T-7 (練習機)
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富士T-7 | |||
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概要 | |||
用途 | 初等練習機 | ||
乗員 | 2名 | ||
初飛行 | 2002年7月9日(T-3改) | ||
運用開始 | 2003年4月 | ||
メーカー | 富士重工業 | ||
寸法 | |||
全長 | 8.6m | ||
全幅 | 10.04m | ||
全高 | 3.0m | ||
翼面積 | |||
重量 | |||
空虚 | |||
標準 | |||
最大離陸重量 | |||
動力 | |||
エンジン | ロールスロイス 250-B17F ターボプロップ1基 | ||
出力 | 450hp | ||
性能(目安) | |||
最大速度 | |||
巡航速度 | |||
航続距離 | |||
実用上昇限度 | |||
海面上昇率 | |||
翼面荷重 | kg/m² |
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武装 | |||
固定武装 | なし |
T-7は、航空自衛隊の初等練習機。パイロットが最初に訓練を受けるために乗ることを目的とした機体。老朽化したT-3の後継機として開発された。ビーチクラフトのライセンスを受け、富士重工業が製造した。
目次 |
[編集] 導入経緯
1990年代に「次期初等練習機」として開発が開始されたが、US-1A改開発の際に、富士役員と防衛庁政務次官による汚職が発覚した為、丸1年間凍結した。試作機であるKM-2F(JA8222)は、T-5試作機のKM-2D(JA8222)を改造して作られ(主にキャビンの改造)、初飛行は1999年(平成11)。防衛庁は汚職によるイメージ悪化を避けるため、公正な入札をアピールするべく国際競争とし、富士のほかにピラタス(スイス)がPC.7 Mk.IIで応募した。2000年(平成12)9月に富士の採用が決定したが、この決定に対し、防衛庁が採用理由の十分な説明をしなかった為、ピラタスが不当採用として告訴すると主張した。防衛庁は再度説明をすることで平穏に解決したが、防衛庁関係者にとって「説明」の重要性を再認識させる重要な事件であった。
量産型のT-3改は2002年(平成14)7月9日に初飛行し、2003年(平成15)4月に「T-7」として制式採用され、防府北基地の第12飛行教育団に配備が始まり翌年に完了、2005年(平成17)からは静浜基地の第11飛行教育団へ配備が始まり、平成18年(2006年)度末までにT-3を完全に置き換える見込みである。
なお、T-1以降の国産練習機の制式番号は、偶然にも1から7までのうちの奇数番号がすべて富士重工製となった。
[編集] 機体
機体価格低減のため、可能な限りT-3との部品の共通化が図られており、機体形状はほぼ同一であるが、翼形など細かな部分に改良(特に垂直尾翼は後退角を付けてある)を加え、運動性能を向上させてある。また、燃料の効率利用のため、海上自衛隊のT-5と同様にターボプロップエンジンを採用したことにより、速度向上や、副次的ではあるが、騒音の低下も果たした。