T-34 メンター
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T-34 メンター | |||
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概要 T-34C | |||
用途 | 初等練習機 | ||
乗員 | 2名 | ||
初飛行 | 1948年12月 | ||
運用開始 | ---- | ||
メーカー | ビーチクラフト | ||
寸法 | |||
全長 | 8.75 m | ||
全幅 | 10.60 m | ||
全高 | 2.92 m | ||
翼面積 | 16.7 m² | ||
重量 | |||
空虚 | 1,342 kg | ||
標準 | ---- | ||
最大離陸重量 | 1,950 kg | ||
動力 | |||
エンジン | P&W Canada PT6A-25 ×1 | ||
出力 | 400 shp | ||
性能(目安) | |||
最大速度 | 396 km/h | ||
巡航速度 | ---- | ||
航続距離 | 1,311 km | ||
実用上昇限度 | 9,145 m | ||
上昇率 | 451m/分 | ||
翼面荷重 | kg/m² |
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武装 | |||
固定武装 | なし |
T-34 メンター(英:T-34 Mentor)は、第二次世界大戦後にアメリカ合衆国の航空機メーカー、ビーチクラフトが開発し、アメリカ合衆国軍に採用された練習機である。原型機は1948年12月に初飛行した。
目次 |
[編集] 機体
ビーチの民間機「ボナンザ」から改造されたが、ボナンザの特徴的なV型尾翼は通常の尾翼に変更し、4人乗りのキャビンは、タンデム(縦列)複座の操縦席に改造された。単発プロペラ機だが首輪式の近代的なスタイルである。後にエンジン出力を強化したT-34B、レシプロエンジンからターボプロップに転換したT-34Cターボメンターといった派生型を展開した。
[編集] 富士重工の生産
日本では1952年(昭和27)に保安庁(現防衛庁)が初等練習機を50機導入することとなり、富士重工業(旧中島飛行機)が生産ライセンスを取得したT-34Aを採用した。翌1953年(昭和28)にまず20機が米軍から貸与され、警察予備隊に10機、保安隊に10機が導入された後、富士によるライセンス生産によって30機が導入された。さらに、1954年(昭和29)10月から1957年(昭和32)7月まで、ノックダウン生産によって49機、ライセンス生産で75機の計124機が誕生し、発展発足した航空自衛隊に「はつかぜ」として採用された。そして翌1958年(昭和33)から1959年(昭和34)までは、戦時賠償としてフィリピン向け36機、59年にインドネシア向けに1機を生産した。空自の機体の少数は、1964年(昭和39)に陸上自衛隊と海上自衛隊へ引き渡された。
これらとは別に、独自にキャビンを改造した多座席連絡機LM-1を生産し、陸上自衛隊へ納入した。続いて海上自衛隊向けにKM-2を製造し、以後、派生型は21世紀まで生産が続いている。また、富士はこのライセンス生産を通じて、アメリカ式の効率的な生産方法を学び、官民問わず数多くの航空機の製造に携わっている。
なお、空自のT-34Aは1958年(昭和33)から1982年(昭和57)まで、捜索救難機としても使用されていた。
[編集] 派生型
- T-34A:初期生産型。450機生産。
- T-34B:エンジンを変更。ビーチクラフトで423機生産。
- T-34C ターボメンター:ターボプロップエンジンに変更したタイプ。
- T-34C-1:翼下にハード・ポイントを装着した軽攻撃機。
- 富士重工業製品
- LM-1:キャビンを改造した多座席連絡機。
- KM-2:エンジン、プロペラなどを改修した並列複座の練習機。
- T-3:KM-2を縦列複座にした練習機。
- T-5:KM-2をターボプロップ化し、運動性能を向上させた練習機。
- T-7:T-3をターボプロップ化し、運動性能を向上させた練習機。