太田光
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太田 光(おおた ひかり、1965年5月13日 - )は、日本のお笑いタレント、漫才師、エッセイストである。田中裕二との漫才コンビ「爆笑問題」のボケを担当。血液型はO型。タイタン所属。埼玉県ふじみ野市(旧上福岡市)出身、大東文化大学付属第一高等学校卒業、日本大学芸術学部中退(本人曰く、退学届を出していないため実際には除籍扱い)。杉並区在住。
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経歴
- 高校時代は友達が一人もいなかったが、「陰口を言われるのが嫌」という理由で学校を休まず皆勤賞を取った。またその反動で、大学時代は初対面の学生にもハイテンションに振舞い、友達を作ろうと必死であった。こうした少年期・青年期のエピソードは、番組やエッセイのなかでしばしば語られる。
- 1988年3月、日本大学芸術学部演劇学科で知り合った田中と「爆笑問題」を結成。
- デビュー間もない1990年、ビートたけしの代打で「ビートたけしのオールナイトニッポン」に出演した際、ギャグで「たけしは風邪をこじらせて死にました」と発言し、以後しばらくのあいだニッポン放送を出入り禁止になったという。
人物
- ベタさと奇抜さを織り交ぜたボケが特徴。興に乗れば絶え間なくボケ続け、しばしば非常な毒に満ちたものとなることもあるが、それも太田の魅力の一つである。しかし、一歩間違えれば暴言になる危険性も含まれている。
- 中学時代、「ビートたけしのオールナイトニッポン」の放送開始、サザンオールスターズの「ザ・ベストテン」初登場、松田優作主演「探偵物語」を立て続けに体験、大きなカルチャーショックを受ける。
- 身長170cmと大して長身ではないが、田中の身長が154cmと低い為、「爆笑問題の高い方」とも言われている。また、いつも猫背である。
- 大変な読書家(唯一の趣味が読書)で、多忙にも拘らず年100冊を超えるペースで本を読む。敬愛する作家にヴォネガット、アーヴィング、サリンジャー、カポーティ、太宰治、宮沢賢治、向田邦子など。高校時代の愛読書は亀井勝一郎、島崎藤村。ヴォネガット・ファンとして有名で、事務所の名前「タイタン」や飼っていたオカメインコの名前「キルゴア」はヴォネガットの作品に由来するもの。アーヴィングとは対談を行った事もある。NHK教育テレビ番組「知るを楽しむ・私のこだわり人物伝」では、向田邦子と『阿修羅の如く』を語った「女と男の情景」と題した講義を担当し、2006年元日には村松友視とお互いの講義した人物について語る特別番組が放送された。また、1997年12月号の小説新潮に近未来SF短編「終末のコメディ」が掲載された。
- 敬愛する映画監督にチャップリン、ウディ・アレン、ジョージ・ロイ・ヒル、テリー・ギリアム、黒澤明など。
- サザンオールスターズの大ファン。他に好きな歌手はジャニス・ジョプリン、スティーヴィー・ワンダー、谷村新司等。学生時代はニューミュージック、洋楽を好んで聴いていた。
- テレビ番組やライブでの登場時、岡本太郎の「芸術は、爆発だ!」やオレたちひょうきん族「タケちゃんマン」にて明石家さんま扮するパーデンネンの「パァ~」を髣髴させるような、両手を広げたおどけたポーズをとる。歌舞伎の形態模写。
- 好き嫌いの多い田中とは反対に嫌いな食べ物がないらしく、『とんねるずのみなさんのおかげでした』のコーナー「食わず嫌い王決定戦」では、必ず好きなものを食べる(逆に田中は嫌いなものを食べさせられる)。しかも相手が食べている時も食べ続けている。
家族・交友関係など
- 田中と意見が合うことは少ない、と言うよりも意識的に田中と意見を合わせないようにしているらしい。田中が「椎茸嫌い」だったというだけの理由で、自らの「椎茸嫌い」を克服するなど、その徹底ぶりは苦笑を誘う。中でも「サザン・佐野元春論争」はファンの間ではあまりにも有名。
- 恐妻家。妻の太田光代は元タレント(モノマネ芸人)で、現在は所属事務所の「有限会社タイタン」社長。光代はかなり豪快な人物で、彼女との奇妙な結婚生活はエピソードに事欠かない。一方、「将来は夫婦漫才をやりたい。タイタンは元々夫婦漫才をやるために設立した」とも発言している。
- 父親は太宰治に自作の小説を渡した、母方の祖父は島崎藤村の書生、母は永井一郎と昔つきあっていたとか、妻は松永久秀の子孫であるなど、家族についてもかなり語っている。
- 田中のツッコミを「間が悪い」「お笑いをわかっていない」と酷評する一方で、くりぃむしちゅーの上田晋也とネプチューンの名倉潤の2人(両者ともボキャブラ天国の同輩)を「関東のお笑い界の2大ツッコミ」と評価している。しかし太田の無軌道なボケにもきちんと対応する田中は、太田にとって貴重な存在でもある。実際に太田は尊敬する落語家・立川談志から「(相方の)田中だけは切るなよ」「別れなさんな(=コンビを解消するな)」と忠告され、これを守っている。
- 談志は他にも「自分の言いたい事が唯一わかるのは太田だ」等、一貫して太田を評価しており、「太田は俺が他の女と作った息子だ」という冗談を言ったこともある。
- いつかは「マーズ・アタック!」のようなガチャガチャなコメディ映画を撮りたいという願望がある。そのことを北野武に相談した時、「映画を作るなら初めに当てろ」「コメディ作るなら金をかけろ」と言われた(「伊集院光 日曜日の秘密基地」にて)。
エピソード
- MOTHERの大ファンであり、糸井重里の『ほぼ日刊イトイ新聞』でも糸井との対談が掲載された。
- 初めて感動したアニメは『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(脚本・監督押井守)。
- 計算が大の苦手。二桁の足し算の暗算すらまともにできないという。かつてアルバイトでレジ係をしていたことがあったが、釣り銭を適当に渡していたのがばれ、すぐにクビになった。
- 猫を数匹とオウムを飼っている。オウムは太田が帰宅すると「バイバーイ」と言うらしい。ちなみにオウムは寿命が長い(80年くらい生きる)ため、「自分よりも長生きするのではないか?」と内心冷や冷やしているとか。
- 1999年4月より教育番組「ポンキッキーズ」にネズミの着ぐるみキャラクター「爆チュー問題」の「おおたぴかり」としてレギュラー出演。
- オリジナルの一発ギャグはもたなかったが、2005年には(中指と人差し指を額につけ、相手に向けて)「ピップ」というギャグを推し、「爆笑問題カーボーイ」でもコーナーをつくって、リスナーに流行させようとした。当人はこのギャグで流行語大賞を狙っていたようだが、入賞はおろかノミネートすらされなかった。
- 風呂の入り方にこだわりがあり、まず45度の熱いお湯にゆっくりと浸かり、その後体などを洗い、再び45度のお湯に浸かる。その際に頭の回転を良くするために「100から7をどんどん引いていく計算」を行う。しかし、暗算が大の苦手なのでその作業でかなりの時間を使うらしい。風呂から上がった後は筋トレ、ストレッチを行いジュースを飲む。数年前、漫才をしている際に息が続かなくなり、体力の衰えを感じたため、毎日続けている。
- 妻の光代と同棲中、些細な喧嘩から腹部を蹴られて吹っ飛んだ事がある。内臓打撲で負傷。
- “「爆笑問題カーボーイ」で反日発言”と2ちゃんねるでデマを流され、真に受けた右翼に事務所へ押しかけられた。(→2ちゃんねるの歴史)
発言
「爆笑問題カーボーイ」の「太田はこう思う」や「太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。」(日本テレビ系)や雑誌上の連載エッセイでは、みずからの政治的信条に関わる話をすることも辞さない。その姿勢は総じてかなりラディカル、平和主義的、理想主義的と評される。それらのこともあり、2006年8月12日には、アメリカの新聞・「ニューヨーク・タイムズ」で大々的に太田のことが紹介された。[1]
- レギュラー化前の特番で「日本が馬鹿にされるのは意見を全う出来ない国だからでしょ? 政治家は理想を語れよ!」と発言(『太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。』)。
- イラク日本人人質事件について「彼ら(人質になった三人)こそ日本の英雄だと思う」と発言。
- イラク戦争を「売られた喧嘩を買ったら相手の思う壺。世界中の殺戮を望んでいる相手に対して目には目を・戦には戦をのやり方は絶対に間違っている」と強く批判している。
- 「週刊人物ライブ スタ☆メン」(フジテレビ系)で「選挙に立候補してほしい人」のアンケートで2票入っていたが「政治よりお笑いの方が世界を変えられる、バラエティの人間がそんな場所に行くもんじゃないよ」、「この世界を変えたかったら政治家よりお笑いになれ」と反論。
著書
単著
爆笑問題名義の書籍の多くは太田ひとりによって書かれている(原稿料は田中にも配分されている)。
- 『カラス』(1999年10月、34歳までの人生をインタビュー形式で振り返る虚実入り乱れた自伝、小学館)
- 『爆笑問題太田光自伝』(2001年7月、『カラス』を改題・文庫化、小学館文庫)
- 『ザ・ロングインタビュー(4) 人は、なぜ笑うのか?』(2001年12月、BSフジの番組「ザ・ロングインタビュー」を再構成、扶桑社)
- 『パラレルな世紀への跳躍』(2003年12月、ダイヤモンド社)
- 『天下御免の向こう見ず』(2004年6月、爆笑問題名義の単行本から太田のエッセイのみを選抜き文庫化、幻冬舎)
- 『ヒレハレ草』(2004年8月、同上、幻冬舎)
- 『三三七拍子』(2004年10月、同上、幻冬舎)
- 『私のこだわり人物伝』(2005年5月、日本放送出版協会)
共著
- 『憲法九条を世界遺産に』(中沢新一との共著、2006年8月 集英社新書)
編集
- 小沢友紀子『チビカミ』(2004年10月、爆笑問題のススメの企画から誕生、フィールドワイ)
ドラマ
映画
出演
- 『バカヤロー!2 幸せになりたいー第2話「こわいお客がイヤだ」』(1989年)
- 『おいしい結婚』(1991年) - マネー・トランジットセブンの店員A役
- 『草の上の仕事』(1993年)
- 『たどんとちくわ』(1998年) - タクシーの乗客役
- 『模倣犯』(2002年) - 太田光役
- 『アイス・エイジ 』(2002年、日本語吹き替え) - シド役
- 『アイス・エイジ2』(2006年、日本語吹き替え) - シド役
監督
- 『バカヤロー!4 YOU!お前のことだよー第1話「泊ったら最後」』(1991年)