MiG-25 (航空機)
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MiG-25(ミグ25;ロシア語:МиГ-25ミーグ・ドヴァーッツァチ・ピャーチ mig dvadtsat' pyat')はソ連のミグ設計局がソ連防空軍向けに開発したマッハ3級の航空機。迎撃戦闘機型と偵察機型などがあった。北大西洋条約機構(NATO)は、MiG-25シリーズに対し「フォックスバット」(Foxbat:「大蝙蝠」)というNATOコードネームを付与した。初飛行は1964年。
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[編集] 概要
[編集] 開発
当初、MiG-25はアメリカが開発していたマッハ3で巡航する爆撃機XB-70(のちに開発中止)の迎撃を目的として開発された、と西側では考えられていたが、現在ではA-11(正しくはA-12、のちのSR-71ブラックバード偵察機)の迎撃を目的に開発されたと考えられている。MiG-25は最高速度が非常に速く、時速3,000km(約マッハ2.83)での飛行を目標に設計されており(マッハ3ではない)、実用化された戦闘機としては最速である。但し、イスラエルのレーダーにマッハ3.2で飛行する様子が確認されたとの話もあり、実際中東方面ではマッハ3以上の速度での飛行は普通であったようである(中東上空にてマッハ3.4を記録している-出典『ミグ戦闘機―ソ連戦闘機の最新テクノロジー メカニックブックス』原書房から)。超音速機の最高速度というのは、エンジンの出力限界ではなく機体の耐用限界であるのが普通であり、本機の場合はしばしば限界を越えての運用がなされたという事であろう(例えばSR-71の最高速度も、コックピットの窓ガラスの強度による限界である)。また、迎撃戦闘機型のMiG-25Pと同時に偵察機型のMiG-25Rが開発されたが、これはSR-71に匹敵する高速の偵察機となった。
MiG-25は、Ye-150をはじめソ連で数多く研究・開発されてきたマッハ 3級航空機の中で初めて成功を収めた念願の機体となった。MiG-25Pは、それまでの迎撃戦闘機Su-9、Su-11を代替してソ連防空軍の主力機となっていった。一方、MiG-25Rとその派生型偵察機などはソ連空軍での前線任務に入った。また、最高高度到達記録の35.6kmなど、米国のSR-71やF-15ストリークイーグル(ストライクではない)と共に多くの記録を保持している(雑誌『航空情報』より)。
[編集] アメリカ合衆国の不安の発生と解消
MiG-25のその最高速度やノズル、空気取り入れ口のサイズからアメリカはターボファンエンジンを搭載した航続距離の長い非常に高性能な機体であると予測した。そのころ、アメリカが使用していた戦闘機は機動性が悪いものが多くMiG-25に対抗できるものはないとして危機感を覚え機動性がよいF-15を開発することとなった。
しかしMiG-25の実際の性能は1976年のベレンコ中尉亡命事件によって明らかになる。1976年9月6日、ヴィークトル・イヴァーノヴィチ・ベレンコ(Виктор Иванович Беленко)中尉が搭乗するMiG-25が演習中に突如急降下し日本に向かって飛行を開始した。これを日本のレーダーが捉え、領空侵犯の恐れがあるとして急遽千歳基地のF-4EJがスクランブル発進を行った。日本に向かってくるMiG-25を探すが、レーダーサイトのレーダーはMiG-25が低空飛行に移ると探知することはできず、またF-4EJのレーダーは上空から低空目標を探す能力(ルックダウン能力)が低く、MiG-25を発見できなかった。結局そのままMiG-25は函館空港に強行着陸した。このことによって日本のレーダー網の虚弱性が判明、日本は空中から低空目標を探せる早期警戒機のE-2Cを導入することとなる。
そしてこのMiG-25を分解調査したところ
- チタニウムを大量に使用していると見られていたが、実際にはニッケル鋼が多く使われていた。マッハ3での飛行は機体表面を300℃に過熱させる。
- そのことからMiG-25が安全に飛行できる最高速度はマッハ2.83程度。
- 迎撃に特化した戦闘機であり、機動性などもそれほどよくはない。
- 巨大なエアインテークとノズルは当初予想されていたターボファンではなく、ターボラムジェット採用によるものであった。
- 電子機器はハイテクを駆使していると見られていたが実際にはオーソドックスな真空管が多く使われており先進性より信頼性を重視したものとなっていた。方式は旧式であったが、しかしこのためレーダーの出力はきわめて大きいものとなり、相手方の妨害電波に打ち勝って有効であったと伝えられている(『週間ワールドエアクラフト』より)。
などのことが判明、結局西側諸国の過大評価であったことがわかった。
なおその後ベレンコ中尉は取り調べの後、希望通りアメリカへ亡命。MiG-25はソビエトに返還された。
[編集] 主な派生型
ベレンコ中尉の齎した機体は迎撃戦闘機型のMiG-25Pであったが、亡命事件を受けてソ連では搭載するレーダーを変更して赤外線追跡装置を搭載するなどの改設計を行ったMiG-25PDを開発、以降はこの機体が配備されていった(MiG-25PDにも数シリーズあり、初期のものは外見上MiG-25Pに似ている)。また、既に配備されていたMiG-25PもPD規格のMiG-25PDSに改修された。その他、MiG-25には迎撃戦闘機型以上に重要な偵察機型(MiG-25RBなど)もあり、中東地域を中心に使用された。また、偵察機型に準じた機体の敵防空網制圧機型はMiG-25BM、戦闘機型の複座練習機型はMiG-25PU、偵察機型のそれはMiG-25RUである。
[編集] 冷戦後
MiG-25の運用上最大の欠点は時速3,000kmの飛行に耐えるよう設計された機体のデリケートさと機体やエンジンの整備の煩雑さ、許容しがたい燃料消費量の多さなどであり、MiG-25はこうした運用効率の悪さから冷戦終結後は冷遇された。ロシアでは他に代替機のない各種偵察機型とMiG-25BM、及び各種試験にも用いられる複座型が運用されているが、それ以外は退役していると思われる。ウクライナやベラルーシでも全機が独立後数年以内に退役したとされる。また、ブルガリア空軍の機体はロシア空軍のMiG-23MLDとの引き換えで返還された。以前は実戦で活発な活動を見せていた中東地域の機体も、現在では稼動状態にあるのか疑わしい。アルジェリアは近年まで運用していたが、2005年の時点では不明。いづれにせよ、今後恐らくはMiG-29SMTかSu-30MKに代替されるであろうと思われる。長年偵察機型(MiG-25RB)を運用してきたインドでも、2006年5月をもって退役した。
一方、MiG-25を改良した長距離迎撃機MiG-31も開発され、こちらはロシアでは迎撃戦闘機の主力のひとつとして運用されており、その数は運用されている迎撃戦闘機の約半数であるといわれる。なお、残り半数はSu-27。また、MiG-31はカザフスタンでも使用中であるとされている。しかしながら、各種開発されたMiG-31の派生型は、飛躍的な能力向上を見せたMiG-31Mをはじめいずれも量産には結びついていない。
なお、冷戦終結後、各基地に貯蔵してあった航空機エンジン等の冷却用のアルコールは関係者らがみな飲んでしまったという話があるが、中でもMiG-25用のアルコールは極めて純度が高く、とりわけおいしかったそうである。
また、湾岸戦争ではイラク空軍機が米海軍のF/A-18を撃墜しており、2006年現在、ここ30年間(ベトナム戦争後)で唯一米軍機を実戦で撃墜した機体である。
[編集] スペック
- 全長:19.75 m
- 全幅:14.02 m
- 全高:6.5 m
- エンジン:ソユーズ・ツマンスキー設計局製 R-15BD-300 ×2基
- 推力:10,210 kg
- 空虚重量:20,350 kg
- 最大離陸重量:41,000 kg
- 最大到達高度記録:37.6 km
[編集] 使用国
[編集] 関連項目
ソ連防空軍の主なジェット迎撃戦闘機
- La-15
- MiG-9
- MiG-15/bis
- MiG-17/F/P/PF/PFU
- MiG-19/S/P/PM
- MiG-21PF/PFM/S/SM/bis
- MiG-23P/MLD
- MiG-25P/PD/PDS
- MiG-29/S
- MiG-31/B/D
- Su-9
- Su-11
- Su-15/T/TM
- Su-27/P/S
- Tu-128
- Yak-25
- Yak-28P
ソ連空軍の主なジェット偵察機
- MiG-17R
- MiG-21R
- MiG-25RB
- Su-17MR/M2R/M3R/M4R
- Su-24MR