レイトン・ヒューイット
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レイトン・ヒューイット(Lleyton Hewitt, 1981年2月24日 - )は、オーストラリア・アデレード出身の男子プロテニス選手。オーストラリアン・フットボールで鍛え上げた強靭な足腰を生かし、どんな球にも喰らいつく足の速いストローク・プレーヤーである。非常に早熟な才能を持ち、1998年1月に弱冠16歳の若さでATPツアー初優勝を果たしている。2000年に世界トップ10入り。2001年と2002年の2年連続で、年間ランキング1位の座についた。
1999年の男子団体戦・デビスカップで、マーク・フィリプーシスらとともにオーストラリアを13年ぶり27度目の優勝に導いた。4大大会では2001年の全米オープンと2002年のウィンブルドン選手権で優勝。しかし2003年のウィンブルドン選手権の1回戦、オープニング・マッチ(前年優勝者が初戦でセンター・コートの第1試合に出る慣例がある)でイボ・カルロビッチ(クロアチア)の時速 210km/h を超える高速サーブの前に敗れてしまい、同選手権の男子大会で1967年のマニュエル・サンタナ(スペイン)以来36年ぶりの屈辱をなめた。2004年の全米オープン決勝ではロジャー・フェデラーに 0-6, 6-7, 0-6(0-6 が第1・第3セットの2つあった)で完敗し、同大会で3年ぶりの優勝を逃す。2005年の全豪オープンでは地元選手としてパット・キャッシュ以来17年ぶりの決勝進出を果たしたが、ロシアのマラト・サフィンに 6-1, 3-6, 4-6, 4-6 で敗れて地元優勝を逃した。
2000年からベルギーの女子テニス選手、キム・クライシュテルスと交際を始める。同年のウィンブルドン選手権で2人のペアは混合ダブルスで準優勝した。それ以後はテニスのトーナメント中にお互いの試合を応援するようになり、2003年12月に婚約したが、2004年10月22日にクライシュテルスが彼女の公式ホームページで婚約解消を発表した。その後ヒューイットは、2005年7月21日にオーストラリア人女優のベック・カートライトと結婚した。
日本のジュニアの選手が大事なポイントを決めた時に叫ぶ「COME ON!」は、ヒューイットの影響だと言われている。彼は以前から、コートマナーの悪さでテニス関係者から非難されることが多かった。前述の言葉を相手のミスショットにも使ったり、最たる例は優勝した2001年全米オープンの2回戦で、黒人選手ジェームズ・ブレーク(アメリカ)に対する問題発言などのトラブルを起こしたこともある。
[編集] 4大大会優勝
年 | 大会 | 対戦相手 | スコア |
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2001年 | 全米オープン | ピート・サンプラス | 7-6, 6-1, 6-1 |
2002年 | ウィンブルドン | ダビド・ナルバンディアン | 6-1, 6-3, 6-2 |
[編集] 関連項目
男子テニス世界ランキング1位 | |
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アンドレ・アガシ | ステファン・エドベリ | エフゲニー・カフェルニコフ | ジム・クーリエ | グスタボ・クエルテン | ジミー・コナーズ | マラト・サフィン | ピート・サンプラス | イリ・ナスターゼ | ジョン・ニューカム | レイトン・ヒューイット | マッツ・ビランデル | ロジャー・フェデラー | ファン・カルロス・フェレーロ | ボリス・ベッカー | ビョルン・ボルグ | ジョン・マッケンロー | トーマス・ムスター | カルロス・モヤ | パトリック・ラフター | マルセロ・リオス | イワン・レンドル | アンディ・ロディック | |
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