イワン・レンドル
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イワン・レンドル(Ivan Lendl, 1960年3月7日 - )は、旧チェコスロバキア・オストラヴァ出身の男子プロテニス選手。右利き。1980年代の男子テニス界に君臨した名選手である。4大大会通算8勝はフレッド・ペリー、ケン・ローズウォール、ジミー・コナーズ、アンドレ・アガシと並ぶ男子テニス歴代7位タイ記録。世界ランキング1位の生涯保持記録「279週」は男子歴代2位。ATPツアーでシングルス94勝を挙げた。重いトップスピン(順回転)のグラウンド・ストロークを武器にしたベースライン・プレーヤーである。また、現役中から大のゴルフ好きである。(ただし、ゴルフだけは左打ちである。)
1978年にプロ入り。1981年の全仏オープンで、21歳にして初めての4大大会決勝進出を果たす。この時レンドルは、大会4連覇を達成したビョルン・ボルグに 1-6, 6-4, 2-6, 6-3, 1-6 のフルセットで敗れた。1982年から1989年まで、8年連続で全米オープン決勝進出を果たしたが、最初の2回はジミー・コナーズに連敗している。1983年2月8日、初めて世界ランキング1位になった。しかしこの年は、年末の全豪オープン決勝でもマッツ・ビランデルに敗れる。最初期は4大大会準優勝が4度あり、“万年準優勝”のイメージがあった。
1984年の全仏オープンで、ついに宿願の4大大会初優勝を達成する。クレーコート(赤土)の本大会を苦手にしてきたジョン・マッケンローとフルセットを戦い、3-6, 2-6, 6-4, 7-5, 7-5 で2セット・ダウン(先に相手に2セットを取られた状態)からの大逆転勝利を収めた。しかし全米オープン決勝ではそのマッケンローに完敗し、3年連続の準優勝になる。1985年の同大会決勝戦でマッケンローに雪辱を果たし、4年連続の決勝進出でついに全米オープン初優勝を実現させた。以後1987年まで大会3連覇を達成。
1986年の全仏オープンで2年ぶり2度目の優勝。この年は苦手な芝生のウィンブルドンでも初の決勝進出を果たしたが、当時18歳のボリス・ベッカーに完敗している。1987年の成績も全仏優勝、ウィンブルドン準優勝、全米優勝となる。ウィンブルドン決勝戦ではオーストラリアのパット・キャッシュに敗れて、2年連続の準優勝に終わった。ウィンブルドン選手権はレンドルにとって“鬼門”の大会となってきたが、プロテニス選手が最も優勝したいと願う“聖地”のタイトルだけは、どうしても手が届かなかった。
1988年はマッツ・ビランデルが年間3冠を獲得した年になり、レンドルも全米オープン決勝戦でビランデルに4時間を超えるフルセットの末に敗れて、大会4連覇を逃している。レンドルは1985年から「157週」連続で世界ランキング1位の座を保持してきたが(連続保持記録は男子歴代2位)、それもビランデルに止められた不本意な年だった。
1989年1月、全豪オープンでついに宿願の初優勝を達成。1985年までの全豪オープンは、クーヨン・テニスクラブの芝生コートで行われていたが(レンドルの苦手なコート)、1987年からメルボルン市のナショナル・テニスセンターのハードコートに移転した。ハードコートになった全豪で、レンドルは前年のソウル五輪金メダリスト、ミロスラフ・メチージュを破って優勝した。全米オープン決勝進出はこの年が最後になり、ボリス・ベッカーに敗れる。1990年の全豪オープンで大会2連覇を達成。しかし全米オープンの準々決勝で、当時19歳のピート・サンプラスに敗れ、ここでの連続決勝進出記録が止まった。1991年の全豪オープンで3年連続の決勝進出を果たすが、ボリス・ベッカーに敗れて大会3連覇を逃した。これがレンドルの最後の4大大会決勝戦となる。キャリア通算で「19度」の進出となり、「8勝11敗」で終わった。
キャリアが晩年に入ってから、レンドルは1992年にアメリカ市民権の取得を認められた。1994年に腰痛の悪化のため、34歳で現役を引退した。2001年に国際テニス殿堂入りを果たしている。
[編集] 4大大会優勝
- 全豪オープン:2勝(1989年&1990年) [準優勝2度:1983年、1991年]
- 全仏オープン:3勝(1984年、1986年、1987年) [準優勝2度:1981年、1985年]
- 全米オープン:3勝(1985年~1987年) [大会3連覇、1982~1989年の8年連続決勝進出]
- (ウィンブルドン準優勝2度:1986年&1987年)
年 | 大会 | 対戦相手 | スコア |
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1984年 | 全仏オープン | ジョン・マッケンロー | 3-6, 2-6, 6-4, 7-5, 7-5 |
1985年 | 全米オープン | ジョン・マッケンロー | 7-6, 6-3, 6-4 |
1986年 | 全仏オープン | ミカエル・ペルンフォルス | 6-3, 6-2, 6-4 |
1986年 | 全米オープン | ミロスラフ・メチージュ | 6-4, 6-2, 6-0 |
1987年 | 全仏オープン | マッツ・ビランデル | 7-5, 6-2, 3-6, 7-6 |
1987年 | 全米オープン | マッツ・ビランデル | 6-7, 6-0, 7-6, 6-4 |
1989年 | 全豪オープン | ミロスラフ・メチージュ | 6-2, 6-2, 6-2 |
1990年 | 全豪オープン | ステファン・エドベリ | 4-6, 7-6, 5-2 (棄権) |
[編集] 4大大会男子シングルス優勝記録
- 1位:14勝 ピート・サンプラス(アメリカ)
- 2位:12勝 ロイ・エマーソン(オーストラリア)
- 3位タイ:11勝 ロッド・レーバー(オーストラリア)、ビョルン・ボルグ(スウェーデン)
- 5位:10勝 ビル・チルデン(アメリカ)
- 6位:9勝 * ロジャー・フェデラー(スイス)
- 7位タイ:8勝 フレッド・ペリー(イギリス)、ケン・ローズウォール(オーストラリア)、ジミー・コナーズ(アメリカ)、イワン・レンドル(チェコスロバキア)、アンドレ・アガシ(アメリカ)
- 12位タイ:7勝 ルネ・ラコステ(フランス)、アンリ・コシェ(フランス)、ジョン・ニューカム(オーストラリア)、ジョン・マッケンロー(アメリカ)、マッツ・ビランデル(スウェーデン)
- *は現役選手。
[編集] 関連項目
男子テニス世界ランキング1位 | |
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アンドレ・アガシ | ステファン・エドベリ | エフゲニー・カフェルニコフ | ジム・クーリエ | グスタボ・クエルテン | ジミー・コナーズ | マラト・サフィン | ピート・サンプラス | イリ・ナスターゼ | ジョン・ニューカム | レイトン・ヒューイット | マッツ・ビランデル | ロジャー・フェデラー | ファン・カルロス・フェレーロ | ボリス・ベッカー | ビョルン・ボルグ | ジョン・マッケンロー | トーマス・ムスター | カルロス・モヤ | パトリック・ラフター | マルセロ・リオス | イワン・レンドル | アンディ・ロディック | |
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