MiG
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MiG(ロシア語:МиГミーグまたはミーク)は、ソ連及びロシアの軍用航空機設計グループである。ソ連時代の正式名称はミコヤーンとグリェーヴィチの設計局(ОКБ и.м. А.И.Микояна и М.И.Гуревича)であった。なお、設計局名の日本語表記としては「ミグ」「MiG」「ミコヤン」「ミコヤン・グレヴィッチ」「ミコヤン・グレビッチ」などが見られる(このページでは「ミグ」と表記)。
ミグ設計局は、アルメニア人のアルチョーム・イヴァーノヴィチ・ミコヤーン(Artem Ivanovich Mikoyan;Артём Иванович Микоянアルチョーム・イヴァーナヴィチュ・ミカヤーン) とロシア人ミハイール・イオースィフォヴィチ・グリェーヴィチ(Mikhail Iosifovich Gurevich;Михаил Иосифович Гуревичミハイール・イオースィファヴィチュ・グリェーヴィチュ) が創設した。第二次世界大戦から現代に到るまで、ソ連及びロシアの代表的な戦闘機を設計している。
1996年から民営化され、ロシア航空機会社ミグ(RAC MiG)となったが、名称はたびたび変更され煩わしい。現在はRSK-MiG(РСК «МиГ»:Российская Самолетостороительная Корпорация «МиГ»:ロシア航空機製造会社ミグ)となっている。
なお、アルチョーム・イヴァーノヴィチ・ミコヤーンの兄はソ連副首相も務めたアナスタース・イヴァーノヴィチ・ミコヤーンであるが、このこととソ連時代におけるミグ設計局の優遇が全くの無関係であったとは考えがたい。
[編集] 主な機体
※アルファベット順 ※名称(NATOコードネーム)、初飛行年
- A-144アナローク、1968年
- Ye-2、1955年
- Ye-4、1955年
- Ye-5、1956年
- Ye-8、1962年
- Ye-50、1956年
- Ye-150、1960年
- Ye-152、1961年
- Ye-155M、1973年
- Ye-155MP、1975年
- Ye-166
- Ye-266M
- I-3
- I-7、1957年
- I-75、1958年
- I-200、1940年
- IP-201、1940年
- I-210、1942年
- I-211、1943年
- I-220、1942年
- I-221、1943年
- I-222、1944年
- I-224、1944年
- I-225、1944年
- I-230、1943年
- I-231、1943年
- I-250、1945年
- I-270、1947年
- I-301T、1947年
- I-302、1947年
- I-305
- I-307、1947年
- I-320、1949年
- I-350、1951年
- I-360、1952年
- I-370、1955年
- I-380
- I-410
- I-420
- K(K-1/2/3)、1951年
- M-19
- M-21、1967年
- MiG-1、1940年
- MiG-3、1940年
- MiG-5、1941年
- MiG-7、1941年
- MiG-8ウートカ、1945年
- MiG-9(初めの機体)、1942年
- MiG-9(ファーゴ)、1946年
- MiG-11、1942年
- MiG-13、1945年
- MiG-15(ファゴット)、1947年
- MiG-17(フレスコ)、1950年
- MiG-19(ファーマー)、1954年
- MiG-21(フィシュベッド)、1955年
- MiG-23(フロッガー)、1962年
- MiG-25(フォックスバット)、1964年
- MiG-27、1972年
- MiG-29(ファルクラム)、1977年
- MiG-31(フォックスハウンド)、1977年
- MiG-33、1987年
- MiG-35、2005年
- MiG-110
- MiG-125
- MiG-AT、1996年
- MFI(MiG-1.44)、2000年
- PBSh-1
- SDK、1952年
- SM-12、1957年
- SN、1953年
- T-101グラーチュ、1994年
- EPOS(ボーリ)、1976年
- Mig-スパイラル、1976年 (別名「プロダクト105」。宇宙へ達する事を目的とした実験機)
[編集] 関連
[編集] 外部リンク
- 連邦国営単一企業「ロシア航空機製造会社ミグ」公式サイト(ロシア語、英語)