マラト・サフィン
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マラト・サフィン(Marat Safin, Мара́т Михайлович Са́фин,外国人名の日本語表記に即したより正確な読みは、マラート・サーフィン 1980年1月27日 - )は、ロシア・モスクワ市出身の男子プロテニス選手。右利き。2000年の全米オープンと2005年の全豪オープンで優勝し、4大大会2勝を挙げた実力者である。1996年の全仏オープンで優勝したエフゲニー・カフェルニコフに続き、ロシアの男子テニス選手として2人目の4大大会優勝者になった。身長193cmの長身から放たれる「キャノン・サーブ」という愛称の弾丸サーブと、両手打ちバックハンドの技術の中でも「ジャックナイフ」を得意にしている。これまでにATPツアーでシングルス15勝を挙げている。6歳年下の妹ディナラ・サフィナもプロテニス選手である。
1997年にプロ入り。1998年の全仏オープンで予選を勝ち上がり、本戦では1回戦でアンドレ・アガシ、2回戦で大会前年優勝者のグスタボ・クエルテンを破る大活躍で有名になった。この時は地元フランスのセドリック・ピオリーンとの4回戦まで勝ち進んでいる。この年は全米オープンでも4回戦まで進出し、18歳の早熟な才能を世界にアピールした。1999年は活躍が少なかったが、2000年の全仏オープンでベスト8に進出し、世界トップ10入りを果たす。同年の全米オープン決勝でピート・サンプラスを 6-4, 6-3, 6-3 のストレートで破り、20歳の若さで4大大会初優勝を果たした。それまでサンプラスは4大大会決勝戦で「13勝2敗」の圧倒的な強さを誇っていたが、このサフィンとの全米決勝は年齢的な衰えを感じさせる試合だった(当時29歳)。サフィンの優勝は“サンプラスの決勝不敗神話”を覆した勝利として評判になり、2001年5月には第2回「ローレウス・スポーツ賞」の「最優秀新人賞」まで授与された。
2005年の全豪オープン決勝で地元オーストラリアのレイトン・ヒューイットを 1-6, 6-3, 6-4, 6-4 で破り、5年ぶりに4大大会のタイトルを獲得する。この大会では過去に2度の準優勝があり、2002年の決勝戦ではスウェーデンのトーマス・ヨハンソンに、2004年はロジャー・フェデラーに敗れていたが、“3度目の正直”で全豪初優勝を飾った。
サフィンのテニスには荒々しい雰囲気があり、感情が顔に出やすいタイプである。彼はメンタル・コントロールに難点があり、試合中にラケットや椅子を破壊している姿がよく見られる。本人も自分の感情のコントロールを最大の課題と認めている。サフィンのランキングの上下が激しいのもそのためで、調子が良ければロジャー・フェデラーにも打ち勝つなど、本来持つその強さは折り紙つきである。(普段は相性の悪い相手だが、優勝した2005年全豪オープンの準決勝でフェデラーを破った。)フェデラーとトップのしのぎを削るライバルといえばラファエル・ナダル、レイトン・ヒューイット、アンディ・ロディックだが、その中でもサフィンの才能は(フェデラーを含めても)ずば抜けていると言われる。フェデラーと違って安定した強さは見せないが、その爆発力は世界トップクラスと言える。
[編集] 関連項目
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