ビートたけしのオールナイトニッポン
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ビートたけしのオールナイトニッポンはニッポン放送の人気深夜放送オールナイトニッポンの内、木曜日にビートたけしがパーソナリティを担当した番組。1981年1月1日~1990年12月27日に放送された。
[編集] 概要
- 放送作家に『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』のパーソナリティ高田文夫がおり、番組は殆どたけしと高田の会話で進んでいた。
- 数多くのハガキ職人を輩出し、その中から構成作家も生まれた。
- ビートたけしが1986年12月にフライデー襲撃事件を起こしてから半年間謹慎していた間は、代理パーソナリティを大竹まことが務めた(ただしその期間の番組タイトルに、パーソナリティ名はなかった)。
- この番組から有名になった人物も多数いる。
- 村田英雄 - 「デカアタマコーナー」という名で村田にまつわるエピソード「コーヒーに砂糖とミルクを沢山入れて飲みながら、『コーヒーはブラックに限る』と言った」「レストランに行き、店員に『肉の焼加減は?』と尋ねられると『ガスで焼け』と発言」、「スロットを初めてやり、ミカンが3つ揃った時に『バカヤロ、ミカンなんか貰ったってしょうがねーだろ!』」といった話を集める。一度コーナー放送中に、当時まだ面識の無い村田からスタジオに電話が入り、初め録音だと思っていたたけしは、後に生の電話だと知るや、応対にたじろいでいた)
- ガッツ石松 - 彼にまつわる様々な「伝説」の話。村田英雄のコーナーとよく似ている。
- ポール牧 - 一連の自慢めいたほら話。
- 若人あきら(現:我修院達也) - 年齢詐称ではないかと番組で疑われ、言動に時代錯誤があるという証言をする。
- 伊丹幸雄 - 『あの人はどこ』の、ラジオ版の様な感じで呼びかけ。初め視聴者から番組宛てに伊丹のアイドル当時の「ウィスパーカード」というメッセージの入ったテープ(ソノシート?)が届き、番組で流したところ、何と本人がゲストにも出演し、後に「オレたちひょうきん族」の出演のきっかけになる。
- その他「玉金・オナ金・全力投球」というコーナーが番組の草創期にある。タイトルは当時人気絶頂のたのきんトリオの『たのきん全力投球』(TBS系)をもじった物。内容は、男が自身の欲望を満たす行為をどういう風にすれば合理的に画期的に行えるであろうという策を募集するというもの。中には「ローリング・ドリーマー」(プロレスラージャンボ鶴田のデビュー当時に歌った歌のタイトル)をモチーフにした題名をつけた、「アソコにトイレットペーパーを差込み、紙を出しながら(つまり芯を回転させながら)快楽を生む」方法や、「池の中に腰下ぐらいまでつかり、アソコの先端部に鯉の餌である麩を付けたバンドを装着させ、鯉が麩を食う時の口使いで快楽に耽る」といった、女子禁制の様なコーナーであり、当時女性リスナーがたのきんトリオのコーナーと勘違いして聞いてしまったという苦情も寄せられた。
- 2時過ぎになると、時々たけしに眠さの限界が来る時があり、どうしょうもない時のピンチヒッターとして片岡鶴太郎(当時は『オレたちひょうきん族』で近藤真彦の物真似していた)がコーナーを貰い、「鶴太郎の色物コーナー」などというタイトルでMCをやっていた。
- たけし軍団の松尾憲蔵(現:松尾伴内)はこの番組がデビューであり、よくたけしに代わりスポンサーの読み上げをやっていた。
- 番組のエンディング曲はずっと『ハイサイおじさん』(喜納昌吉&チャンプルーズ)だった。
- 当時、発売したばっかりだったアドベンチャーゲーム『ポートピア連続殺人事件』の犯人をたけしが言い当ててしまった。
- 松村邦洋はこの番組を毎週欠かさず聴いており、後に『松村邦洋のオールナイトニッポン』を担当することとなった事を知らされた時には凄く嬉しかったらしい。自分のオールナイトニッポンで2時間すべてたけしのものまねで送る「ほぼビートたけしのオールナイトニッポン」を放送した事が有る。
[編集] 放送時間
- 木曜 深夜25:00-27:00(ニッポン放送をキーステーションに全国ネット)