N-Iロケット
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N-Iロケット(エヌイチ - )は、宇宙開発事業団(NASDA)が初めて人工衛星の自主打上げを行った最初のロケットである。
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[編集] 概要
科学研究用の衛星および打ち上げロケットを自主開発し、着実に実績を積み重ねていた東京大学宇宙航空研究所(後の宇宙科学研究所)に対して、実用商用衛星の打上げを目指して設立されたNASDAは、実用化を急ぐため、ロケットの自主開発をあきらめて米国の技術を導入することから始めた。そのため、Nロケットは米国のデルタロケットを母体に製作され、徐々に技術を習得していく方針がとられた(米国としても日本のロケット技術を管理下に置く事は好ましいと考えた)。
1975年(昭和40年)、第1号機の打ち上げに成功(ペイロードは技術試験衛星「きく」)、1982年(昭和47年)まで合計7機を打ち上げ、技術習得の目標は達成できたが、打上げ能力が衛星の大型化に対応できないため、N-IIロケットに移行した。
[編集] 仕様
第二段を除けば主要部分はDelta Mロケットと略同型と言える。
- 構成
3段式の液体+固体ロケット
- 1段目: マクドネル・ダグラス社のライセンスで三菱重工業が製造。長タンク型ソアーロケットと同型である。エンジンはロケットダイン社のライセンスで石川島播磨重工が製造したMB3-3型(推進剤は液体酸素とケロシン)。
- 1段目補助エンジン: サイオコ-ル社のライセンスで日産自動車が製造したキャスター2型固体ロケットを3基使用。
- 2段目: TRW社の技術を導入して三菱重工が開発したLE-3(推進剤は四酸化二窒素とエアロジン-50)を使用している。デルタロケットで使用されているAJ10-118Fエンジンと略同大であるが、推力で二割程度勝る反面、燃焼時間が短く、比推力では劣るものとなった。
- 3段目: サイオコール社のライセンスで日産自動車が製造したStar-37N型固体ロケットエンジン。
- ペイロード・フェアリング: 米国製を輸入
- 誘導装置: 当時は慣性誘導装置の技術がなかったため、誘導計算機を地上で持つ電波誘導方式で、NECがライセンス生産。
- 大きさ
- 全長32.6m、コア直径2.44m
- 打上げ能力
- 低軌道(LEO)に1,300kg、静止トランスファ軌道(GTO)に130kg(285 lb)のペイロードを投入可能とされているが、モデルとなったDelta MロケットはGTOに358kg(785lb)の打ち上げ能力を持つので、N-Iも実際には360kg(790lb)程度の打ち上げ能力を持っているものと考えられる。(アポジモーター分を打ち上げ能力から差し引いている可能性が高い。)
[編集] 打ち上げ実績
機体 | 打上げ年月日 | 衛星 | 目的 | 軌道 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1号機 | 1975年9月9日 | きく1号 | 技術試験衛星I型 | LEO | |
2号機 | 1976年2月29日 | うめ | 電離層観測衛星 | LEO | |
3号機 | 1977年2月23日 | きく2号 | 技術試験衛星II型 | GEO | |
4号機 | 1978年2月16日 | うめ2号 | 電離層観測衛星 | LEO | |
5号機 | 1979年2月6日 | あやめ | 実験用静止通信衛星 | GTO | 衛星分離直後に3段目が衛星に追突し静止軌道投入に失敗 |
6号機 | 1980年2月22日 | あやめ2号 | 実験用静止通信衛星 | GTO | GTO投入は成功 静止軌道移行のためアポジモーター噴射の際に通信途絶 |
7号機 | 1982年9月3日 | きく4号 | 技術試験衛星III型 | LEO |