プリティーポリー
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性別 | 牝 |
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毛色 | 栗毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1901年3月 |
死没 | 1931年8月17日 |
父 | ガリニュール |
母 | アドミレイション |
生産 | ユースタス・ローダ |
生国 | アイルランド |
馬主 | ユースタス・ローダ |
調教師 | ペーター・パーセル・ギルピン |
競走成績 | 24戦22勝 |
獲得賞金 | 189,965ドル換算 |
プリティーポリー(Pretty Polly)は、イギリスの競走馬である。主な勝ち駒はイギリス牝馬クラシック三冠。牡馬を相手に15連勝した。
父ガリニュールは1904 - 05年イギリスのリーディングサイアー。当時はセントサイモン系全盛で前後のリーディングサイアーはセントフラスキン、パーシモン等セントサイモン系に占められていた。ガリニュールはそれらに対抗していた数少ない種牡馬であった。プリティポリーはそんな中アイルランドのエアフィールド・ロッジ牧場で生まれた。たくましい馬体の持ち主で牝馬とは思えないほどだったという。
[編集] 戦績
2歳の6月には後のエプソムダービー2着馬であるジョンオーガントに10馬身差をつける大勝劇でデビュー戦を飾った。この後プリティポリーは、チェヴァリーパークステークス、ミドルパークプレート等連勝を重ね、この年は9戦して全勝、特にミドルパークプレートでは後の二冠馬セントアマントを3馬身破っている。
翌年ぶっつけで1000ギニーに出走すると1分40秒のレコードで3馬身差圧勝し、続くオークスでは他馬陣営に回避続出でわずか4頭立てになってしまった。圧倒的な一番人気でここも3馬身差で圧勝した。さらにコロネーションステークス、ナッソーステークスを余裕の勝利を重ね、秋のセントレジャーステークスではヘンリーザファースト、二冠馬セントアマントらを破り牝馬クラシック三冠を達成した。次走のパークヒルテークスでデビュー以来の15連勝の記録も打ち立てた(この記録は現在でもリボーの16連勝に次ぐものでブリガディアジェラードに並ぶ20世紀欧州第2位)。
次走はフランスに遠征し輸送のトラブルもあってデビュー以来初めて敗北してしまう。翌年は、初戦のコロネーションカップをレコードで勝つものの目標のアスコットゴールドカップを前に故障で休養を余儀なくされた。秋には復帰しチャンピオンステークスやジョッキークラブステークスに勝ち以前と変わらない強さを見せた。しかし、翌年やはりコロネーションカップを勝ちアスコットゴールドカップに挑んだが20ハロンの超長距離戦が響いたかゴール前失速し2着に敗れた。プリティポリーはこの後故障のためアスコットゴールドカップを最後に引退している。
引退後は繁殖牝馬として10頭の産駒を出した。直仔に名馬といえるほどの産駒はいないが、牝系子孫にプリティポリーに並ぶ15連勝を達成したブリガディアジェラードがいる。
[編集] 血統表
プリティーポリーの血統 (スウィンフォード系/Stockwell(Rataplan)4・5×5・5=15.62%) | |||
父
Gallinule 栗毛 1884 |
Isonomy 鹿毛 1875 |
Sterling | Oxford |
Whisper | |||
Isola Bella | Stockwell | ||
Isoline | |||
Moorhen 鹿毛 1873 |
Hermit | Newminster | |
Seclusion | |||
Sister to Ryshworth | Skirmisher | ||
Vertumna | |||
母
Admiration 栗毛 1892 |
Saraband 栗毛 1883 |
Muncaster | Doncaster |
Windermere | |||
Highland Fling | Scottish Chief | ||
Masquerade | |||
Gaze 栗毛 1886 |
Thuringian Prince | Thormanby | |
Eastern Princess | |||
Eye-Pleaser | Brown Bread | ||
Wallflower F-No.14-c |
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