を耀むための水甕、長頸のルトロフォロスとレベス・ガミコスは婚礼の花嫁用、円筒形の蓋付きのピュクシスは婦人用の化粧箱、そのほかに皿、鉢、碗などがあった。

[編集] 技法

成形はすべて轆轤による。その最古の例はミケーネ時代のトロイア第2市から出土した陶器に轆轤の跡が見られる。ギリシアの轆轤は普通は木、テラコッタ、もしくは石で作られた直径60センチメートルから~70センチメートルの円形ないし四角形の手轆轤で、徒弟の少年が師匠の指示に従って手で回した。陶器の装飾は赤褐色の地色と黒色の釉薬からなっているが、ギリシア陶器で一般に釉薬と呼ばれている光沢ある黒は同じ陶土から得られたもので、厳密な意味でのガラス質の釉薬ではない。焼成は一度に連続して3段階、すなわち酸化、次に還元、最後に再酸化の順で行われる。焼成温度はだいたい摂氏800度から950度と推察されている。

[編集] 工芸

ギリシアの工芸は質・量ともに第1に陶器があげられるが、ほかにタナグラ人形をはじめとするテラコッタ小像、黄金細工、青銅器、彫玉、ガラス器、金・象牙細工(クリュセレファンティノス)などの優れた作品も少なくない。例えば青銅の技術では単に大彫刻に限らず、初期にはオリュンピア出土のグリフォン、兵士や馬の小彫像、鏡、ビクス出土の巨大なクラテル、黄金細工ではロドス島出土の打出しの黄金板、紀元前5世紀の金・銀製の装身具などがあり、象牙の侯、不透明・多彩色のガラス器など多くの優品をあげることができる。最大の出土品は1977年テッサロニキの南西70キロメートル、ベルジナのフィリッポス2世の墳墓から出土したおびただしい数の財宝である。多種の宝石を象嵌した工芸品、青銅器、鉄器、ガラス細工などはいずれも精緻をきわめ、高い技術水準を物語る。

[編集] ギリシア美術の収集と研究

近代ヨーロッパ人のギリシア美術に対する関心は、古代文芸の研究が盛んになるルネサンス時代からしだいに高まった。バチカンにあった『ベルベデーレのトルソ』や『アポロン像』、1506年ローマで発見された『ラオコオン』群像などが、ミケランジェロラファエロらの美術家の創作やレッシングゲーテらの芸術理論に大きな影響を与えたことはよく知られている。その後も歴代のローマ教皇はじめ、ボルゲーゼ、ファルネーゼ、バルベリーニ、キジなどのイタリアの名門、ヨーロッパ各地の国王、貴族、富豪らは競って古代美術品の収集に努めた。一方、17世紀18世紀にはギリシアを訪れる西欧の旅行者の数も増え、スポン、レベット、ステュアートらは旅行の見聞録や古代建築遺構のスケッチなどを発表し、ドイツのヴィンケルマンは『古代美術史』(1764年)その他の著作によってギリシア美術の歴史的・体系的研究の基礎を築いた。18世紀末には、それまで関心の対象にならなかったギリシア陶器(当時はエトルリア陶器と考えられていた)の収集が、ナポリ駐在のイギリス外交官ハミルトンによって始められた。19世紀初めイギリス外交官エルギンはパルテノンの彫刻を中心に大量の大理石作品を母国に運び、イギリスの建築家コッカレルらはアイギナ島のアファイア神殿やバッサイのアポロン神殿を発掘調査し、その装飾彫刻をすべて持ち去った。古代美術品の国外持出しが禁止されたのは、1830年頃、ギリシアが激しい解放戦争の末にオスマン帝国の支配を脱してから後のことである。1875年、ドイツの考古学者たちはオリュンピアにおいて、初めて近代的方法による発掘を始めたが、これをきっかけとしてアテネ(アクロポリス、アゴラ、ケラメイコス)、デルフォイ、デロス、コリントス、ペルガモンそのほか大小の遺跡が、欧米諸国の考古学者の手でつぎつぎに発掘された。こうして19世紀以来ますます豊かになった美術資料に基づいて、ブルン、フルトヴェングラー、クルティウス、デルプフェルト、コンツェ、ニュートン、コリニョン、レナック、ミハエリスらの先駆的学者が、19世紀後半、ギリシア美術の基礎的研究に大きく貢献した。

[編集] ギリシア美術の後世への継承

ラテン語のクラシクス (classicus)、すなわち「最上級の」という語は、古代ローマ人が模範とすべき第一級のギリシアの文学・美術を指して用いたことに始まる。美術においては「崇高」「優美」な紀元前5世紀紀元前4世紀の様式を範とする。このような古代ギリシア美術への憧憬は古代ローマではすでにアウグストゥス時代に始まり、優れたギリシア彫刻が模倣され、またそれらの様式を典拠として多くの彫刻が制作された(グレコ・ロマン様式)。近世以降、静穏で端正な人間像を基調とする古代美術の様式ならびに古代の神話をモチーフとした作品が多数制作された。

新古典主義を参照)

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