九州大学
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大学設置 | 1910年 |
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創立 | 1867年 |
学校種別 | 国立 |
設置者 | 国立大学法人九州大学 |
本部所在地 | 福岡県福岡市東区箱崎6-10-1 |
キャンパス | 箱崎地区(福岡県福岡市) 馬出地区(福岡県福岡市) 六本松地区(福岡県福岡市) 筑紫地区(福岡県春日市) 大橋地区(福岡県福岡市) 伊都地区(福岡県福岡市) 別府地区(大分県別府市) |
学部 | 文学部 教育学部 法学部 経済学部 理学部 医学部 歯学部 薬学部 工学部 芸術工学部 農学部 |
研究科 | 人文科学府/研究院 比較社会文化学府/研究院 人間環境学府/研究院 法学府/研究院 法務学府 経済学府/研究院 言語文化研究院 理学府/研究院 数理学府/研究院 医学系学府/研究院 歯学府/研究院 薬学府/研究院 工学府/研究院 芸術工学府/研究院 システム情報科学府/研究院 総合理工学府/研究院 生物資源環境科学府 システム生命科学府 農学研究院 |
ウェブ サイト |
九州大学公式サイト |
九州大学(きゅうしゅうだいがく、英称:Kyushu University)は、福岡県福岡市東区箱崎6-10-1に本部を置く日本の国立大学である。1910年に設置された。大学の略称は九大(きゅうだい)。
目次 |
概観
大学全体
九州大学は、1949年に旧制九州大学等を包括して設置された国立大学である。2003年に九州芸術工科大学を吸収し、2004年に国立大学法人による設置へと移行した。九州帝国大学を直接の母体としている。さらに九州帝国大学は1867年に設立された賛生館を起源としている。
教育および研究
九州大学では大学院の全学重点化の完了とともに、学府・研究院制度を導入した。この制度の導入とともに研究機関としての大学院組織を「研究院」、教育機関としての大学院組織を「学府」という別の組織に分割した。九州大学関係者は「この処置に伴い、研究上のニーズと教育上のニーズという2つのベクトルの異なるニーズに対応して柔軟に組織を編成できる制度となった」と考えている。研究院には教員が、学府には大学院生が、学部には学部生が所属し、教員が学府や学部に出向する形で教育を行う。なお、基本的に研究院長が学府長・学部長を兼務する。2006年3月現在、この制度が全学的に導入されているのは九州大学だけであるが、部分的にはいくつかの大学で導入されている。
沿革
略歴
1867年、当時福岡を統治していた黒田藩は賛生館という医学教育を行う藩校を天神に設立した。1872年に学制が施行されるといったん廃校となったものの附属病院はその間も継続した。同病院は1874年に修猷館の附属診療所となり、1879年には福岡県立福岡医学校の附属病院へ改組された。福岡県立福岡医学校が廃校となった後は福岡県立福岡病院として存続することになる。
1886年に帝国大学令が公布されると九州に帝国大学を設置する機運が高まり、1900年1月29日の第14帝国議会において「九州東北帝国大学設置建議案」が可決された。建議案の可決後も古くから医学の盛んだった長崎県や第五高等学校が設置されていた熊本県との間で誘致の綱引きが行われていたが、結局は賛生館の流れを組む福岡県立福岡病院を母体に京都帝国大学の分科大学として福岡医科大学が設置された。その後は資金難により九州帝国大学の設置は進まなかったが、古河財閥から1906年に「福岡工科大学、仙台理科大学、札幌農科大学」の建物建設へ寄付の申し出があり、設置の動きが高まることとなる。古河財閥の寄付金約100万円のうち6割ほどが九州帝国大学工科大学校舎建設の資金として当てられ、さらに福岡県の寄付金によって1910年に九州帝国大学が設立された。残りの4割は札幌農学校の東北帝国大学農科大学昇格(1907年)と東北帝大理科大学新設(1910年)のために用いられている。
こうした経緯から本稿では創立年を賛生館の設立した1867年、大学設置年を九州帝国大学として独立設置された1910年としている。
1947年に帝国大学令が国立総合大学令に改められると九州大学と改称した。1949年には福岡地区に所在していた旧制九州大学、九州大学附属医学専門部、福岡高等学校、久留米工業専門学校を包括して新制九州大学が設置された。旧福岡高等学校の施設と教員は九州大学第一分校(1955年第二分校と統合し九州大学分校、1963年より教養部)に引き継がれ、旧久留米工業専門学校は第二分校(1955年第一分校との統合により廃止)が設置され、旧陸軍歩兵第四十八連隊兵舎跡に第三分校(1951年廃止)が置かれた。
2003年には国立大学法人化を視野に入れ、法律第29号により九州芸術工科大学を吸収。2004年には国立大学法人法の規定により、国による直接設置から国立大学法人による設置へと移行した。
年表
- 1867年 黒田藩によって賛生館設立
- 1903年 京都帝国大学の一分科大学として福岡医科大学が設置
- 1910年 勅令第448号によって九州帝国大学が設立
- 1911年 九州帝国大学工科大学官制施行、分科大学として医科大学と工科大学を設置
- 1919年 帝国大学令が改正され、各分科大学は医学部、工学部になり農学部が設置された。
- 1924年 法文学部を設置、二名の女子学生を受け入れ
- 1939年 理学部が設置
- 1947年 帝国大学令が国立総合大学令に改められ、九州大学と改称
- 1949年 法文学部を文学部・法学部・経済学部へ改組、文学部から教育学部が分離、福岡高等学校・久留米工業専門学校・旧制九州大学を統合して新制九州大学へ移行、分校設置
- 1953年 新制大学院設置
- 1963年 分校を改組し教養部設置
- 1964年 薬学部設置
- 1967年 歯学部設置
- 1968年 芸術工学部の前身である九州芸術工科大学が開設
- 1994年 教養部廃止
- 1997年 医学系研究科および工学研究科から大学院重点化開始
- 2000年 大学院重点化の完了ともに学府・研究院制度を導入、大学院の全研究科を研究院と学府に改組。21世紀プログラムの募集開始
- 2003年 九州芸術工科大学を吸収、同大学を母体に芸術工学研究院・芸術工学府・芸術工学部を設置。
- 2004年 国立大学法人化、九州芸術工科大学を正式廃止、法務学府(法科大学院)開設。
- 2005年10月1日 伊都地区開設。
基礎データ
所在地
九州大学には大きく分けて6つの校地が福岡都市圏の各地にある。さらに別府にも校地がある。九州大学ではそれぞれの校地をキャンパスではなく、地区と呼んでいる。
- 箱崎地区(福岡県福岡市東区)
- 馬出地区(福岡県福岡市東区)
- 大橋地区(福岡県福岡市南区)
- 六本松地区(福岡県福岡市中央区)
- 筑紫地区(福岡県春日市および大野城市)
- 伊都地区(福岡市西区および前原市、志摩町)
- 別府地区(大分県別府市)
象徴
- 九州大学には大学歌はないが、三つの学生歌と一つの応援歌がある。なかでも秋山喜文作詞の学生歌「松原に」が最も学生に知られている。
- ロゴマークは円形に配した松葉に大学の文字が入ったものである。このマークは、宗好秀氏による昭和25年から用いられるようになった学生バッチの図案をもとにして、2004年に新たに制定されたもので、商標登録されている。この他にKUやQを図案化したものなどがある。
- スクールカラーはワインカラーである。いくつかのサブカラーも用意されている。
教育および研究
組織
学部
九州大学の学士課程には通常の学部のほかに、21世紀プログラムというコースが設けられている。
- 文学部
- 人文学科
- 教育学部
- 法学部
- 経済学部
- 経済・経営学科
- 経済工学科
- 理学部
- 物理学科
- 化学科
- 地球惑星科学科
- 数学科
- 生物学科
- 医学部
- 医学科
- 保健学科
- 歯学部
- 薬学部
- 工学部
- 建築学科
- 電気情報工学科
- 物質科学工学科
- 地球環境工学科
- エネルギー科学科
- 機械航空工学科
- 芸術工学部
- 環境設計学科
- 工業設計学科
- 画像設計学科
- 音響設計学科
- 芸術情報設計学科
- 農学部
- 21世紀プログラム
21世紀プログラム
九州大学の学士課程には21世紀プログラムというコースがある。専門性の高いゼネラリストの育成を掲げて2000年に設置された。各学部から1名から数名の入学定員を割り当てられ、AO入試によって学生が選抜される。21世紀プログラムに入学した学生は学籍の管理上どこかの学部に所属してはいるものの、自身がどの学部に所属しているかは知らされず、21世紀プログラムの学生として扱われ学籍番号も固有のものが与えられる。必修科目が少なく、一部の科目を除いて全学部のほぼ全ての授業を受講することができる。このコースを選択した学生は大学で学ぶ内容を自主的に方向づけ決めなければならないように教育課程が設定されている。この教育プログラムは、2003年度の文部科学省特色ある大学教育支援プログラムに採択された。
大学院
前述のように、九州大学では大学院組織が研究部/教育部(九州大学では研究院/学府)に分けられている。研究院には教員が所属し、大学院生は学府に所属する。
研究院
- 人文科学研究院
- 比較社会文化研究院
- 旧教養部の流れを汲む。
- 人間環境学研究院
- 従前の文学研究科社会学専攻・心理学専攻、教育学研究科、工学研究科建築学専攻、健康科学センターの一部を再編・統合した人間環境学研究科の後身。
- 法学研究院
- 経済学研究院
- 言語文化研究院
- 旧言語文化部(旧教養部から分かれた)を改組。
- 理学研究院
- 数理学研究院
- 従前の理学研究科数学専攻、工学研究科の一部、旧教養部の数学教室を再編・統合した数理学研究科の後身。
- 医学研究院
- 歯学研究院
- 薬学研究院
- 工学研究院
- 芸術工学研究院
- システム情報科学研究院
- 総合理工学研究院
- 農学研究院
学府
- 人文科学府(修士課程・博士課程)
- 比較社会文化学府(修士課程・博士課程)
- 人間環境学府(修士課程・博士課程)
- 実践臨床心理学専攻(専門職学位課程)
- 法学府(修士課程・博士課程)
- 法務学府(専門職学位課程、法科大学院)
- 経済学府(修士課程・博士課程)
- 産業マネジメント専攻(専門職学位課程、ビジネススクール)
- 理学府(修士課程・博士課程)
- 数理学府(修士課程・博士課程)
- システム生命科学府(一貫制博士課程)
- 医学系学府(修士課程・博士課程)
- 医療経営・管理学専攻(ビジネススクール、専門職学位課程)
- 歯学府(博士課程)
- 薬学府(修士課程・博士課程)
- 工学府(修士課程・博士課程)
- 芸術工学府(修士課程・博士課程)
- システム情報科学府(修士課程・博士課程)
- 総合理工学府(修士課程・博士課程)
- 生物資源環境科学府(修士課程・博士課程)
附属機関
- 附置研究所
- 生体防御医学研究所
- 応用力学研究所
- 先導物質化学研究所
- 全国共同教育研究施設
- 情報基盤センター
- 学内共同教育研究施設
- 生物環境調節センター
- 熱帯農学研究センター
- アイソトープ総合センター
- 中央分析センター
- 留学生センター
- 産学連携センター
- 総合研究博物館
- システムLSI研究センター
- 宙空環境研究センター
- 韓国研究センター
- 医療系統合教育研究センター
- 高等教育総合開発研究センター
- 超伝導システム科学研究センター
- 感性融合創造センター
21世紀COEプログラム
- 採択9件
- 2002年
- 生命科学
- 統合生命科学 Integrative Life Science - ポストゲノム時代の生命高次機能の探求
- 化学・材料科学
- 分子情報科学の機能イノベーション
- 情報・電気・電子
- システム情報科学での社会基盤システム形成
- 人文科学
- 東アジアと日本:交流と変容
- 2003年
- 医学系
- 大規模コホートに基づく生活習慣病研究教育
- 数学、物理学、地球科学
- 機能数理学の構築と展開
- 機械、土木、建築、その他工学
- 循環型住空間システムの構築
- 水素利用機械システムの統合技術
- 学際、複合、新領域
- 感覚特性に基づく人工環境デザイン研究拠点
教育
- 現代的教育ニーズ取組支援プログラム
- 2004年度採択
- WBT(Web Based Training)による医療系統合教育
- 2004年度採択
- 特色ある大学教育支援プログラム
- 2003年度採択
- 21世紀プログラム
- 2004年度採択
- コアリッションによる工学教育の相乗的改革(複数の大学と共同)
- 2003年度採択
- 大学教育の国際化推進プログラム
- 2006年度採択
- 九州大学長期海外留学プログラム
- 2006年度採択
- 法科大学院等専門職大学院形成支援プログラム
- 2004年度採択
- 九州三大学連携法曹養成プロジェクト(複数の大学と共同)
- 裁判と法実務の国際的体験研修プログラム(複数の大学と共同)
- アジアビジネス教育国際連携拠点形成
- 医療経営・管理学夜間・土日講座―「社会人実務家コース」の実施―
- 2004年度採択
学生生活
スポーツ
- 九州六大学野球連盟に加盟している。
- 全国七大学総合体育大会に参加している。
大学関係者と組織
大学関係者組織
同窓会
九州大学の同窓会には、13の部局別同窓会とその他地区別に組織されている同窓会があり、九州大学同窓会連合会がそれを束ねている。1999年に設立され、地区別同窓会の設立を支援するなどの活動をしている。
学士会
旧帝国大学の出身者および学長、教授、助教授経験者で構成される団体として社団法人学士会があり、九州大学関係者も多数入会している。詳細は、学士会を参照。
大学関係者一覧
施設
地区
九州大学では九州各地に分立している校地を「キャンパス」ではなく「地区」と呼んでいる。
六本松地区
旧制福岡高等学校の跡地。教養部は解体されたが現在でも全学教育科目(一般教養教育)の大部分はこの地区で行われている。多くの科目は言語文化研究院、比較社会文化研究院所属の教員によって実施されている。六本松時代には、将来の専攻に関連する講義を受けるために、箱崎(馬出・大橋・伊都)キャンパスに行く曜日があり、それを「箱崎日(箱日)」、「馬出日(馬日)」、「大橋日」、「元岡日」(元岡=伊都キャンパス。詳細後述)などと呼ぶこともある。また、単位履修の関係で1日に六本松と箱崎両方のキャンパスに行く日などがあり、それを「箱松日」などと呼んだりする。なお田島寮はこの地区にあり初年度の学生の便宜を図っている。
馬出地区
- 使用学部:医学部医学科、医学部保健学科、歯学部、薬学部
- 使用研究院・学府:医学研究院、医学系学府、歯学研究院、歯学府、薬学研究院、薬学府
- 使用附属施設:Stub
- 最寄り駅:福岡市地下鉄箱崎線馬出九大病院前駅
病院地区・堅粕地区ともよばれる。京都帝国大学福岡医科大学の母体となった福岡県立病院の跡地である。最も歴史が古い地区である。
箱崎地区
地区内は理系キャンパスと文系キャンパスに分かれている。福岡空港に着陸する直前の飛行機が真上を通過する。理系キャンパスには大学本部や旧法文学部棟など倉田謙の手になる大正時代に建てられた古い建物がいくつか残っている。九州大学の赤本の表紙にある建物はこのキャンパスにある工学部本館でやはり倉田の設計で昭和5年に竣工された。なおこの地区の学生寮としては男子寮の松原寮、女子寮の貝塚寮がある。
筑紫地区
教育の場としてよりは研究機関としての色合いが濃い。かつて筑紫地区への全面移転が計画されていたが地元の反対により断念、現在の形となった。都市近郊にもかかわらず、雪深い日もある。
大橋地区
福岡県立筑紫丘高等学校の用地・建物を転用した旧福岡学芸大学(現福岡教育大学)福岡分校の跡地。芸術工学を学ぶ場所となっている。また、建築物のデザインは他の地区とは様相が大きく異なっている。大橋、筑紫地区男子学生を対象とした学生寄宿舎として井尻寮が設置されている。
伊都地区
キャンパス移転計画に伴い、2005年10月1日から開設した新キャンパス。
別府地区
移転計画
九州大学はキャンパスの狭隘さ・老朽化に加え、箱崎キャンパスは福岡空港に近いうえ滑走路延長線上に位置するために航空機が発する騒音公害にさらされており、移転が計画されてきた。1970年代には筑紫キャンパス(春日市、大野城市)への全面移転が計画されたが、実現しなかった。その後新たに計画が策定され、平成17年度後期から10年間をかけて、箱崎、六本松キャンパスの設備・組織を福岡市西区の元岡地区に移動することが決定した。
概要
福岡市西区、前原市、志摩町にまたがる里山に新キャンパス(伊都キャンパス)を建設し、そこに九州大学を移転する計画。2005年10月から3回にわけて移転し、最終的な移転完了は2019年を予定している。病院が現在より不便な土地に移ることは利用者にとってマイナスであるという観点から、病院および医学部・薬学部は移転しない(キャンパスの郊外移転に伴って医学部、歯学部の全面移転を実行し不評だった大阪大学の失敗を教訓としている)。また、旧九州芸術工科大学である芸術工学部も移転計画が策定されたのが両大学の合併前だったためか移転の対象からは外れており、現在の大橋キャンパスにとどまる。
新キャンパス用地からは多数の古墳が発見され、九州大学関係者の間からは「その取扱いをどうするのか」というも声もある。また、九州大学関係者の間からは「工事計画は環境共生を謳うものの、計画そのものが環境破壊だ」「新福岡空港構想の候補地の一つに糸島半島が挙げられているが、その建設決定と運用に伴う騒音公害についても先行きが不透明だ」という声も上がっている。
移転の理由
九州大学は、移転の理由として、次のような内容を広報している。
- キャンパスが六本松・箱崎に分離していることから、全学教育と専攻教育・大学院教育のスムーズな連携や共同研究の実施等に障害が生じている。
- 施設の老朽化や狭隘化により、教育研究面の高度化や多様化への適応が困難である。
- 緑地の不足などキャンパスとしてバランスを欠く。
- 箱崎キャンパスは福岡空港の延長進入区域であることから、航空機騒音により教育研究に著しい支障を来している。キャンパス内への航空機墜落事故再発が懸念される。
- 箱崎キャンパスで、高層化・集約化した施設を再開発整備することは、航空法上の制限表面による高さ制限など様々な要因からきわめて困難である。
計画の内容
3期の計画からなっている。まず2005年度~2007年度に工学系キャンパスを移転させる。あわせて理系図書館と食堂・寄宿舎の整備も行う。続いて2008~2011年度は残りの用地取得と整備を行う。その次の2012年度から2019年度にかけて順次建物を移転する予定となっている。
馬出地区(医系)・筑紫地区(総合理工学府)・大橋地区(芸術工学部)の移転計画は無く、各地区での教育が続く事になる。
現況
2005年10月1日よりまず工学部機械航空工学科・物質科学工学科とその関連大学院を対象に開講した。しかし完成していない部分も多く、同学科が利用する棟においても室内工事等は同日以降も続けられていた。
2005年12月7日、水素ステーションの試運転中に酸素パイプ破裂事故が起こった。
2006年度後期より、電気情報工学科、地球環境工学科、エネルギー科学科が移転し、建築学科を除く工学部の移転が完了した。この第2期開講時にも、今回開講分の施設は一部未完成だった。学生寮は2006年秋から1棟が供用されている。
図書館・食堂・自販機・売店(2店舗)・書店・ATM等が利用可能である。なお、開校後の正式キャンパス名は「伊都地区」であるが、計画段階で使われていた「元岡地区」の呼称も浸透している。「伊都」というのは、キャンパスが立地する糸島半島にあったとされる伊都国にちなんで前原市などがしばしば用いている愛称であり、正式な地名ではない。
利害
伊都地区への移転に関しては様々な議論が存在する。
- 主張されている利点
- 大学が広報している問題点が解消される。特に学生にとってはキャンパスが統合されるというのが最大のメリットである。現在は学生は日によって別々のキャンパスに通う必要があるばかりでなく、場合によっては1日のうちにキャンパス同士を移動して授業を受けなければならないが、完全にキャンパス統合が完了すればこのような非効率性が解消されることになる。また航空機の騒音がなく、快適な環境での研究が可能である。伊都地区と福岡市中心部との距離は20km 程度で、バス路線が設けられる最寄駅(JR筑肥線九大学研都市駅)とは 4km 程度であるので、もし不便を都市中心部とのアクセスと受け取るならば、さほどの不便さはない。
- 主張されている問題点
- 市街地から遠く離れ、周囲にあまり人家がない地域に新キャンパスを建設したことで交通が不便になった。これは人の繋がりを研究する文系には致命的である。またバス・鉄道を含む公共交通機関の貧弱さは否めず、研究室在室の学生のみならず教授らの批判も受けている。現在移転しているのが実験・研究などで夜が遅くなる事が多い理系であるにもかかわらず、夜間の交通手段がほとんど整備されていない。また自動車・バイクでの通学者の増加による騒音や排気ガス、交通事故の増加が懸念される。また開校して間もないがゆえに今のところは学生街が未形成のため、学生の受け入れ先となり得る不動産物件が不足していたり、周辺にコンビニエンスストアやスーパーマーケットなどの店舗が少ないなどの問題もある。これに対し大学側はアンケート配布やインターネット上での意見募集を行っているが、現状では有効な解決手段がない・検討するとの回答も多くガス抜きとの批判もあり、寄せられた意見が状況改善に実際に役立てられる事は少ない。移転のメリットが表れるのは全面移転が完了した後であり、移転の最中においてはかえって不便が生じる。移転中に学生時代を過ごす学生たちにとっては今まで以上に不便さが増す事となる。
- 学生・教職員の意見
- 多くの学生は移転をあまり快く受け入れていないようである。現在の箱崎、六本松キャンパスとも、福岡の中心街である天神に近く交通の便もいい。現在の学生にとっては伊都地区への移転にメリットを見いだしにくいのが現状である。また移転に伴う引越しの負担も大きい。大型の機械や膨大な量の蔵書を移動させなければならないということもあり、わざわざそれだけの労力を払ってまで不便な土地に移転することに不満を抱えている教授・学生も多い。この傾向は研究において広い場所や最新鋭設備などの整った環境を必ずしも必要としない文系学生、そして各種設備が整わないまま第一期に移転が行われる工学部学生において顕著である。また学生自らの引っ越しに伴う金銭的負担や、キャンパスの分散化による交通費増加の不満も大きい。例を挙げると、割引回数券を利用しても箱崎~伊都間で1往復につき1000円が必要となる(ただし、西鉄バスのエコルカード(バス乗り放題の定期券)利用の場合を除く)。
対外関係
他大学との協定
- 特色ある大学教育支援プログラム「コアリッションによる工学教育の相乗的改革」(2004年度採択)協定大学
- 法科大学院等専門職大学院形成支援プログラム「九州三大学連携法曹養成プロジェクト」(2004年度採択)協定大学
- 法科大学院等専門職大学院形成支援プログラム「裁判と法実務の国際的体験研修プログラム」(2004年度採択)協定大学
社会との関わり
米軍兵士生体解剖事件
太平洋戦争中の1945年5月から6月にかけて、生体解剖事件が起こった。福岡を空襲した際に撃墜され捕虜とされたB-29の乗組員の米軍兵士8名が、九大医学部解剖室で生体解剖(代用血液実験、肺・肝臓の切除)された。終戦後にGHQにより関係者の戦争犯罪容疑での逮捕・取り調べが行われ、1名の自殺者を出した。他に関係者5名が絞首刑の判決を受けたが、その後減刑され最終的には全員が釈放された。これに関して九州大学は軍の支持の上での教授ら独自の行動であり、大学当局は無関係だという立場を取った。『海と毒薬』など、この事件を扱う書籍やテレビ番組、映画なども多数存在する。
九州大学生体解剖事件を参照。
戦闘機墜落事故
1968年6月2日22時45分頃、米軍板付基地所属のF-4(ファントムII)ジェット戦闘機が大型計算機施設の建物に墜落。以後、学生運動が活発化した。
いも九
九州大学の学生を福岡ではいも九(いもきゅう)と呼んでいた時代がある。垢抜けない(=イモな)九大生という意味である。この呼び名を地元福岡の菓子製造「五十二萬石如水庵」の社長であり九大出身者でもある森恍次郎が面白がって、生協と協力して芋餡のパイ菓子を九州大学応援菓「いも九」として売り出している。この菓子の売り上げの1%は、「九州大学学術研究・教育奨励助成金」として九大生の課外活動の費用に寄付されている。
公式サイト
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