小江戸
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小江戸(こえど)とは「江戸のように栄えた町」「江戸時代を感じさせる町」といった意味合いで使われる、都市の比喩的な表現。代表例としては、埼玉県川越市があげられる。
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[編集] 定義
現代的定義としてはおおむね、「江戸との関わりの深い町」「江戸の風情を残す古い町並みを残している町」である。古い町並みがいまなお残っている部分については、観光地となっているところもある。過去には、「江戸のように栄えている」という意味で使われたこともあったが、「栄えている」ということを大げさに言う表現として使われたにとどまり定着しなかった事例も数多くあるようだ。文献上で「小江戸」という表現が使われたという程度では、「小江戸と呼ばれていた」と判断するには足らず、比喩表現としてそういう言葉遣いをした者がいたというケースとの区別は困難である。
[編集] 小江戸サミット
「小江戸」という言葉そのものは以前よりあり、江戸時代にも「まるで江戸のようだ」という意味あいで町を誇る場合に使われていた。しかし、改めて「小江戸」という言葉がクローズアップされたきっかけは、1996年に開催された「小江戸サミット」。この小江戸サミットをはじめたのは、栃木県栃木市・埼玉県川越市・千葉県佐原市の3市。そのほか、千葉県夷隅郡大多喜町・神奈川県厚木市・静岡県磐田市(旧磐田郡竜洋町掛塚)・滋賀県彦根市なども、しばしば小江戸と呼ばれる。
なお、同じような主旨の呼び方に小京都があるが、小京都の方は50以上の自治体が参加する「全国京都会議」が作られている。小京都の呼び名は室町時代ごろから既にあり、小江戸よりも歴史が古いため数が多い。
[編集] 日本各地の小江戸
- 吹上藩の城下町であり(城は持たず、陣屋だったが)、また日光例幣使街道の宿場町でもあった。蔵の町としても知られている。全国京都会議にも参加しており、「小江戸」と「小京都」の両方を名乗っているが、小江戸サミット参加以降は「小京都」よりも「小江戸」を観光のキャッチフレーズとして使用することが多い。
- 「世に小京都は数あれど、小江戸は川越ばかりなり」と謳われた。喜多院には江戸城の建物の一部が移築されている。松平信綱・柳沢吉保といった江戸幕府の重臣や親藩が藩主を務めた川越藩の城下町であり、幕府との関係は深かった。「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されている。また西武新宿線本川越~西武新宿間を走る特急『小江戸号』も川越にちなんだものである。江戸の祭礼の影響を受けた川越まつりが行われている。
- 「お江戸見たけりゃ佐原へござれ、佐原本町江戸まさり」と唄われた。伊能忠敬が商人として活躍していた町であり、利根川水運の拠点のひとつでもあった。関東地方で初めての「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された。江戸の影響を多少なりとも受けた佐原の大祭が行われている。
- 彦根藩の城下町として栄えた。「小江戸彦根の城まつり」を開催し、小江戸訴求をしている。
他にも、過去に栄えた町を「小江戸」と呼んだ事例は多くある。また古い町並みを残すエリアを持つ都市がその地域を小江戸として売り出す、小京都とともに小江戸を名乗るようになる、といった事例は増加している。たとえば茨城県土浦市(旧水戸街道沿い)・岐阜県高山市・三重県伊勢市河崎町など。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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