博多
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博多(はかた)
- 中世以前の都市の「博多」: 現在の博多湾に面する一帯を指す。本項(→#歴史)で詳述。
- 現在の福岡市博多区の一部地域 : 本項で詳述。
- 現在の福岡市の別名 : 正確には誤用である。→#よくある誤用参照
- 福岡都市圏の別名、または福岡市を中心とする広域地名 : 正確には誤用である。→#よくある誤用参照
- 「博多市」(はかたし): 実在しない市名。→#よくある誤用参照
- 「博多出身」: 出身地が福岡市または福岡都市圏内の市町村の場合、他の福岡県内の地域との区別を際立たせるときに用いる。または、「福岡出身」と言いうと、福岡が県名なのか市名なのか曖昧であるため、誤認を防ぐ目的で使われる。
博多(はかた)は、九州北部(筑前国)に築かれた博多湾に面する港湾都市である。古代より博多湾に面した一帯の都市(博多)として発展した。近世以降には黒田氏が入国して城下町(福岡)を造り、近代には博多・福岡をまとめて1つの市、福岡市として市制施行され、現在に至る。
現代における博多は、福岡市博多区の一部で、御笠川(石堂川)と那珂川に挟まれた区域となる。
また、福博(ふくはく)は、福岡と博多の事を指し、本来は別物である両者を区別した上での総称である。
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[編集] 歴史
中世以前の歴史については福岡市の項目も参照のこと。
古くは「那津」(なのつ)と言われ、奈良時代以後に「博多津」となる。大宰府の外港でもあり、博多津には鴻臚館が存在した。
中世には日宋貿易の拠点となり、鎌倉時代に鎮西奉行が置かれる。元寇の際にはバリケードとしての石塁(石築地)が築かれる。南北朝時代の1333年に後醍醐天皇が挙兵すると菊池武時が鎮西奉行の北条英時と戦い、武時は駆逐されるが京都での六波羅探題陥落が伝わると少弐貞経や大友貞宗、島津宗久が博多を攻め、鎮西探題は滅亡する。1336年に菊池氏は建武の新政に離反して九州へ落ち延びた足利尊氏に多々良浜の戦いで敗れる。室町時代には足利義満の名代で、正使僧祖阿、副使に商人肥富(小泉)を使わせ、初の遣明船を明へ送る。日明貿易や日朝貿易、南海貿易の拠点となる。
戦国時代には自治都市となるが1580年には竜造寺氏が、86年には島津氏が焼き討ちを行い、九州攻めの後に豊臣秀吉が博多を確保すると再興が行われ、太閤検地の実施、町割りの再編や寺院の移動が行われ中世都市を脱し、堺と並ぶ商業都市となる。豊臣政権の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際の軍需拠点にもなる。室町時代から江戸時代にかけては博多商人が活動し、近世には神谷宗湛や島井宗室などの豪商が現れ町政を指揮した。その後黒田氏が入国して福岡城を建築し、町人の住む「博多」と、黒田氏の家臣らが住む「福岡」が並立するようになる。また、黒田氏の構築と呼ばれる房州堀が掘られる。
江戸時代に鎖国体制となり、貿易が長崎のみに限定されると海外交易都市としての性格もなくなる。明治時代になり城下町の「福岡」と併合されて「博多」は福岡市の一地域の名称となる。
博多弁発祥の地。
サラリーマンが赴任したい先のナンバー1といわれる人気都市。[要出典]
[編集] 近代以降の博多
[編集] 博多と福岡
奈良時代より続く「博多」の地名に対して、「福岡」という地名は黒田長政がこの筑前の地に移封された時、黒田家の故地である「福岡」(備前国邑久郡福岡村、現在の岡山県瀬戸内市長船町福岡)に因んで名付けられたものであり、元々千年以上の歴史を持つ港町・商人集積地である博多と、黒田氏が造った城下町であり明治維新後も行政機能が置かれた福岡は別の都市であった。
そのため、1889年(明治22年)4月「市制及び町村制」の公布により博多・福岡に於いて市制を施行しようとする際、市名を「博多市」とするか「福岡市」とするか、博多と福岡の間で大論争が巻き起った。「福岡市と博多市を分離独立するべき」など極端な論調まで飛び出すもののまとまらず、翌年3月、県令により博多・福岡をまとめて1つの市として発足させることとなり、市名を「福岡」とすることになった。
福岡市としての発足の際に、仲裁案として同年に開通することになった九州鉄道の駅名を「博多駅」とすることによって県は議論の決着を図ろうとしたが、反発も強く、納得のいかない博多側の議員が翌1890年には市名を「博多市」と改名する案を提出した。票は割れて同数となり、結局、福岡側であった議長の一票によって否決された。よって市町村制度下において「博多市」という市が存在したことは過去においても一度もない。(「#よくある誤用」参照)。その後も度々市名変更の議論が巻き起こったものの、現在まで市と(市の玄関と言う意味で中心となる)駅とで名前が異なる状態が続いている。
なお、福岡市が政令市に昇格するにあたって「博多区」としてその名称を復活させた。
現在では御笠川(石堂川)と那珂川に挟まれた旧商人町を博多部、那珂川以西の旧城下町を福岡部と呼んでいる。特に「博多部」の名称は、旧来からの「博多」すなわち明治以前の「博多」におおむね相当する、博多区のうち概ね那珂川と御笠川(石堂川)と国体道路に囲まれたあたりの地域に限定されて用いられることが多く、現在の博多駅の立地も含めて博多区のほとんどは「博多」ではない。
古くから博多に住む住人は「博多」の名称にこだわりをもっており、そのため福岡と博多の両者を区別しつつ総称するための「福博」という名称も生まれた。限定的な意味での「博多」と中央区の一部を合わせて「福博」と呼ぶ。
なお、福岡市内には大手私鉄である西日本鉄道の「西鉄福岡(天神)駅」が福岡市中央区天神に存在するが、似た駅名としてJR「福岡駅」が富山県高岡市に存在する。しかし、福岡市内に「JR福岡駅」は存在しない。 また、JR「南福岡駅」は福岡市博多区の南部に存在するが、「上福岡駅」は埼玉県ふじみ野市に存在する。 また、「博多南駅」は福岡県春日市(福岡県筑紫郡那珂川町との境界付近)に存在する。
なお、港湾はいずれも「博多港」「博多湾」であり、「福岡港」は博多臨港線の廃止貨物駅に使われていたのみであり、「福岡湾」は公地図上では併記されているがやはりあまり使われない。
「博多空港」は福岡空港の完全な誤用である。
[編集] よくある誤用
現在、福岡と博多は同じ意味の言葉として用いられる事が多く、新幹線の駅名が「博多」であるため、福岡県には「博多市」が存在すると誤認している人が多いが、博多市という都市が存在したことは過去にない。
冒頭に挙げた、福岡市を「博多」と呼ぶのも正確には誤用である。また、「博多市」(はかたし)も、実在しない市名であり、福岡市に関係する地域名の誤用としてマスメディアや多くの人がしばしば使うことがある市名である。この言葉を用いた場合、指し示さんとする範囲は曖昧性があり、人により若干異なっているが、概ね以下のようなパターンである。
- 福岡市の行政区の1つ、博多区。
- 福岡市博多区の北部、主に中洲・博多五町など、旧来の博多市街地。所謂本項目で言う「博多」。この場合は博多駅とその周辺地区は含まない。博多部とも呼ばれる。
- 福岡市そのもののことを、誤って博多市という場合もある。
- 誤用が進行すると、「福岡」=「博多」となり、福岡県を総称して「博多」と呼ばれることすらある。
また福岡市とは別に博多市があるとか、静岡市や清水市のようにもともと博多市があって福岡市と合併したというような誤解もあるが、「#博多と福岡」の記述のとおり、市町村制度下において博多市という市が存在したことは過去においても全くない。
なお博多の呼称は、山陽新幹線の西の終点・JR九州在来線とのターミナル駅であり他県との玄関口となる交通の要衝である博多駅をはじめ、博多どんたく・博多祇園山笠・博多ラーメンなど全国的に知られた祭事や土産品、その他様々な施設などに現在でも用いられている。そのため、九州の外においてなど対外的な認知度としては、「福岡」よりも「博多」の方が高い事がままある。本州とそれ以東で福岡市方面を指す場合、「福岡のほう」と言うよりも「博多のほう」と言う方が通りが良い事もままある。
誤用には、博多駅に到着すると第一声で「はかた~」と駅構内アナウンスがあるため、その事の影響も強いと考えられる。政令指定都市のうち同様に、行政上の県・市の名称と、都市の代表(中心)駅、またはターミナル駅の名称が異なり、地区名称を用いている例として、北九州市の小倉駅、さいたま市の浦和駅、大宮駅などがある。ただしどちらにおいても、元は小倉市・浦和市・大宮市が存在した。
誤用が進行すると福岡県を総称して「博多」と呼ぶようになる。福岡県から遠方になるとこの誤用の頻度は増加する傾向にある。北九州地方、久留米など筑後地方、筑豊地方、熊本県と隣接する大牟田市や大分県境に近い東部の豊前市などはまったく「博多」ではなく、本義からすれば大きな誤用と言わざるをえない。しかしながら福岡県内産のブランド農畜産物が全国の市場に出荷される際に「博多なす」「博多万能ねぎ」「はかた地どり」などのような博多の知名度にあやかったネーミングがなされており、全国のスーパーマーケット等で「博多」銘のブランド食材を手にする一般消費者に「博多」=「福岡県」といった誤ったイメージを与えてしまっている。
[編集] 「博多」の名を冠する主な施設・企業など
必ずしも博多地域にあるとは限らない。
[編集] 商業・娯楽施設
- かつては博多部にあったことから今でも「博多大丸」と呼ばれることがある。
[編集] 学校
- 博多高等学校
- 博多女子高等学校
- 福岡市立博多工業高等学校
- 福岡市立博多中学校
- 福岡市立博多小学校
- 福岡市立博多高等学園(養護学校)
- 福岡県立博多青松高等学校
以上の学校のうち本来の博多部にあるものは、博多中学校、博多小学校、博多高等学園の3校である。
[編集] 宿泊施設
[編集] 交通施設
[編集] 祭り・伝統芸能
[編集] 名産物・工芸品
[編集] 土産菓子
[編集] ご当地ソング
- 「博多みれん」 歌:野口五郎
[編集] 唱歌
1900年(明治33年)に大和田建樹が作詞した『鉄道唱歌』第2集山陽九州編では、博多と福岡の合併からまもない時期であって、作者の誤解もあり、以下のように「博多」と「福岡」を一部混合した様にして、この地域を歌った。
- 40.織物産地と知られたる 博多は黒田の城のあと 川をへだてて福岡の 町もまぢかくつづきたり
[編集] 「福博」を冠する事物
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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