広瀬川 (名取川水系)
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大橋からの眺め(2003年11月) |
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水系 | 名取川水系 | |||
延長 | 45 km | |||
水源の標高 | 1264 m | |||
平均流量 | -- m³/s | |||
流域面積 | 411 km² | |||
水源 | 面白山(仙台市太白区) | |||
河口 | 名取川(仙台市太白区・若林区) | |||
流域 | 仙台市(太白区・青葉区・若林区) |
広瀬川(ひろせがわ)は、名取川水系の支流。仙台城の周りと仙台市街をめぐる川である。奥羽山脈の面白山に発し、仙台市太白区四郎丸地区で名取川に合流する。仙台市のシンボルの川であり、ヒット曲となった『青葉城恋唄』(歌/さとう宗幸)にも唄われている。
仙台市中心部に接して流れているが、都心部が河岸中流の台地上にあるため、川面と市街地との間にはかなりの高低差がある。そのため、自然が多く残っており、初夏の鮎釣り、秋の芋煮会など、市民が川面や河原まで降りてレジャーを行うことが多い。牛越橋より上流ではカヌーも盛ん。
目次 |
[編集] 地理
奥羽山脈の山中で、風倉沢と坂下沢が合流した地点が広瀬川のはじまりとされる。上流は紅葉の名所で、作並温泉がある。仙山線と国道48号が奥羽山脈までほぼ川と平行に走っている。
山岳地帯を抜けると、両岸に河岸段丘が発達した丘陵地帯をほぼ真東に向かって流れる。途中、大倉川と合流した後、青葉山の北側を抜け、仙台市街地へと達する。仙台市街地の南西部をかすめるように、蛇行しつつ流れる。その後、平野部に抜けると南東方向に流れ、名取川と合流する。
上流の渓谷の景勝はもとより、市街地に入っても草木と崖が多く、趣ある景色を作っている。化石採集の適地がところどころにある。埋れ木や珪化木の産地として有名。
[編集] 歴史
『吾妻鏡』に、源頼朝の軍勢の進攻に備えて奥州藤原氏が防衛線を「広瀬河」に作ったとあり、これが広瀬川の文献初見である。南北朝時代には広瀬川の戦いが南北両朝の間で戦われた。広瀬川中・下流域、つまり後の仙台周辺は河岸段丘で、広瀬川は一段低いところを流れていた。水を引き上げることが難しかったために、中世まで未開発の原野として取り残された。
江戸時代に伊達氏が居城にした仙台城は、広瀬川の西にある山に築かれた。城と川の間には伊達家家臣の屋敷が連なって、川を第一線の守りにした。伊達氏は新たに作った城下町のために、四ツ谷用水を開削した。この水道は広瀬川の川上で取った水をトンネルも用いて北まわりでめぐらせ、いくつもに分けて町に行き渡らせて生活・防火用水とし、下流では農業用水に使って最終的には梅田川に落とすものであった。それまで水量が乏しかった梅田川は、四ツ谷用水から水を受けて、さらに東に用水を張り巡らせた。広瀬川下流では七郷堀と六郷堀が作られて、平野部を水田地帯に変えた。
江戸時代まで、広瀬川は上流から下流までそれぞれ流れる場所の地名をとって様々な名で呼ばれることがあった。上流から、作並川、熊ヶ根川、野川、愛子川、郷六川、仙台川である。最後の仙台川は、仙台市の北部を流れる同名の仙台川とは別のものである。上流部で広瀬川の本流は明治時代の初めまで現在の大倉川とみられたか、二つがともに本流とみなされていたらしい。実際、大倉川は現在本流とされる作並・熊ヶ根の川より長い。
第2次世界大戦後、川内にキャンプをおいたアメリカ軍は未処理の下水を川に流した。他にも市内の排水が流れ込むようになり、広瀬川の水質は悪化して、市街に入るあたりから川下に魚が棲まなくなった。仙台市は1974年(昭和49年)に「広瀬川の清流を守る条例」を制定して川沿いの土地建物の変更や土・木の採取、川への排水に規制を加え、あわせて下水道の整備に努めた。
水質は平成に入る頃には回復し、最近では釣り人もよく見かける。1983年に朝日新聞社と同社が設立した森林文化協会が、「21世紀に残したい日本の自然100選」の中に広瀬川を選んだ。1985年に環境庁が名水百選の一つに広瀬川を選んだ。1996年に環境庁は「残したい日本の音風景100選」に「広瀬川のカジカガエルと野鳥」を選んだ。近年、上流の取水による、中流における夏季の流量減少が問題となっている。
[編集] 川の利用
[編集] 用水としての利用
上、中流部では谷が深いため、広瀬川の水を引き上げて利用することはない。熊ヶ根の野川橋付近では、右岸の岸壁に穴が穿ってあり、籠岩と呼ばれる。かつて水路の取水口にしようとして断念した箇所ではないかといわれるが、定かではない。
郷六にある新生瀬橋の川下、左岸には四谷堰(四ツ谷堰)がある。江戸時代の四ツ谷用水の取水口で、当時はこの水が仙台の町に張り巡らされ、生活用水と防火用水にあてられた。現在は梅田川を越えて大梶浄水場にまで水をひき、仙台市と塩竈市で工業用に利用されている。
さらに下流の右岸にある北堰からは、明治時代に作られた三居沢発電所で使われる水が取り入れられている。この水路はほとんどの行程を山の下に穿たれたトンネルを通り、発電所で使われてから、牛越橋付近で広瀬川に戻る。
愛宕橋の川下にある愛宕堰からは、下流左岸の七郷堀と六郷堀を流れる農業用水が取り入れられる。さらに下流にある郡山堰からは、右岸に郡山堀の用水が取り入れられる。
支流の大倉川には大規模なダムがあり、上水道、農業用水、発電用水に用いられる。青下川も仙台の水道源である。
[編集] 主な支流
- 風倉沢
- 坂下沢
- 小綱鳥沢
- 大綱鳥沢
- 熊沢
- 新川川 - 北沢、南沢、宮の沢川
- 青下川 - 豆沢川
- 大倉川 - 戸立沢、南沢、湯川、横川、大倉湖(大倉ダム)
- 白沢川
- 大栗沢川
- 堀切川
- ひじり沢
- 芋沢川 - 白坂川、蒲沢川、赤坂川
- 斉勝川
- 竜沢
- 綱木川
- 石山沢
- 鶏沢
- 竜の口沢
- 七郷堀、六郷堀
- 郡山堀
- 木流堀
[編集] 橋
- 鍋越橋 - 国道48号
- 第二中の目橋 - 国道48号
- 第一中の目橋 - 国道48号
- 広瀬橋 - 熊沢林道
- 新作並橋
- 泉橋 - 国道48号
- 作並橋 - 仙台市道長原元木線
- 湯渡戸橋 - 国道48号
- 旧湯渡戸橋 - 仙台市道湯の原線
- 作並宿橋 - 仙台市道作並宿線
- 相生橋 - 国道48号
- (第三広瀬川橋梁) - 仙山線
- 日陰橋 - 仙台市道日陰線
- ニッカ橋 - 仙台市道鎌倉初小屋線
- 川崎橋 - 仙台市道戸崎線
- セイコウ大橋 - 仙台市道新川ハイランド線
- 第二広瀬川橋梁(熊ヶ根鉄橋) - 仙山線
- 熊ヶ根橋 - 国道48号
- 野川橋 - 仙台市道白沢熊ヶ根線
- 苦地橋 - 仙台市道赤生木畑前線
- 渡幸大橋 - 仙台市道上愛子芋沢線
- 柿崎橋 - 仙台市道倉内八ツ前線
- 鳴合橋 - 仙台市道青野木鳴合線
- 開成橋 - (仙台市道愛子赤坂線)
- 落合水管橋
- 大沢橋 - 国道457号
- 第一広瀬川橋梁 - 仙山線
- 新落合橋 - 仙台市道落合郷六線
- 広瀬川橋 - 東北自動車道
- 生瀬橋 - 国道48号
- 新生瀬橋 - 宮城県道37号仙台北環状線
- 牛越橋 - 仙台市道三居沢道線
- 澱橋 - 仙台市道澱橋通線
- 仲の瀬橋 - 仙台西道路、国道48号、仙台市道仲の瀬橋線
- 大橋 - 仙台市道青葉山線
- 仙台橋(江戸時代にあった。今はない。大橋の項を参照)
- 花壇橋(江戸時代にあった。今はない)
- 評定河原橋 - 仙台市道評定河原渡船線
- 霊屋橋 - 仙台市道霊屋下米ヶ袋線
- 愛宕大橋 - 仙台市道愛宕大橋線
- 愛宕橋 - 仙台市道愛宕橋線
- 宮沢橋 - 仙台市道宮沢橋線
- 広瀬橋 - 国道4号
- ? (水管橋)
- 広瀬川水管橋
- 広瀬川橋梁 - 東北新幹線
- 広瀬川橋梁 - 東北本線
- 名取川左岸幹線下水管橋
- 千代大橋 - 国道4号仙台バイパス
- 広瀬川水管橋
- 広瀬大橋 - 仙台南部道路