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豊臣政権 - Wikipedia

豊臣政権

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

豊臣政権とよとみせいけん)は、天正18年(1590年)、(ただし、実質的には天正13年(1585年))から、慶長8年(1603年)まで成立していた豊臣氏による日本国の政権。豊臣氏政権とよとみしせいけん)とも言われる。

目次

[編集] 略歴

[編集] 政権確立

天正10年(1582年)6月2日、織田信長明智光秀によって討たれた。このとき、中国方面総司令官として備中にあった信長の家臣・羽柴秀吉は、直ちに毛利輝元と講和して軍を東に返して、明智光秀を討った(山崎の戦い)。そしてその後、秀吉は光秀を討ったという功績をもって、柴田勝家ら他の織田家臣を圧倒し、清洲会議においては柴田勝家が推薦する織田信孝(信長の三男)を抑えて、信長の嫡孫である織田秀信織田信忠の嫡男)を信長の後継者として擁立し、自らは秀信の後見人となって、天下の実権を掌握したのである。

そして、翌年には賤ヶ岳の戦いにおいて、反秀吉の急先鋒であった柴田勝家や織田信孝、滝川一益らをことごとく討ち、前田利家金森長近ら旧織田家臣を自分の配下として組み込んだ秀吉は、信長の事実上の後継者としての地位を確立するに至ったのである。

だが、これに不満を持った織田信雄(信長の次男)が、天正12年(1584年)に信長の盟友であった徳川家康と手を結んで、反秀吉の兵を挙げる。兵力的には秀吉軍が圧倒的に優勢であったが、家康の巧みな戦術の前に秀吉軍は小牧・長久手の戦いで局地的に敗れた。しかしその後、織田信雄は秀吉の強大な勢力を恐れて、家康に相談も無く秀吉と単独講和する。そして家康も信雄が秀吉と講和したために、秀吉と戦うための大義名分を無くして撤退することを余儀なくされた。

天正13年(1585年)、秀吉は関白相論を経て正親町天皇より関白に任じられ、翌年には豊臣姓も下賜された。これは、秀吉が朝廷から天下の実力者として認められ、朝廷から政治を委任されたことを意味している。つまりこの時点で、事実上の豊臣政権が誕生したのである。ちなみにこの年に、秀吉は四国の長宗我部元親を討ち(四国平定)、紀伊の雑賀党を屈服させている(雑賀攻め)。

[編集] 統一政権として

天正14年(1586年)、秀吉は生母の大政所を人質として家康のもとへ送った。こうして遂に家康も秀吉に臣従せざるを得なくなった。なお、この頃には越後上杉景勝安芸毛利輝元らも、秀吉に臣従することを誓っていた。そして天正15年(1587年)には薩摩島津義久も秀吉の前に遂に屈服し(九州平定)、西国は完全に豊臣氏の支配下に入った。

天正18年(1590年)には、23万人の大兵力を動員して、あくまで秀吉に従わなかった北条氏政北条氏直親子を遂に屈服せしめ(小田原攻め)、さらに東北の伊達政宗最上義光らも秀吉に臣従することを誓い(奥州平定)、ここに豊臣政権のもとに天下統一は成された。この時点で、豊臣政権は日本全国に威令が及ぶ日本の統一政権として成立したのである。

天下統一が如実に表れているのが、1591年に起こった九戸政実の乱であろう。南部氏は自力での討伐をせず、秀吉は蒲生氏郷・石田三成らを大将に6万人の軍勢を奥州の僻地に派遣している。将軍足利義政以来の室町幕府にはできなかったことであり、ここに豊臣秀吉の天下一統が成ったと見てよい。

[編集] 政権崩壊への道

だが、豊臣政権を崩壊させたのは、事もあろうに豊臣政権の主である秀吉自身であった。文禄元年(1592年)、秀吉は朝鮮の征服を目指して、全国諸大名に朝鮮出兵を命じたのである(文禄の役)。はじめは泰平の世に慣れきって弱体化していた朝鮮正規軍の前に豊臣軍は連戦連勝を重ねたが、やがて朝鮮民衆による義兵軍の反攻、明国からの強力な援軍、さらに李舜臣率いる水軍に大敗などもあって、やがて豊臣軍は敗戦を重ね、また李舜臣のために日本からの補給線が途絶えたため、豊臣軍は飢えに苦しめられることとなった。

さらにこのような中で、文禄2年(1593年)に、秀吉に実子の豊臣秀頼が生まれたことも豊臣政権に暗雲をもたらした。秀吉はすでに実子の誕生をあきらめて、養子の豊臣秀次(秀吉の甥)を後継者に指名していたが、秀吉は秀頼を後継者にするため、文禄4年(1595年)に秀次に謀反の罪をなすりつけて、秀次およびその一族を全て処刑してしまったのである。

また、早くから石田三成小西行長らによって進められていた明との講和も不調に終わり、慶長2年(1597年)には再び、朝鮮出兵が行なわれた。このような中で慶長3年(1598年)8月に秀吉は死去したのである。

[編集] 政権崩壊

秀吉の死後、豊臣氏は秀吉の嫡男である秀頼が継いだ。しかし、秀頼はわずか6歳の幼主であったため、豊臣氏内部で秀吉の晩年からすでに発芽していた加藤清正福島正則ら武断派と石田三成、小西行長らによる文治派の対立が表面化し、豊臣家臣団は分裂する。さらに徳川家康も天下人を目指して、伊達政宗らと無断婚姻を行なうなど、豊臣政権は次第に衰退の兆しを見せてゆく。

慶長4年(1599年)には、秀頼の後見人として豊臣政権を何とか支えていた前田利家が死去する。このため、家康の勢力が諸大名の中でも特に抜きん出ることとなり、家康は次第に天下の権を掌握するようになる。一方、豊臣政権擁護の立場から、石田三成は上杉景勝や毛利輝元、宇喜多秀家らと共に家康との対立を試みるが、慶長5年(1600年)9月の関ヶ原の戦いにおいて、三成ら豊臣方(西軍)は敗れ、三成ら主だった者はことごとく処刑、改易された。

そして関ヶ原の戦後処理により、豊臣氏は摂津河内和泉の3カ国、65万石を支配する一大名へと転落した。そして慶長8年(1603年)に徳川家康が征夷大将軍として江戸幕府を開いたことにより、豊臣政権は終焉したのである。

その後、豊臣氏はあくまで徳川氏に従わず、独立を維持しようとしたため、慶長19年(1614年)からの大坂の陣において、家康により滅ぼされたのである。

[編集] 豊臣政権の性格

豊臣政権は、前政権の織田政権と同じく、君主である秀吉に権力が集中する形態を取っている。秀吉の治世としては太閤検地刀狩令など日本全国の土地や民衆のすべてを管理する中央集権となっている。毛利氏、島津氏、伊達氏、徳川氏、上杉氏ら100万石にならんとする大大名がいるが、秀吉生存中は彼らに執政権を与えず、石田氏や大谷氏ら自身の子飼い大名に近畿周辺の小禄に封じて政治をさせている。また各地に蔵入地(政府直轄地)を設定して遠隔支配するような仕組みを整えている。バテレン追放令をだすなどキリスト教を禁ずる一方でヨーロッパとの交易はどんどん推進した。

また、秀吉は当初は征夷大将軍への就任に意欲を示したとも言われているが実現せず、代わって偶発的事情から得た関白の地位を武家である豊臣氏による世襲制度(公家である藤原氏五摂家を排除)に変更して、幕府制度に代わる武家関白制(ぶけかんぱくせい)とも言うべき体制を導入しようとしたと考えられている。豊臣秀次への関白位譲渡も引退を目的としたものではなく、関白位の豊臣氏世襲を宣言するものであり実権は依然として秀吉が保持した(皮肉にも徳川家康も征夷大将軍位の徳川氏世襲と秀吉の遺児・秀頼への政権返上の意思が無い事を示すために息子秀忠に将軍を継がせて自らは大御所として政権を運営している)。

しかし、朝鮮出兵は結果的に失敗に終わった。これは、単に豊臣軍が明・朝鮮連合軍に敗れたというだけではなく、朝鮮出兵に参加していた諸大名は軍費などで財政的に困窮し、その不満がそのまま豊臣政権に向けられることとなったのである。つまり、諸大名が豊臣政権に対して反感を抱かせる一因を成したのだ。

また、ただでさえ少なかった秀吉の縁者である豊臣秀長豊臣鶴松・大政所・朝日姫らが、天正末期に次々と死去したことも、豊臣政権に大打撃を与えた。にも関わらず、文禄年間に秀吉が行なった豊臣秀次とその一族に対する粛清は、豊臣一族の衰退を決定的なものとしたのである。

また、秀吉は子飼いの家臣団を、武断派と文治派で分離してそれぞれ登用した。人材を効率よく使おうという秀吉らしいやり方と言えるのだが、それは秀吉没後に加藤清正ら武断派と、石田三成ら文治派の抗争へと発展した。

さらに秀吉は晩年、後継者の秀頼における豊臣政権を磐石なものとするために、諸大名に無断で婚姻を結ぶことを禁止している。さらに徳川家康・前田利家・毛利輝元・宇喜多秀家・小早川隆景(慶長2年の隆景没後は、上杉景勝)ら、有力大名を五大老に任じて豊臣政権の最高機関とした。これはいわゆる内閣制度であり、この五大老の合議によって天下の諸事が決定されるというものであった。また、検地などの事務的な処理に関しては、秀吉子飼いの家臣である石田三成・浅野長政前田玄以増田長盛長束正家らいわゆる五奉行によって執行された。そして、この五大老と五奉行の調整・監視役として堀尾吉晴中村一氏生駒親正らが三中老を務めた。

しかし、これら五大老・三中老・五奉行の制度はいずれも、政治機構としては未熟だったと言われている。事実、秀吉の没後に五大老の中でも特にその勢力が抜きん出ていた徳川家康は、豊臣氏に無断で諸大名と婚姻関係を結んでいる。秀吉がこの政治機構を定めたのは、家康に対する牽制の意味もあったと言われているが、結果的にみてそれは失敗に終わったと言えるのである(ただし、家康と互角以上の勢力を誇っていた前田利家が存命中は、この機構は何とか機能しており利家が秀吉の死から僅か8ヵ月後に病死しなければ家康の政権獲得は困難だったとも考えられる)。

また、豊臣氏の所領(蔵入地)も、全国合わせて222万石と、家康が関東で支配していた250万石に及ばない石高であった(ただし、全国の主要金山・銀山を支配していたため、財政的には豊臣氏が徳川氏を圧倒していた)。このように、豊臣政権の政権基盤は秀吉という強大な一独裁者のもとで、危ういバランスによって何とか機能していた一代政権に過ぎなかった。このため、秀吉没後に豊臣政権の矛盾、及び弱体が表面化し、わずか数年後の後に徳川氏によって取って代わられることとなったのである。

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