トキツカゼ
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性別 | 牝 |
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毛色 | 鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1944年3月10日 |
死没 | 1966年6月19日 |
父 | プリメロ |
母 | 第五マンナ |
生産 | 益田牧場 |
生国 | 日本(青森県下田町) |
馬主 | 川口鷲太郎 |
調教師 | 大久保房松 (中山) |
競走成績 | 30戦11勝 |
獲得賞金 | 131万5,810円 |
目次 |
[編集] 戦績
戦後競馬が再開されたばかりの時期に活躍し、戦後初の農林省賞典(現・皐月賞)を勝ち(牝馬の制覇は初)、優駿牝馬も勝利した。他に東京優駿競走(日本ダービー)2着、第1回カブトヤマ記念、農林大臣賞等30戦11勝。因みに、この年のクラシックはダービー以外はブラウニー(主な勝ち鞍:桜花賞・農林省賞典4歳馬(現・菊花賞))と分け合う形となった(そのダービーもトキツカゼ2着・ブラウニー3着)。カブトヤマ記念以降は重賞未勝利だが、A5歳特別を63キロでレコード勝利・農林大臣賞を60キロで大差勝ちと強さを見せている。
[編集] 引退後
1949年3月20日のオープンを最後にトキツカゼは引退。生まれ故郷で繁殖入りしたトキツカゼは繁殖牝馬としても活躍し、オートキツ(日本ダービー)とオンワードゼア(天皇賞(春)・有馬記念)を輩出した。しかも、両者共に年度代表馬に選ばれている。これら競走成績・繁殖成績が認められ1984年顕彰馬に選出された。顕彰馬の中で、産駒の競走成績が認められて選出された牝馬は、トキツカゼただ1頭である。不受胎僅かに1回と仔出しの良かったトキツカゼは、1966年6月19日子宮内出血の為その生涯を閉じた。
[編集] 年度別競走成績
1946年(2戦1勝)
1947年(12戦6勝)
- 農林省賞典(皐月賞)、優駿牝馬(オークス)、カブトヤマ記念
- 2着 - 東京優駿競走(日本ダービー)
1948年(14戦3勝)
- 農林大臣賞
1949年(2戦1勝)
[編集] 主な産駒
- オートキツ(東京優駿、ダイヤモンドステークス、東京杯)
- オンワードゼア(天皇賞(春)、有馬記念、日本短波賞、函館記念、金杯(東)、日本経済賞)
- ミネノヒカリ(日本経済賞3着他11勝)
[編集] 血統表
トキツカゼの血統 (ブランドフォード系/Desmond4×5=9.38% Gallinule5×5=6.25%) | |||
父
*プリメロ Primero 1931 鹿毛 |
Blandford 1919 黒鹿毛 |
Swynford | John o'Gaunt |
Canterbury Pilgrim | |||
Blanche | White Eagle | ||
Black Cherry | |||
Athasi 1917 鹿毛 |
Farasi | Desmond | |
Molly Morgan | |||
Athgreany | Galloping Simon | ||
Fairyland | |||
母
第五マンナ 1939 黒鹿毛 |
*シンモア Shian Mor 1924 黒鹿毛 |
Buchan | Sunstar |
Hamoaze | |||
Orlass | Orby | ||
Simon Lass | |||
マンナ 1928 栗毛 |
*クラックマンナン | Lomond | |
Pretty Polly | |||
第三フラストレート | *インタグリオー | ||
*フラストレート F-No.1-b |
日本中央競馬会・顕彰馬 |
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