春日野道駅 (阪神)
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春日野道駅(かすがのみちえき)は、兵庫県神戸市中央区吾妻通1丁目にある阪神電気鉄道本線の駅。
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[編集] 駅構造
国道2号線の真下にある、相対式ホーム2面2線の地下駅である。
2004年9月25日始発から新ホームに切り替えられ、三宮方に西改札口が新設された。2005年8月6日までは有効長が5両編成分しかない仮供用の状態(平日朝の東須磨行準急6連は、三宮方1両がドアカット)となっていたが、東改札口および新地下道設置工事が進捗した2005年8月7日から旧ホームと同様に6両編成が停車可能となった。尤も、2006年10月のダイヤ改正以降は6両編成の停車がなくなっている。
新ホームは、旧ホームよりも約1両分大阪方にずらして設置された。新ホームの有効長が一時的に5両編成分なのは、未供用部分である大阪方1両分の真横がアーチ構造、つまり線路と新ホームの間に立ちはだかる壁だけで上層部を支えているためである。この壁を撤去するにはアーチごと撤去しなければならない。しかしアーチ上層部には旧ホームにとって唯一の改札口(大阪方1か所)があったため、壁を撤去する前に改札口を別に確保する必要があった。そこで、まず、西改札口および新ホームのうちアーチ構造に関係しない5両編成分のみ完成させてアーチ撤去期間中の改札口を確保し、そして実際にアーチごと壁を撤去することになったのである。
なお、アーチ撤去後跡地に東改札口が作られ、東改札口~新ホームにエレベーターと上りエスカレーターが設置された。
[編集] のりば
- 西宮・甲子園・尼崎・大阪(梅田)方面行のりば
- 三宮・元町・高速神戸・須磨方面行のりば
- ※案内上ののりば番号は設定されていない。
[編集] 「日本一幅の狭いホーム」
1934年から2004年までは、島式ホーム1面2線の地下駅であった。そのホームの幅は、わずか2.6m。「日本一ホームの幅が狭い駅」として、全国版のTV番組で取り上げられたことさえあったほどだ。
1933年に岩屋駅以西が地下化される際に、春日野道駅は廃止される予定であった。しかし、駅利用者(沿線住民に加え、当時駅周辺は製鉄工場地帯で、多くの工場労働者が利用していたとされる)からの猛烈な反対を受け、地下化直前に駅存続へ方針転換された。既に建造されていた、本来は駅がない地下の空間。トンネルを広げないまま、たった3mしかない上下線の線路の隙間に春日野道駅のホームが設置され、地下化の翌年1934年5月1日に開業した(注:当初は幅3m×長さ120mでホームが作られたが、その後の車体拡幅によりホームが削られ、幅2.6mになった)。
線路に挟まれた、幅わずか2.6mのホーム。ホーム中央には一定間隔ごとに太いコンクリート柱があり、柱からホームの端までは子供一人が両手を横に広げた程度。この駅を電車が通過していくときは、幅の狭さと、地下駅ゆえの強い列車風により、まさに危険そのものであった。
そこで、阪神電鉄も、さまざまな考慮を行っていた。
- いすはホームではなく改札口横の一角に置き(以後、待合空間と記す)、ホームには柱間に金属製の安全柵が設置された。
- 待合空間では、到着電車接近時に、「まもなく、(大阪/神戸)方面行き電車が参ります。ホームへお越しください」という、他の駅にはない独自の自動音声が、ホームまでの階段移動時間も考慮して流れるようになっていた(自動音声の頭には阪神電車標準の電車接近予告メロディーが流れたが、この待合空間だけは、到着電車の接近を知らせるにもかかわらず、通過電車接近用のメロディーが使われていた)。
- ホームでは、電車接近時に、他駅同様の自動音声ならびに冒頭のメロディーに加えて、踏切音と、壁に設置された電車接近を知らせる電光表示機(橙色の、「電車が来ます・ご注意下さい」のLED表示と4つの矢印が時間差で点滅)により、聴覚的・視覚的に到着および通過電車の接近を警告した。
- 通過電車は、長らく時速75km程度で通過していたが、やがて時速45kmに制限されるようになり、さらに、駅進入時に警笛を鳴らすようになった。
- このほか、上下線の通過電車同士が駅ですれ違うことのないようダイヤが作成されていた、とも言われている。
幅の狭い危険なホームであったが、阪神電鉄による上記の考慮の結果、また狭すぎるゆえに利用者自身も注意を払わずにはいられなかったこともあり、このホームが役目を終えるまでの70年間、無事故であったという。加えて、「日本一ホームの幅が狭い駅」としてTVで取り上げられ、全国的に知られるようにもなった。
この旧ホームが廃止された背景には、危険であることや、ダイヤ上のネックになっていたことももちろんあるが、最大のきっかけは、HAT神戸の誕生であろう。地下化時の春日野道駅存続運動のきっかけとなった近隣の工場群が移転し、跡地が都市空間として再開発されることになった。さらに、この計画時期に阪神・淡路大震災が発生し、ここに建てられた公営のマンションに家を失った多くの人(とりわけ高齢者)が暮らすようになった。これを機に、バリアフリー・ユニバーサルデザイン・災害時の避難経路複数確保を考慮に入れた、ホームを含めた駅全体の改良工事が必要とされるようになり、専門家らも交えた諸検討の結果、「既設の島式ホームは廃止し、相対式ホームを新設するのが適当」とされた。神戸高速鉄道が事業主体となることで、法的に国・兵庫県・神戸市から補助金を受け、2001年11月6日に改良工事を開始。そして2004年9月25日初発から新設のホームに切り替え、日本一幅が狭いと言われた旧ホームはその役目を終えた。
旧ホームは、その後安全柵が撤去され、補強用柱などが取り付けられたものの、現在もそのまま残っており、新ホームや電車内から見ることができる。
[編集] 利用状況
震災後JRに押され乗客は減り続けていたが、前述したHAT神戸の誕生により乗降客数は急激に回復している。現在では急行停車駅の大石駅、岩屋駅よりも多い。
[編集] 駅周辺
阪急電鉄にも同じ駅名の春日野道駅があるが直線距離で450m程離れている。両駅の間には春日野道商店街がある。なお、阪急春日野道駅もホームの幅が狭く、改良された現在ではこちらの方が狭くなっている。
- 神戸赤十字病院
- 兵庫県立人と防災未来センター
- 葺合警察署
- 葺合郵便局
[編集] 歴史
- 1905年(明治38年)4月12日 阪神本線の開業と同時に開業。
- 1933年(昭和8年)6月 地下線化に伴い一旦廃止。
- 1934年(昭和9年)5月1日 地下駅として新規開業。
- 1968年(昭和43年)4月7日 山陽電気鉄道が神戸高速鉄道東西線を経て大石までの直通運転開始。
- 1995年(平成7年)1月17日 阪神・淡路大震災が起こり阪神本線運休。
- 1995年(平成7年)2月20日 岩屋~三宮間運転再開により春日野道駅の営業再開。
- 1995年(平成7年)6月26日 阪神本線全線復旧。
- 1998年(平成10年)2月15日 山陽電気鉄道、特急の阪神本線乗り入れを三宮まで短縮。当駅に停車する山陽電鉄の列車はS特急と普通に限定された。
- 2001年(平成13年)3月10日 山陽電気鉄道、S特急と普通列車の阪神本線乗り入れを三宮まで短縮。当駅に停車する山陽電鉄の列車はなくなった。
- 2001年(平成13年)11月6日 駅施設の改良工事開始。神戸高速鉄道に駅施設を譲渡。
- 2004年(平成16年)9月25日 新ホーム(相対式)の仮供用開始(5両編成相当長)。西改札口を新設。
- 2004年(平成16年)9月27日~2005年8月5日 6両編成(平日朝の下り準急)の神戸方1両をドアカットさせて停車。
- 2005年(平成17年)8月7日 バリアフリー設備・ホーム延伸部供用開始。
- 2005年度末 改良工事完成予定。