宮沢橋 (広瀬川)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宮沢橋(みやざわはし)は、宮城県仙台市にある橋で、広瀬川にかかる。市道宮沢橋線を通す。若林区堰場(どうば)と太白区越路(こえじ)を結ぶ。2車線の車道と歩道を持つ。現在の橋は長さ152メートル。
仙台市中心部から南に向かう幹線道路は、愛宕上杉通りの愛宕大橋か、国道4号の広瀬橋かで広瀬川を渡る。二つの橋にはさまれた宮沢橋の意義は副次的なものである。宮沢橋は、左岸側でも右岸側でも道路接続がぎこちなく、それぞれ取り付きの交差点が左折禁止、右折禁止である。しかし抜け道的な利用があって交通量は多い。
目次 |
[編集] 歴史
[編集] 宮沢渡し
現在の宮沢橋の位置には、江戸時代の宝暦のころ(1751年 - 1763年)に渡し場が設けられたが、文政のころ(1818年 - 1829年)に廃止された。文久2年(1862年)に林藤助が近くの宗禅寺の援助でこの渡しを再開した。明治4年(1871年)に中断したが、2年後の明治6年(1873年)に再開した。渡し賃は江戸時代に3文、明治時代に3厘であった。
[編集] 木橋の宮沢橋
藤助から数えて三代目の渡し守、林八五郎が1882年(明治15年)に木橋を作った。長さ73メートルで、渡し賃は3厘、後に1銭であった。渡し賃を払わず、橋の真ん中まで走って行き、起こられる前に川に飛び込むのが子供たちの間で流行っていたという。1938年(昭和13年)7月に四代目の林吉次郎が橋を仙台市に寄付した。この橋は1947年(昭和22年)に台風で流された。
[編集] 根岸橋
宮沢橋のあとに、1947年に宮沢渡架橋期成会が73万円をかけて架け、根岸橋となづけた。これは対岸がもと根岸村であったことによる。長さ89.5メートル、幅3メートルの木橋であった。8月12日に完成した橋は、9月15日の台風で流された。
[編集] 1955年の宮沢橋
1955年(昭和30年)8月に、鋼桁橋がかけられた。その後補強工事が施され、1974年(昭和49年)に下り側、翌年には上り側に人が通るための橋が設けられた。現在の長さは152メートル、車道部分の幅は11メートル。両側の側道橋はそれぞれ幅2.5メートルある。
[編集] 参考文献
- 三原良吉『郷土史仙薹耳ぶくろ』、1982年、宝文堂。
- 関根一郎『仙台・川と橋の物語』、1991年、創栄出版。ISBN 4-7952-5301-3
[編集] 広瀬川の橋
生瀬橋 - 牛越橋 - 澱橋 - 仲の瀬橋 - 大橋 - 評定河原橋 - 霊屋橋 - 愛宕大橋 - 愛宕橋 - 宮沢橋 - 広瀬橋 - 千代大橋