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神慈秀明会 - Wikipedia

神慈秀明会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

神慈秀明会(しんじしゅうめいかい)は、日本の宗教法人の名称である。

同教団は、世界救世教から昭和45年(1970)3月1日に独立したことで生まれた。すなわち、世界救世教の分派教団である。独立前の前身は、世界救世教の一所属団体であり、当時の世界救世教内で最大の教会であった世界救世教秀明教会(せかいきゅうせいきょうしゅうめいきょうかい)である。

この教団は、世界救世教の分派教団の中では最大規模の団体であり、公称信者数は35万人とされている。

本部は滋賀県甲賀市信楽町。山中に約30万坪以上の境内を有する。この境内のことを神苑(みその)と呼ぶ。神苑内にはミノル・ヤマサキの設計した、富士山型の礼拝堂ホール(教祖殿)と、イオ・ミン・ペイ(I.M.ペイ)の設計した三味線の形のベルタワー(カリオン塔)があり、秀逸な建築物として有名であるが、いずれも一般には非公開となっている。ちなみに、祭事棟と名付けられた、豪華な日本建築の迎賓館も敷地内にあるが、こちらに至っては信者に対しても非公開である。

基本的な教義は、世界救世教のものを継承している。 継承している基本的な教義とは、祭祀や礼拝の方法、教祖である岡田茂吉を、神と人の融合した姿・神人合一の存在として精神的支柱に据えていること、浄霊という手かざしの宗教儀式を行う事、美術、芸術鑑賞を重要な教義にすえていること、自然農法という、教祖考案の農業を推奨する事などである。

さらに神慈秀明会は、世界救世教を敵視する教義(離脱の神意)も別途有しており、世界救世教ほか他の分派教団を認めず、神慈秀明会の離脱こそ唯一正しい離脱であり、神慈秀明会こそが唯一の正当な教祖の後継団体であると主張している。

しかしこの教団は、教祖の記した教義のうち5%にも満たない量しか信者に公開しておらず、教祖に関する資料などが他教団に比べ著しく乏しく、信者は教祖の功績や思想をあまり知らない。また、教団は教義の詳細な内容部分において、教義に沿わない独自の解釈や方法を多く採用している。そのため、神慈秀明会独自の教義や活動内容や、思想、価値観には、教祖による教義上との問題点や矛盾点が多く発見されており、唯一正統な後継団体という主張には教団内外から疑問をもたれている。

また、この教団は会の開祖である小山美秀子を、神に選ばれた特別かつ絶対的な存在として事実上位置づけており、教団において小山美秀子の言動は、教祖の教義以上の影響力を有している。しかし小山美秀子はキリスト教の影響を強く受けており、教祖の信仰観とは大きく異なる信仰観の持ち主であった。その結果、この教団は、独立後の発展の歴史において、強力なカリスマ性を持った小山美秀子会主の影響のもと、徐々に教祖の影響が薄れ、教祖の影響が強い他の世界救世教系教団とは異なる価値観や文化を有することとなり、いわば小山流とも言えるような独自の方向に大きく変質した教団となった。

1970年の独立から1996年末まで(旧体制と呼ぶ)は、「あなたの健康と幸せをお祈りさせてください」という声かけで当時有名になった活発な布教活動や、本部境内(神苑)や美術館等の大規模な建設などを行い、同教団は問題を起こしながらも大発展を遂げたが、1997年からの新体制以降は、社会問題の原因になりがちだった、過激化した布教活動や献金活動などを制限し、かなり沈静化した。

しかし、この教団は、旧体制に関して会として正式な謝罪や補償などをしていないこと、一部の個人や拠点において旧体制の反省が見られず、旧体制時代式の行動(外での浄霊実践やノルマ設定や強力な献金活動)を改めない者がいるばかりか、教団としてもそういうものに注意を促す体制が無いこと、立教時の教義(離脱の神意)に、教義の根本を覆すような重大な虚偽が多数見つかっているにも関わらず、その説明責任を全く果たしていない事などから、旧体制時代に比べてだいぶ沈静化したにもかかわらず、未だにネット上などでの批判がつきない。

神慈秀明会の教団施設建設において、住民からの反対運動が時々発生している。1995年長野県松本市における最初の建設反対運動において、反対運動が功を奏し、建設阻止にいたったドキュメンタリーは、後に書籍として出版され、神慈秀明会に限らないさまざまなカルト宗教の建設反対運動における参考書として活用されている。現在、横浜市戸塚区内において教団施設建設反対運動がおきている。

2006年には、大阪国税局の税務調査を受け、相続税など計約16億円の申告漏れの指摘や、施設工事に絡んだ1億円の不正なお金の流れなどが、朝日新聞をはじめとして全国的に取り上げられたことより、教団開祖の一族である小山家が、信者の自己犠牲(自己放棄)による献金から50億円近い個人資産を形成していたことが発覚し、新たな批判を受けている。



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目次

[編集] 組織

  • 教祖は、世界救世教教祖 岡田茂吉(おかだもきち 故人 1955年2月10日 没) 信者は「明主様(めいしゅさま)」と呼ぶ。神慈秀明会の信仰は「明主様信仰」と言われており、岡田茂吉は教祖であると同時に、信仰の対象でもある。
  • 開祖は 小山美秀子(こやまみほこ 故人 2003年11月29日 没) 信者は「会主様(かいしゅさま)」と呼ぶ。世界救世教在籍時代は、教会を世界救世教内で最大規模にまで発展させ、女性でありながら布教部長の要職に就いたほどの優秀な教会長だった。小山美秀子は世界救世教から独立を実行した開祖という立場であり、教祖ではないが、神慈秀明会では事実上、教祖以上の尊敬対象になっている。
  • 現会長は 小山弘子(こやまひろこ)。弘子は美秀子の長女であり、信者は「会長先生」と呼ぶ。
  • 前会長小山荘吉(こやまそうきち 故人 1984年7月11日 没)を、生前、信者は「会長先生」と呼んでいたが、没後は「命様(みことさま)」と呼ぶようになった。荘吉は美秀子の長男である。会長職に就いていた小山荘吉が48歳の若さで急逝したため、会主小山美秀子は、急遽、布教、信仰経験のない小山弘子を、荘吉の後継として、会の代表に斡旋した。
  • 参拝所は、本部以下、その規模により、支所支部出張所集会所グループ、と分類される。グループ以外は責任者として本部公認の教師が常駐し管理される。参拝所は、日本全国で、最大時100カ所を越えていた。
  • 役職は、教師助教師世話人準世話人世話人とは、一定の信者を導く事でなれる。導いた信者をグループ化し、信仰的な世話をする。助教師は複数の世話人を統括する。教師は複数の助教師を統括したり、参拝所の運営をしており、階層的な組織を構成する。教師の役職はすべて本部の職員で、一部の助教師も職員のものがいる。また、教師にも階位が3段階あり、支部長、拠点長などと呼ばれる。
  • 神慈秀明会ではおひかりと呼ばれるお守りを授かることで入信(にゅうしん)する。入信したら信者となり、第三講と呼ばれる本部参拝によって本信者となる。入信していない人は未信者と呼ぶ。なお、くもり信者とは、退会した信者のことではなく、不熱心で活動に参加しない信者や、教団に批判的な姿勢をとる信者のことをさす名称である。
  • 信者は、青年部(未婚の若い男女)、学生部(中・高校生)、ジュニア部(幼児、小学生)、男子部(既婚の男性、または若くない男性)に所属する。青年部は、さらに大学生部と、成人部(大学生ではない若い男女)に分けられる。なお、既婚の女性が所属する部(婦人部など)は、なぜか存在せず、一般と呼ばれ、部としてはあつかわれなかった。
  • 信者数は、現在は公称35万人となっている(2006年4月19日の報道より)。一時は、文部省文化庁発行の宗教年鑑で44万人と記載された事があったが、布教活動を行わなくなった後、減少したと思われる。なお、神慈秀明会の最大の祭典である記念大祭の参拝者数から考え、実質の実働信者は3万人程度と考えられる。また、1970年の独立当時の信者数は、1万人強だったと言われている。

[編集] 所在地

本部:〒529-1814 滋賀県甲賀市信楽町田代 ヰカキ353-8-2

◎上記が正式な住所である。団体としては信楽町以下を「神苑2」という通称で表記し自発的に発信してきた経緯がある。国から認められているわけではないが、一応郵便物などは届く。信者の中には「滋賀県甲賀市信楽町神苑2」という住所が本当にあると思っている者もいる。

[編集] 沿革

  • 昭和16年(1941) 会主 小山美秀子 世界救世教に入信 (*)
  • 昭和24年(1949) 世界救世教秀明教会 設立 (*)
  • 昭和30年(1955) 世界救世教教祖 岡田茂吉 死去
  • 昭和45年(1970) 世界救世教秀明教会が世界救世教から離脱独立 神慈秀明会 立教
  • 昭和58年(1983) 神慈秀明会本部 神苑(みその) 神殿教祖殿 落慶
  • 昭和59年(1984) 初代会長 小山荘吉 死去
  • 平成9年(1997) 新体制発足
  • 平成9年(1997) 神慈秀明会の美術館 MIHO MUSEUM オープン
  • 平成15年(2003) 会主 小山美秀子 死去

(*) 世界救世教という名称は昭和25年からだが、便宜上、このように解説している。

[編集] 信仰

[編集] 教義

  • 礼拝対象は教祖岡田茂吉が書いたとされる「大光明」の文字を神体としたもの、および、教祖の写真である。
  • 主催神は「大光明(みろくおおみかみ)」である。また、岡田茂吉を「神人合一」の存在とし、教祖でありながら信仰の対象でもあるとする。教祖の神名は「おしえみおやぬしの神」である。
  • 信者は、自宅にご神体を奉斎し、家と、その家がある地域の幸福を願う。
  • 先祖の慰霊として仏壇内に教祖岡田茂吉が描いたとされる「十一面千手観音像」の絵を奉斎することで先祖供養を行う。(なお、この観音の絵画は、教団では教祖が描いた物と説明しているが、実際には、オリジナルの絵画を第三者が模写した、同教団制作のレプリカであったことが判明している。)
  • 信者は、礼拝時に、日本神道で一般的に使用されている天津祝詞(あまつのりと)や、教祖が観音経を元に制作した独自の祝詞である善言讃詞(ぜんげんさんじ)を唱える。
  • この宗教は、祝詞を唱えるため、一応、神道に分類されるが、教義には仏教観音が出てきたり、ユダヤ教キリスト教メシア思想があったりと、様々な宗教思想を複合している。
  • 信者は、入信時におひかりと呼ばれる、絹の袋で作られたお守り状のものを受け取り、首にかける。おひかりの授与をもって入信と見なされる。おひかりの授与を無しに会に入会するような制度は存在しない。神慈秀明会の宗教儀式である浄霊は、このおひかりを首にかけていることで可能となる。
  • この教団の主な教えは、信者がこの教団の活動に参加することで、様々な不幸に対し、神の力による奇跡が起こり、幸福になるということを説くものである。精神面や人生観に関する教えを説く事は少なく、活動主体の団体である。

なお、この節で解説した、神慈秀明会が行う信仰の姿は、世界救世教のそれとほとんど同一である。

[編集] 信者の信仰生活

  • 朝夕の「礼拝」を行う。
  • 浄霊行」(手かざしによる他者への魂の浄化)を行う。
  • 聖教書(岡田茂吉執筆物の一部とされる)「拝読」を行う。
  • 本支部出張所への「参拝」を行う。毎日「参拝」することも推奨されており、それを「日参(にっさん)」と呼ぶ。
  • 参拝所の清掃や事務などの手伝いをする「奉仕」を行う。神慈秀明会における「奉仕」は、単なるお手伝いではなく、魂が向上する信仰的な意味がある事とされている。
  • 信者は、会報である秀明紙を勉強するための、1時間程度の勉強会(秀明紙勉強会(しゅうめいしべんきょうかい)略して秀勉(しゅうべん))に、月に一回参加することが、同教団唯一の戒律として信者に義務づけられている。なお、神慈秀明会には会費制度が存在せず、同勉強会に参加することをもって会費のかわりと考えている。
  • 信者は教団の活動を経済的に支援する「献金」を行う。一般社会において、「献金」とは単なる寄付であり、それ以上の意味はないが、神慈秀明会における「献金」は、単なる寄付以上の、宗教的な意味合いを持つ。「献金」を行うことで、魂が向上し、奇跡が起こり、不幸が幸福に変わっていくとされている。

[編集] 活動

  • 芸術に触れることで、魂が清まり、人徳が向上するという教えに従い、教団は信者による芸術活動を積極的に推進している。華道、茶道、英会話、コーラスなどの文化教室を開催する。
  • 芸術活動の一環として、MIHO MUSEUMという美術館を建設し、所蔵の美術品を一般にも公開している。
  • 秀明太鼓という和太鼓の演奏グループを運営している。信者の中から有志を募り、和太鼓の奏者として育成する。秀明太鼓は、主に神慈秀明会が賛同、参画するさまざまな行事やイベントで、演奏活動を行う。技術レベルは非常に高く、日本のみならず、海外での演奏活動の実績も豊富である。
  • 教祖岡田茂吉が提唱した自然農法の理念に従って作られた、無農薬自然肥料の作物を、農家の信者が生産し、教団内で流通させている。また、農家ではない一般信者が、自然農法の農作業を手伝うことも、信仰上の奉仕活動および環境的な情操教育として推奨している。
  • 瀬戸内海の島のひとつである黄島に土地を所有しており、青年育成のために、夏休みの期間、黄島の海岸を利用して、身体障害者や学生の信者を対象としたキャンプを行う。

[編集] 布教

  • 旧体制と呼ばれた過去の時代と、新体制と呼ばれている最近では、布教に対する姿勢が全く異なっている。
  • 最近の布教は、不自然な布教活動を廃し、受け身型の布教が主になっている。社会活動(NGO活動、太鼓演奏、美術館など)を通じた教団の間接的宣伝や、信者の信仰姿勢に興味を持った人の自発的な入信などである。
  • 現在、同教団に入会するには、教団信者による紹介による布教が原則となっている。
  • 過去の旧体制時代には、駅前・大学施設近辺などで「あなたの健康と幸せをお祈りさせて下さい」と、通行人に声をかけ、額に手をかざす宗教行為(浄霊)を行う街頭布教がたいへん積極的に行われていた。
  • 旧体制時代の布教方法には、駅前で声をかけ、浄霊を行う駅前デモンストレーション(略称「駅デモ」)、大学のキャンパス内で浄霊を紹介する浄霊会、自宅を一軒一軒訪問して布教する戸別訪問などがあった。
  • こういった積極的な布教は、最近では見受けることはほとんどない。
  • 同教団が現在、積極的な布教を行っていない理由は、1996年末に体制を一新し、教団の方針が変わったからである。詳細は後節、#旧体制から新体制へを参照のこと。
  • 神慈秀明会では、パンフレットのポスティングによる宣伝は、教義上の理由により、今も昔も行わない。

[編集] 特徴

以前の神慈秀明会は、活発な布教姿勢と旺盛な建設事業が特徴だったが、新体制に方針を一新した現在の神慈秀明会は、布教や建設よりも社会に貢献することに主眼を置いて活動を推進している。

以下の記述は、体制の変更に関わらない、神慈秀明会のもつ普遍的な特徴である。新体制への方針変更前は、これらの特徴が非常に強く、変更後は、これがわずかに弱まった傾向がある。


  • 品位あり、純粋さを重んじる会風である。ただしそれが行き過ぎ、潔癖主義、完璧至上主義的な面もみられる。
  • 教義により芸術性を重んじる。茶道などの文化教室や芸術関係のイベントを多く開催し、信者や教団職員の参加を推奨する。
  • 信者の割合は女性が非常に多く、女性上位の教団である。教団幹部や役員も、女性の割合が非常に高く活動の中心も女性。
  • 優しさ、奥床しさ、清潔をモットーとしているが、特に役職を持った女性信者などに、ヒステリックで自分の主張を押しつける性格の者が多い。これは、旧体制の布教至上時代に、そういった性格の者ほど高い成績を上げていたためだと思われる。また、そういった性格の信者が教団のモットーをもとに自己の性格を反省するようなことはみられない。
  • 多くの新宗教とは異なり、日本の政治や政治家などとは関わりを持たない。
  • 閉鎖的な教団である。本部境内(神苑)を主に信者のみの参拝と制限するなど、運営にさまざまな制限が多いことなどからも、教団の閉鎖的な性格がうかがえる。
  • 海外のマスコミの取材は好んで受け付けるが、日本のマスコミなどの取材はほとんど拒否する。
  • 高級、豪華、美麗、ぜいたく主義な性格をもった教団である。潤沢な資産を持っており、さまざまなプロジェクトに惜しみなく多額の資金を投入するが、それら多くは採算を度外視したぜいたく主義的なものである。
  • 訴訟による解決を好まず、会が自ら裁判を起こすようなことはない。ただし、信者からの献金返還訴訟などで被告にされた場合は、訴訟費用に糸目を付けず、徹底的に戦う。
  • 全体主義的な教団である。末端信者が会の方針に意義を挟むなどを嫌う傾向が非常に強い。
  • 権威主義的な教団である。階級の権威と威厳を守るため、階級上位者が下位者に対し服従を要求することが多い。
  • 教義上、戒律は無い。しかしながら現場では信者の行動にさまざまな制約を要求する場合が多く見受けられる。
  • 教祖の教義は他宗教との交流を好んで行うことになっている。ただし、離脱の神意という神慈秀明会独自の教義上、教祖が立教した世界救世教との交流は拒否、または対立し、推奨されない。

[編集] 出版物

神慈秀明会から出版されている教学書。なお、これらの書物を読むことを拝読といい、拝読時には正座の姿勢を要求される。


聖教書(せいきょうしょ) 
教祖岡田茂吉が書いた論文調の教えの内、100篇を選抜して作られた神慈秀明会の聖典。初版は昭和48年9月23日。入信後、「第三講」と呼ばれる本部参拝時に渡される。ちなみに、教祖は多筆な人物であり、彼の書いた論文調の教えは2000篇以上もあると言われているが、聖教書に掲載されている教えはそのうちわずか100篇と少なく、しかも聖典としてまとめるために多数の改変が加えられている。また、教祖の教えと、神慈秀明会において実際に行われてきたさまざまな過激な活動との間には矛盾する点が多数あるが、聖教書からは、そういった矛盾的な教えが、選別から意図的に排除されている。信者は、この聖教書の100篇だけで教祖の教えの基本がすべて網羅され、それ以外の教えは読む必要が無いとすら信じているが、実際には、神慈秀明会の活動上の都合に合わせて選別され、改変された、非常に意図的なものを多く含んだ偏った聖典であったと言うことが出来る。
秀明(しゅうめい) 
秀明紙 毎月月初に信者に向けて発行される新聞型の機関誌。信者は同機関誌を無料で渡される。教団の指針や、信者の体験発表、教祖の教えなどが掲載されている。信者は、同会報を勉強する1時間程度の勉強会(秀明紙勉強会、略して秀勉(しゅうべん))への、月一回の参加が義務づけられている。
飛天(ひてん) 
神慈秀明会が独立して間もない昭和46年に交通事故死した、秀明教会の教師、故 岡田三栄子氏の思い出集である。昭和48年初版発行。この人物は、当時の教団における有力信者であり、会主小山美秀子の右腕的存在であったため、特別に思い出集の発行が行われたが、この書物の中に、『神慈秀明会の誇り』と名付けられた講義録が掲載されている。後に、神慈秀明会の特徴的な教義『#離脱の神意』が、同書の『神慈秀明会の誇り』の内容をもとに作られた。この書物は単なる思い出集ではなく、この宗教の信仰を学ぶ上で重要な教本として扱われている。
命様ご講話集(みことさまごこうわしゅう) 
故 小山荘吉前会長の講話録。 「素晴らしき世界 新しい人生」というのが正式な題名。第2巻まであるが、第1巻は昭和51年4月10日初版発行。第1巻には「カモメのジョナサン」「M.コルベ神父」「世界人の条件」という講話が掲載されており、この本が神慈秀明会の布教に多大な影響を与えた。第二巻は平成6年7月11日初版発行。「神苑大建設」と題され、神苑建設に関する講話がまとめられている。
たまゆらの譜(たまゆらのふ) 
故 前会長小山荘吉の思い出集。全3巻。
光を仰いで(ひかりをあおいで) 
故 会主小山美秀子の思い出集。全1巻。
観音行(かんのんぎょう) 
教祖岡田茂吉が書いた教えで、聖教書には載っていないものを数十篇収めてある。この書物は新体制になってから発行されたものであるが、聖教書からは排除されていた神慈秀明会の旧体制時代の過激な活動と矛盾した教えが書かれている。この教えは、教団教師でも初めて知る内容であり、この教えと、旧体制時代の活動との矛盾を、教団教師ですら満足に説明できない状態を生み出している。そのため、信者の信仰上の混乱や旧体制の活動への批判の再燃となる可能性を危惧し、末端信者への配布を慎重にしている。資格者、助教師、世話人といった役職の上位順に配布され、末端信者への配布は現時点では見合わされている。

[編集] 浄霊

  • 浄霊(じょうれい)は、神慈秀明会が行う、手かざしによる癒しを目的とした宗教儀式である。
  • 神慈秀明会の浄霊は3分から5分で終了する。
  • 浄霊は浄霊を行う者と、浄霊を受ける者とが向かい合わせになり行う。
  • 神慈秀明会では、浄霊を行う前、および、浄霊が終わったとき、浄霊を行った者と受けた者が、手を合わせ、声をそろえて、「明主様ありがとうございます」を3回唱えることが作法になっている。
  • 浄霊を受ける者は、浄霊の儀式の間、目をつぶり、浄霊を行う者の開始と終了などの合図に従う。
  • 浄霊を行う者は、まず、相手の額に手をかざす。2分ほど経過したら、相手に頭を下げてもらうように促し、2分間ほど脳天に手をかざす。これで浄霊の儀式は終了する。
  • 神慈秀明会では、この浄霊を行う事で、相手の魂が浄まり、奇跡が起こり、病気が治り、悩みから解決されるとしている。
  • 浄霊は、入信時に教団から授与されるお守り状のおひかりを首にかけることで行えることになっている。おひかりは、浄霊を行う際に必要なものであり、浄霊を受ける側には、おひかりは必ずしも必要ない。
  • 神慈秀明会の浄霊は、世界救世教が行う浄霊がもとであるが、世界救世教のものとは、その作法に差異がある。世界救世教の浄霊は、頭部だけではなく、胴体部分にも、前後左右より手をかざす。また、浄霊の時間も神慈秀明会の浄霊より長いが、神慈秀明会の浄霊は額と脳天のみに、正面だけから手をかざし、5分程度で終了する。
  • 離脱の神意の教義では、神慈秀明会の浄霊作法こそが正しく、世界救世教の浄霊作法は間違いであると説いている。

[編集] 建設

神慈秀明会の本部境内を神苑(みその)と呼ぶが、神慈秀明会は、この神苑内の建設を、多額の金銭と長い年月をかけて行った。これを神苑大建設(みそのだいけんせつ)と呼び、建設に信仰的な意義を設け、その資金となる献金を強く推奨していた。

神苑境内は、鳥居にあたる神域門やみたらしなど、神社的な構造をしているが、建築物は日本的な雰囲気を残してはいるものの、有名な建築デザイナーによる洗練されたデザインと、当時の最先端技術を駆使した、現代的な建築が主である。

神苑は、カリオン塔の建設をもって完成とされた。


[編集] 神殿、教祖殿

神殿は神慈秀明会において最高位のご神体が奉斎される建物である。白い大理石で覆われた8角形の建物であり、屋根の中心部に、リチャードリポート氏作成の「サンツリー」と呼ばれる彫刻が設置されている。神殿教祖殿の奧にあり、教祖殿と廊下でつながっている。神殿には、教義上の理由により、決められた一部の幹部信者しか入ることが出来ない。

教祖殿は、信者が礼拝するための礼拝堂である。3000席以上の椅子席が設けられている。この建物は、ミノルヤマサキデザインにより、富士山をモチーフとした、4本の曲がった柱だけが天井を支えるという奇抜な造型をしていた。構造設計よりもデザインが先という一般的ではないアプローチだったが、坪井善勝東大名誉教授により、難易度の高い構造設計が成功し、建設が実現した。


基本設計 
ミノルヤマサキ
構造設計 
坪井善勝研究室
実施設計、管理 
伊東建築設計事務所、日本設計事務所
設備設計 
総合設備計画
照明デザイン 
石井幹子デザイン事務所
音響設計 
永田穂建築音響設計事務所
御尊像製作 
圓鍔勝三
彫刻制作 
リチャードリポート、リーダッセル
神域門、みたらし制作 
流正之
施工 
清水建設
着工 
昭和55年
落慶 
昭和58年


[編集] 祭事棟

(執筆募集)

[編集] カリオン塔

(執筆募集)

[編集] 彫刻等

雲が滝(みたらし) 
流正之による石造りの滝。参道の途中にあり、神社で言うところの手水舎の役割をする。
天門 
流正之による、巨大な8本の石の彫刻。神社で言うところの鳥居にあたり、俗界と神界を分ける意味合いを持たせている。
メモリアル 
半田富久氏の彫刻。球形のモニュメントである。会主小山美秀子、初代会長小山荘吉の功績を記念した記念碑であり、墓所でもある。

[編集] 神苑建設に関する受賞

(執筆募集、神苑建設で関係者が取得出来た賞について)

[編集] 備考

  • 神慈秀明会では、神苑建設の話を、神苑大建設(みそのだいけんせつ)となづけ、重要な教義として位置づけている。
  • 神慈秀明会の一部の信者の間では、神苑の完成をもって、最後の審判と呼ばれる、世界的な大災厄が来ると信じられていた。
  • 昭和58年の落慶までにかかった工事費用は、百億円とも百五十億円とも言われている。

[編集] 奇跡、奇瑞

神慈秀明会では、奇跡または奇瑞と呼ばれる現象が、非常に頻繁に起こる宗教として布教されていた。奇跡を気軽に体験出来るという所に興味を持った、好奇心、探求心旺盛な青年層や、奇跡が起こることで、本人や家族の難病重症が解決されるという可能性にかけた者などの入信が相次いだ。

この宗教は、無神論者に奇跡を体験させることで、神の存在を多くの人に認めさせようとすることを目的としていた。

なお、神慈秀明会が新体制に変わり、積極的な布教活動が行われなくなるに従い、奇跡奇瑞は著しく減ったものとみられている。

[編集] 奇跡

  • 奇跡(きせき)とは、神の力で難病が治癒されたり、大事故から免れるような御利益の事例の事である。
  • 奇跡を起こす物としては、浄霊と、聖水(通称奇跡の水)がある。
  • 奇跡の多くは、毎月行われる本部の祭典において信者による体験談の形で発表され、それが会報「秀明」に掲載されることで信者内に広く伝わる。
  • 浄霊の儀式により、奇跡が起こった例が多数会報「秀明」に掲載されている。
  • 聖水(奇跡の水)とは、本部の水であり、参詣時に手と口をゆすぐための水である。これは、わき水などではなく水道水である。この水を飲用または塗布などすることで、奇跡が起こった例が多数会報「秀明」に掲載されている。
  • 神慈秀明会に入信したり、各種祭典への参拝を行うこと、布教活動に参加すること、また、高額の献金を行うことでも、さまざまな奇跡が起こった事例が会報「秀明」に多数掲載されている。
  • 特に夏期布教において奇跡が多数起こるとされており、奇跡を体験したい青年部信者は夏期布教への参加が推奨された
  • 神慈秀明会の奇跡は、会報掲載以外、一般信者も非常に多数の者が体験しており、日常的な現象になっていた。新興宗教にありがちな、虚偽による御利益の捏造のようなものではなかったことは、神慈秀明会に否定的な元信者であっても認めている。
  • ただし、神慈秀明会には、発生した奇跡が本当に神の力による超自然現象か、それとも偶然や思いこみの産物なのかをきちんと見分けようとする風潮はなかった。したがって、偶然や思いこみ、プラシーボ効果によるものも奇跡の一つとして積極的に数えており、そのことが奇跡の発生事例数を水増ししていたといえる。この風潮がいきすぎ、会報秀明に、一信者が捏造した奇跡事例を、検証無く真実として掲載してしまった事件(モハマド君事件)も発生した。
  • なお、神慈秀明会と元信者との近年の裁判において、元信者側の「神慈秀明会は奇跡の話で多数の信者を集めていた」という主張に対し、神慈秀明会側は、弁護士に、そのような行為は行っていなかったと証言させている。

[編集] 奇瑞

  • 神慈秀明会の信者は、奇跡の他に、奇瑞(きずい)と呼ばれる現象を体験することがある。
  • 神慈秀明会における奇瑞とは、物質の突然の出現や、起こりえない不思議な現象などの発生を指す。これはいわゆる御利益とは異なる。この現象も奇跡同様、起こすことによって神がその存在を示すための現象とされている。
  • 神慈秀明会では、「神様が本当に現れるときは、色に、音に、味に、薫香に、温熱にあらわれる」としており、信者はこのような体験を神様が現れた証としてありがたがる。
  • 薫香(突然良い香りがすること)や光が見えるなどの事例、浄霊時に温熱を感じたりするなども多数報告されている。
  • 太陽の周りに虹の輪がかかったという事例や、祭典の瞬間の太陽黒点の写真映像が烏の姿をしていたような事例など、天候や天文学的な不思議現象も奇瑞として報告される。
  • 神慈秀明会の奇瑞は、一般信者も非常に多数の者が体験しており、日常的な現象になっていた。

[編集] 物質出現の奇瑞

  • 特に膨大に起こった奇瑞は、物質の突然の出現である。金粉、銀粉の突然の大量出現、ダイヤモンドの突然の出現、通称ゴールドと呼ばれる、金で出来た小さな彫刻の突然の出現などがある。
  • 金粉銀粉とは、文字通り、金や銀の粉が、突然出現する現象である。金や銀の物質は、粉状以外にも、薄い金箔の状態のものや、糸状のものや、小さな固まりのものも出現することがあった。
  • 金粉銀粉の出現箇所は、信者の身体や服の上、自宅の部屋の中、公園全体など、その場所も、出現の量も多岐にわたる。目撃者の目の前で金粉銀粉が徐々に増えていく目撃例も多数報告されている。
  • ダイヤモンドの出現事例も非常に多かった。出現したダイヤモンドの多くは8角形のカットが施されており、下面に金箔が張られているものが一般的だった。
  • 出現したダイヤモンドを専門家に鑑定してもらうと、「これは地球上に存在していない物質だ。研究のため、1億円で売って欲しい」と言われた、という証言が会報に掲載された。信者は奇瑞の品物を、神の力による、非人工的な物質であると信じ、積極的な検証などは行わなかった。
  • ゴールドの奇瑞とは、最大でも高さ1cm程度の、七福神や打ち出の小槌などの縁起物を彫った小さな金製の彫刻が、忽然と信者の元に出現するとされる現象である。
  • 金粉銀粉ダイヤモンドゴールドといった物質の出現現象は、たいへん多くの信者が体験しており、今でも保有している信者を見つけることは容易である。

[編集] 物質出現の奇瑞に対する批判

物質出現の奇瑞は、一時の勢いは衰えたといえ、現在でも発生し続けている現象である。しかし、最近になって、この物質出現の奇瑞に対する批判的見解が増加してきた。

  • 近年、ダイヤモンドを保有している信者が宝石商などの専門家に鑑定を依頼したところ、安価なイミテーションであると鑑定された例が多数報告されている。その際、下面に張られている金箔は、模造品のダイヤモンドを輝かせるために一般的に行われている、人工的な鏡面処理であるとされている。
  • ゴールドの奇瑞の彫刻も、金製であるとは確認出来ず、材質も、鋳型も、神社のお守りに入っている安価な工業製品と同等なものであるという検証が多数報告されている。
  • これらのことから、信者がありがたがる奇瑞の品物は、人工物であり、安価な既製品にすぎないという否定的な見解が現在有力である。
  • 出現する品物が安価な工業既製品であることから、物質出現の奇瑞現象そのものも、教団が組織的に行った大規模な捏造工作ではないのか、と考える批判者も多いが、現在の所、同教団が奇瑞を捏造するために、そういった安価な既製品を組織的に撒いていたような告発や報告は存在しない。
  • 神慈秀明会に否定的で、反旗を翻した人物は非常に多く、中には会主会長の側近だった者もいるが、そのような人物からも、奇瑞の組織的な捏造があったという報告はない。
  • また、出現事例はあまりにも膨大にあり、教団と利害関係を持たない末端信者や未信者の目撃者も非常に多数おり、出現箇所も出現状況も様々であるため、組織的に秘密裏のまま奇瑞現象を捏造工作することは、現実的には不可能であると思われる。
  • どうやら、奇瑞現象において出現していたさまざまな物質は安価な工業既製品であることが多いが、それが忽然と奇跡的に現れていたらしいというのが、現在の平均的な見解である。
  • このことを知った信者の中には、「たとえ品物が偽物であっても私には関係ない。私がそれをそのときに頂いたということに意味があるのだ」という理解をする者も多い。また、このことを知った批判者は、「もし神慈秀明会の神様が本当の神様なら、このような偽物をさも本物のように出すのだろうか」と、神慈秀明会の主催神の性質を疑っている。
 参考外部サイト
 ダイヤモンドの奇瑞
 ゴールドの奇瑞

[編集] 旧体制から新体制へ

神慈秀明会では、1997年に活動方針の体制を一新した。1997年から現在までを新体制と呼ぶ。それ以前、立教の1970年から1996年末までを旧体制と呼ぶ。

なお、旧体制という用語は神慈秀明会による命名ではないが、世間の慣例として、新体制の前は旧体制と呼ばれるのが一般的であること、また、本部勉強会などの公式の場でも幾度も使用されており、信者間の会話やネット上の記述でもその時代を旧体制と呼ぶことがすでにある程度定着した用語であるため、 本項でも便宜上使用している。


神慈秀明会は、新旧体制下において、活動内容や教団内の風潮、価値観などが全く異なっている。したがって神慈秀明会を客観的に理解するためには、旧体制新体制の差異を知る必要がある。


[編集] 旧体制とは

  • 旧体制時代とは、人救いの名の下に神慈秀明会全体が、数の目標達成に邁進していた時代であった。旧体制時代における主な年間目標とは、参拝(大祭などへの参拝人数)、布教(年間の入信者)、献金(本部神殿や美術館建設のための資金)であった。
  • 旧体制時代、神慈秀明会の信者数は爆発的に増大し、文部省文化庁発表で最大44万人が報告されている。
  • 旧体制時代は、大規模な建設と、その資金とするための献金の推進が活発であった。教団は施設建設のため献金を膨大に集め、豪華な神殿(推定金額150億円)や美術館(推定金額、建築費500億円、美術品購入費500億円)などの建築を実現した。
  • 旧体制時代には、無理な入信数や献金額を掲げたため、職場、学業を放棄しての布教活動や、無理な借金をしてまでの献金活動などが、自己放棄という名の教義の元、容認されており、実際に一部の支部で大規模に行われていた。
  • 駅前や大学施設などでの公的施設でも街頭布教が活発に行われたため、公的施設の管理法人とのトラブルも多発した。
  • そんな旧体制の活動は、活動の現場においては、信者は、家族や会社、学校などとの間に様々なトラブルなどを起こしがちだったが、新聞や雑誌にそれらの活動が取り上げられて大々的に社会問題化することは、結果的に起こらなかった。そのため、当時の信者は、旧体制の活動が社会との間になんらかの問題を起こしがちであるとの認識を持っていなかった。
  • しかし、実際には、家族などからの苦情が本部に集中していたことを、1996年末、小山弘子会長が、講話という形で初めて公にし、明らかにした。この講話において、神慈秀明会は、旧体制の活動の問題を公に認めた。

[編集] 旧体制の終焉と新体制の発足

  • 1996年にMIHO MUSEUMが開館する際、館長に予定されていた梅原猛氏より、「母体がこの状態では館長には就任できない」という通告があり、この時に小山弘子会長が、それまでの過激な布教献金体制への見直しをおこない、1997年から新体制として会の方針を一新した。
  • それ以後は、過激な布教、献金活動は沈静化した。
  • 新体制発足時の1997年1月号の会報に、教団幹部から教団トップの小山弘子会長に対しての謝罪文が掲載された(信者に向けての謝罪文ではない)。
  • 新体制に伴い、旧体制時に行われていたさまざまな行事や活動は見直され、「軌道修正、原点に返る」のうちだしから大きく会の方針を修正した。まずは、それまでの、目標数にこだわり、社会を顧みない風潮を、新体制と同時に性急に一掃した。その後、社会へ貢献や、一人ひとりを大切にするなどといった方向性が、徐々に定まっていった。
  • 新体制となったことで、旧体制時に末端信者に行ってきた指導は誤りであったと気づいて反省し、自主退職した教師職員がわずかだが存在した。
  • 新体制に伴い、教団の人事が一新した。各部の部長職は、それまで布教経験や信仰年数が長いものが選抜される傾向があったが、新体制からはそれにかぎらない選抜が行われるようになった。

[編集] 新体制とは

  • 新体制とは、過激化した布教や献金の推進が社会問題化したことを受けて、それまでの教団の体質を見直し、本来あるべき姿に戻していこうとする動きである。
  • ただし、新体制が始まった1997年当時は、旧体制の過激な活動を大至急一掃することが最大の目的であり、その時点では、教団の新しい方針をどのように定めていくかは明確ではなかった。その後、新体制として採用すべき新しい活動方針が徐々に決定されていった。
  • 現在では、新体制とは、従来の目標数を大切にし社会を顧みない活動よりも、信者一人ひとりを大切にし、自然体で、社会へ受け入れられる活動を模索するものであると理解されている。
  • 新体制では、積極的な布教建設を行わないため、一時の勢いが衰えた感があるが、勢いの維持よりも「内容の充実」や「純粋・正直のイメージ」をめざし、組織の改変が行われた。
  • 新体制では、3つの芸術活動というスローガンを立て、社会に貢献することを目標としている。3つの芸術活動とは、浄霊による癒し(魂の芸術)、自然農法による心身の健康(農業の芸術)、そして美しい美術品や芸術に触れること(美の芸術)であり、これらの芸術活動によって豊かな精神性を養い、社会への貢献を目指す。

[編集] 旧体制の教義と活動

旧体制における教団の活動方針は明確であった。

それは、「布教(入信者数)」「献金額」「参拝者数」の、年々の大幅向上を目指す、というものであり、毎年それが年末までに達成されることで人類が救済され、天変地異を免れ、信者ひとりひとりの因縁(曇りという)がとれると考えられていた。

  • 神慈秀明会では、年頭に、本年の献金額や入信者数の目標を教団に自己申告の形で約束し、それを年末までに達成しなくてはいけなかった。目標、または約束という形を取っているが、これは事実上のノルマであった。神慈秀明会では、「約束」という体裁で、毎年、ノルマを課していた。
  • 神慈秀明会の教義では、約束の厳守、時間の励行と言われている。(聖教書「誠のあるなし」の教えより)旧体制時代は、各支部、世話人グループにおいて、「自ら立てた目標」は、「神との約束」であり、必ず守らなくてはいけないという風潮であった。しかも年頭の目標は、「人は常に進歩向上を志さねばならない。特に信仰者にしてしかりである」という教え(聖教書「新人たれ」の教えより)に従い、必ず昨年度より多い目標を立てなくてはいけなかった。
  • 目標が達成出来ないときの罰則は存在しなかったが、年末の式典において、全ての信者が尊敬してやまない会主小山美秀子に絶賛されるため、それを目標に各支部は決死の努力を行った。この活動を毎年繰り返したことが、神慈秀明会の規模拡大の原因であり、年々、活動が過激化した理由でもある。
  • 関東地方のある支部は、この目標を10年以上連続して達成した記録をもっているが、同時に、この支部がもっともたくさんの犠牲者を生み出した支部として現在批判されている。


以下、旧体制時代にのみ使われた用語や文化について解説する。


夏期布教
青年部の活動であり、8月の1ヶ月間、信者が、自分の所属する地域から離れた地域の参拝所に合宿して、布教活動を行うというイベント。
  • 神慈秀明会でもっとも奇跡が起こるイベントであるとされていた。
  • 参加期間は約1週間単位で4期に区切られていたが、約1ヶ月の全期連続参加が、学生、社会人問わず推奨された。
  • 夏期布教は多くの青年にとって、魅力的なイベントだった。そのため、会社員が夏期布教に全期(1ヶ月)参加したために、毎年8月になると、会社を自主退職したり解雇されてしまう例が相次いだ。
  • 夏期布教参加者は、ユニフォームとして、専用のTシャツやポロシャツの購入と着用が義務づけられていた。この夏期布教は、現在は行われていない。


自己放棄
信仰のために自分の都合や仕事や学業などの事情、ひいては命を放棄すること。転じて、学校や会社を休んだり、退学、退職して、合宿布教活動などを行うこと。旧体制時代は、これを行うことが誇りとされ、大いに推奨された。
  • 自己放棄という言葉を信仰的に解釈すると、「自己を捨て、神の意志に自らをゆだねる」のような意味だと思われるが、実際にはこの言葉は、会社や学業などの本業を休み、布教などの宗教活動に専念すること、の意味に使われることがほとんどだった。
  • 自己放棄という言葉には、仕事や学業だけではなく、家庭や、ひいては命すら信仰のために放棄することを意味として含んでいる。そうなるに至った理由として、以下のものがある。
    • 神慈秀明会が世界救世教から独立することを離脱といい、この離脱においては、会主小山美秀子は何度も命の危機に陥ったなどとされており、そのことを称して命がけの離脱と表現された。最高の信仰を示す用語である自己放棄と、神慈秀明会において最高の信仰者とされる小山美秀子が行った最大の功績が命がけの離脱であることから、自己放棄という言葉に命がけの意味が内在したのは自然な成り行きであった。
    • 昭和46年に交通事故で急逝した、神慈秀明会の有力信者、岡田三栄子の死を、最高の自己放棄であると、会主小山美秀子、元会長、故、小山荘吉が賞賛したことも、自己放棄に命を差し出す意味を加えている。 岡田三栄子は、自らの子供イサクを生け贄として神に差し出した旧約聖書アブラハムの逸話や、両親の悲痛な反対を押し切り、家族を捨てて信仰の道をとったキリスト教牧師、高倉徳太郎の逸話を、高い信仰の姿勢として講話していた。この講話は飛天という書物に掲載され、神慈秀明会における基礎知識となっている。教団のトップである小山美秀子、荘吉が、そのような考えの人物を「神慈秀明会の誇り」と言い、その死を自己放棄として讃えたことは、神慈秀明会の自己放棄という考え方に、究極の自己放棄は命をも献上することであるとする、一つの方向性を作り上げた要因となったと言える。
    • その後、小山荘吉が急逝したときも、崇高な自己放棄としてその死を讃えた。
    • 自己放棄という言葉に生命の放棄の意味が内在しているからと言って、実際に生命が要求されたようなことがあったわけではないが、そのことが自己放棄という言葉が要求する水準を底上げしていたことは事実である。
  • 昭和58年、青年大祭の講話において、小山荘吉前会長が、「すべての青年は自己放棄の準備をしなさい」と講演した。この頃から、時間に余裕がある学生だけではなく、日常仕事に就いているはずの社会人までが「自己放棄」に参加する風潮が生まれた。
勉強会
青年部には、カレッジや、エリート会と呼ばれる勉強会が存在した。
  • カレッジとは 青年部に所属するものが参加する基本的な勉強会。その名の通り大学をイメージし4年制である。毎月1回、本部(滋賀県)に参拝し、勉強会を行う。また、各所属の支部で支部カレッジという復習を目的とした勉強会も行われた。
  • 卒業試験に合格し、また、在学中に40名の入信者を作った者はバチェラーという称号を得られた。
  • エリート会は、カレッジ2年以上のカレッジ生が希望により編入出来る、カレッジの上位的な勉強会である。カレッジ同様、月に1度の本部勉強会がある。修了規定は、年間で25名の入信者を作ることで、達成すると、「青年ルビー」と呼ばれる「世話人」の役職を得る上、カレッジ3年を省略してカレッジ4年に復学出来た。
  • カレッジの勉強会において、前述の夏期布教自己放棄などの布教活動の参加が強く勧められていた。カレッジエリート会も、卒業のためには多数の入信者を作る必要があり、勉強会とは言いながら、実態は布教活動の促進という面が主体であった。
  • 教義上、バチェラーの資格は、死後、霊界でも通用する資格とされた。前会長、小山荘吉は、バチェラーの資格を得ることで霊界で優遇され、「閻魔大王も顔パス」などと言った。
  • 旧体制終了に伴い、カレッジおよびエリート会といった勉強会は無くなった。


桃の実献金
神慈秀明会における献金の単位。100万円を「桃1個」と数える。
  • 百は「もも」と読むことが出来ることからきている。古事記においてイザナギの尊が桃を投げて邪鬼を追い払ったことなどから、信仰的な意味があるものとして強く推奨された。
  • イザナギの尊が投げた桃は3つだったために、献金も、桃の実3つ、すなわち300万円の献金が推奨された。
  • 派生的なものに、桃の木献金(1千万円)、桃の種献金(10万円)、小桃献金、亀の子献金などがある。
  • 桃の実献金という言葉は現在でも使用されているが、旧体制時代ほどには重要視されていない。


限界突破、瞬間移動
神慈秀明会にて使われていた教義の用語。
  • 昭和50年カレッジにおいて、前会長、故 小山荘吉氏が、リチャード・バック著、五木寛之翻訳のベストセラーカモメのジョナサンを神慈秀明会流に解釈し、講義したことがあった。その後、同講義が「講話集」という形で書籍となり、同著に記されている限界突破瞬間移動などの言葉が神慈秀明会の重要な考え方として定着した。
  • 限界突破とは、それまで出来なかったこと、すなわち限界を、自己の努力で突破することであり、目標達成のための励ましの言葉として使われた。
  • 瞬間移動とは、物語中に、主人公のジョナサンが、想念(考え方)を変えたとたん、瞬間移動という難題を克服出来たことから、常識では難しい難題を解決するために、想念(考え方)を変えるということが推奨された。
  • これらの用語は、主に布教の現場で使われ、目標達成の方法論として重宝された。新体制では、布教も目標達成もなくなったので、この用語は自然消滅した。
  • なお、旧体制時代、青年が教団から勅命を受け、海外に布教活動に行くとき、その青年のことをカモメと呼称したが、その名称はカモメのジョナサンの教義から来ている。


持戒月
持戒数を必ず達成しなければいけない月
  • 秀明紙勉強会秀勉(しゅうべん))への参加は神慈秀明会信者の戒律となっているが、末端の一信者と、グループを有する世話人などでは、その意味合いが異なっている。末端の各信者にとっては、自分が秀明紙勉強会秀勉(しゅうべん))に参加することが戒律であったが、支部や世話人グループなどは、自分のグループの信者を秀明紙勉強会秀勉(しゅうべん))に参加させ、グループ毎に定められた秀勉(しゅうべん)参加人数を守ることこそが戒律であった。
  • そのノルマを持戒(じかい)といい、その数を、持戒数(じかいすう)という。
  • そして、その持戒数のノルマを必ず達成しなければいけない月が、毎年、1月と9月にあった。この月を持戒月という。
  • ノルマは、会主小山美秀子が要求した割合が、グループの100%であり、当時の会長小山荘吉がそれをおまけして50%程度が要求されたが、非常に新入信者の定着率の悪い神慈秀明会においては、どの支部、世話人グループでも、実働信者は、常に入信者の10%から20%程度という厳しい状況であり、持戒月は、毎年たいへんな負担として各支部や世話人グループにのしかかった。
  • 持戒月には、参拝したくない信者や、もう辞めたつもりの信者も秀勉(しゅうべん)に呼ばなくてはいけないため、深夜や早朝の信者宅への突然の訪問、囲い込んでの説得工作、虚偽による案内、自動車での強制的な送迎などの非常識な行動が日常的に行われていた拠点もあった。
  • 持戒月の活動も、旧体制終了とともに無くなった。


人類救済、地上天国建設
旧体制時代の布教活動のスローガン。
  • 神慈秀明会の旧体制におけるあらゆる活動は、人類救済地上天国建設という壮大なスローガンの元に行われていた。
  • 熱心な信者は、この宗教の布教活動が広がり、本部神苑の建設が進捗することで、人類が滅亡から救われ、地上が天国になるということを本気で信じて邁進していた。
  • 仕事や学業を放棄して布教に専心する自己放棄や、借金をし、自己破産をしてまでの献金活動など、現在でも批判の的である過激な活動は、人類救済地上天国建設を実現するための尊い自己犠牲活動であったとして絶賛され、正当化されてきた。
  • 教祖岡田茂吉の「常識を重んぜよ」という教えは、人類救済地上天国建設の大スローガンの前に軽視され、信者は非常識な活動を正義と信じて繰り返した。
  • このスローガンは、新体制とともに言われなくなり、それまで自己放棄や、過激な献金活動で人生を捧げてきた者は、会の方針が変わるとともに心の拠り所を失った。

[編集] 新体制の教義と活動

  • 新体制になると、布教や献金、持戒月といったノルマの達成という風潮はなくなった。神慈秀明会の活動は沈静化し、それまで目標達成に追いまくられていた信者の多くは、暇でやることが無くなり、熱心な信者は活動の目標を失った。
  • 新体制では、特に国内から目を海外に向け、海外の精神性を説く団体とのコネクションを築き、いくつかの団体とパートナーシップを結んでいる。
  • 旧体制時代は、活動の指針は目標達成のみと明確であったが、新体制では、自分たちの活動の指針を各個人やグループで出すことになっている。しかし神慈秀明会の文化は、してはいけないこともとても多く、どんな活動でも自由に選択出来るわけではない。


本項では、新体制から始まった活動について解説する。

インターフェイス(InterFaith)
神慈秀明会が賛同し、参加している宗教的活動の名称。
  • 1998年より、神慈秀明会は、インターフェイス(InterFaith)・ニューヨークセンターの活動に賛同し、提携を結び、インターフェイスの活動に積極的な参加を行っている。
  • インターフェイス(Interfaith)とは、異なる宗教同士の社会的,文化的多様性を認め,互いを受け入れ、交流を結ぶことで、宗教間の争いを解決しようとする活動である。
  • もともと、教祖岡田茂吉による世界救世教の教義は、他宗教との和合が目指されており、その教義を継承する神慈秀明会がインターフェイスの活動に参入することは不自然なことではなかった。
  • ただし、布教と献金一辺倒の旧体制時代に、神慈秀明会がインターフェイス活動に参加したとは思えず、インターフェイス活動への参加は、新体制時代の、布教、献金以外の教団活動の模索の結果と言えるだろう。
    • 旧体制時代においても、同教団への他宗教からの訪問を受け入れたことはあった。会主小山美秀子のローマ法王への謁見をきっかけとし、昭和51年10月12日、ピネドリー枢機卿の神慈秀明会への訪問を受け入れた。
  • なお、神慈秀明会には、#離脱の神意という独自の教義がある。この教義は、神慈秀明会の立教の根本に関わる重要なものであるが、同教義の根幹にある「世界救世教は邪悪な存在であり、神慈秀明会は世界救世教とは一切和合できない」という思想と、あらゆる宗教と和合すべきとするインターフェイスの理念は、論理的に矛盾しあっている。しかし神慈秀明会では、この明らかな矛盾に対し、現在の所、明確かつ合理的な説明を行っておらず、かといって、離脱の神意の教義の封印も行っていない。新体制下の神慈秀明会は、インターフェイスの理念と、離脱の神意という矛盾した二者を、合理的な説明無く平行して説いている。
クレストンセンター
新体制後、アメリカコロラド州クレストンの金鉱山跡に建設されたセンターである。秀明国際交流センターSIIの本部でもある。この建物は、旧体制時代に多く建築されてきたような、信者の参拝のための拠点ではなく、前述のインターフェイス活動の象徴としての建物である。この建物においては、リトリートと呼ばれる精神的修養や、インターフェイスに関するイベントなどが行われている。
リトリート
(執筆者募集)
魂の救い
旧体制には無かった、浄霊による救いの新しい方向性
  • 旧体制時代においては、浄霊により奇跡が起こり、非常に重度の病気もまたたくまに救われた例が、好んで会報「秀明」に掲載され布教活動や献金の推進に利用されていた。
  • 旧体制時代、浄霊や布教活動は、必ず相手の病気を治すものと考えており、治らなかった事例を積極的に取り上げるということは無かった。
  • しかし新体制になってまもなく、会報「秀明」に、浄霊で結果的に病気が救われず、亡くなった事例が2ヶ月に分けて発表されたことがあり、話題になった。
  • このとき亡くなった方は、死の恐怖から完全に克服され、幸福感に満たされて亡くなったとされており、感動的な体験談として当時の信者の心に深く刻まれた。
  • 小山弘子会長は、この事を、浄霊による魂の救いと位置付け、新体制における新しい救済の方向性とした。
  • 魂の救いという新しい方針は、新体制になって浄霊の奇跡が減り、信者の病気が治らなくなってきたことをごまかす目的であるという批判もあるが、神慈秀明会における救いの定義の拡大につながり、信者の活動がやりやすくなったことも事実である。


秀明自然農法
神慈秀明会が行う、教義に基づいた農法
  • 自然農法は、岡田茂吉が提唱した農法であるが、神慈秀明会では、秀明自然農法と名付けて実行している。
  • 神慈秀明会が自然農法に力を入れ始めたのは、旧体制の末期からであった。それまでは布教と献金活動一辺倒であった。
  • なお、自然農法という言葉は、世界救世教商標登録しているため、神慈秀明会では、教祖命名の「自然農法」をそのまま使わず、あえて秀明自然農法と呼ぶものと思われる。
NGO
2004年に国連NGOスペシャルのステイタスを取得した。広島青年平和会議の開催に関わり、その会議を介して交流が始まったザンビアの農家を支援している。
精神性
  • 新体制に移行後、小山弘子会長が好んで多用する神慈秀明会における重要なキーワードが精神性である。
  • 神慈秀明会において精神性とは、森羅万象の深奥において見えざる神や霊、精神の存在といったものを美的感覚でもって正しく感得できる素養、素質を指しており、主として「未信者」の霊格(魂のレベル)を評価、表現する場合に用いられる。
  • 教祖の説く、見えざる神を信ずる「唯心思想」や「唯心主義」、「唯心的」も類似の概念であるが、「未信者」に対して使用しても違和感がないように、また、「未信者」に対して失礼にあたらないように、宗教性がより希薄な精神性のほうが好まれるようになったものと想像される。
  • 特に海外において、国連関係者、フィリピン財閥、ドイツ貴族の末裔、オーガニック農業推進団体、そして欧州の某皇太子等々、いわゆるステータスが高いとされる個人、団体が神慈秀明会の活動に賛意を示し、小山弘子会長とも親交を持つとともに、これらの個人、団体との間でさまざまな分野での協力体制が構築されつつあることが、機関誌「秀明」でも伝えられている。また、海外の雑誌、新聞等が、神慈秀明会をひたすら絶賛する記事を掲載することがあるのも事実である。
  • これらの個人、団体は見えざるものを正しく感得でき得る素養・素質があるがゆえに神慈秀明会の秀逸性、正統性を正確に理解できるのであるとされており、このような個人、団体を、神慈秀明会では「精神性が高い」と評するのである。そして、教団で「精神性が高い」と表現するときには、「精神性の高い」個人、団体は、必ずや神慈秀明会の教義や活動に理解や共感を示し、協力せざるを得なくなるに違いないという、神慈秀明会独自の孤高の優越感、信念がその背景にあるのである。
  • 逆に、教団や小山家の財務内容、教団施設の建設費用、布教に絡んだトラブルなど、皮相な俗事に対してだけ、浅薄な批判的記事しか書かない(書けない)国内マスコミなどは「精神性がない」として蔑まれるのである。
  • 逆説的には、神慈秀明会への理解や共感の度合いが、その個人、団体の精神性の試金石ともなっている。スキャンダラスな報道が多いことで有名な某海外著名人も、神慈秀明会と接するようになってからは、「実は「精神性の高い」人物であった」、との評価が神慈秀明会では定着している。
  • 前述のように、神慈秀明会が海外マスコミの取材は好んで受けるが、国内マスコミに対して閉鎖的なのは、国内のマスコミは「精神性がない」ために批判的な報道しかできないからだとされ、一方、海外のマスコミは「精神性が高い」ために賞賛記事を書かざるを得ないからであるとされており、マスコミにおける精神性の有無が対応の相違となって現れているものと思われる。

[編集] 旧体制に対する評価と批判

旧体制における、評価すべき点と批判すべき点、その他特筆すべきことなどを列記する。


  • 旧体制時代、末端信者の自己犠牲的な布教活動や献金の推進は年々過激化した。信者の職場放棄や突然の退職、学生の学業放棄による留年の続出、妻の家事放棄による離婚の続出、妻による貯金の無断持ち出し、家賃の不払い、サラ金への借金の斡旋や、その結果の自己破産など、職場や学校、家庭間におけるさまざまな問題が絶えなかった。
  • 旧体制時代の熱心な青年信者たちの動向
    • 旧体制時代の活発な布教活動により、人類救済地上天国建設という壮大な目標に、多くの純粋な青年層たちが感応して多数集まり、その活動に参加した。
    • 浄霊奇跡の力により、病気や不幸な人を救い、人を幸せに出来ると信じた、情熱に燃えた若い信者が多く集まり、その情熱を信仰活動にぶつけた。
    • そんな当時の青年層たちの中には、高い学歴や優れた能力を持った者も多くいた。しかし、彼らは、「人類救済」「天国建設」の大目的の元、そんな自らの高い学歴や能力を捨て、就職もせずに布教活動に精を出すことを選択した者も多かった。
    • そんな彼らにとって、旧体制の終焉は、彼らの信仰動機であった人類救済天国建設という活動の終焉を意味し、「布教活動」の終了は、自分たちの情熱の源泉である浄霊による不幸な人々の積極的な救済活動を教団自体が辞めてしまったと彼らは理解した。当然、この新体制という変化に対する、青春を捧げてきた信者達の反応は様々だった。
    • 旧体制時代のかつての青年たちの中には、当時の理想を新体制に則した別の形で実現するために、新体制からの方針である、教団主催の一般社会に対する社会貢献活動に参加することで、旧体制時代には発揮出来なかった優秀な能力を発揮し、社会貢献という新しい舞台で活躍している者もいる。
  • 旧体制時代に集まった高い学歴や優秀な能力、強い善意を持った信者によって、新体制から始まった、教団主催の社会貢献活動の活動は、人材の厚い充実したものになっている。
  • 神慈秀明会をカルト宗教と批判する論調が、特にインターネット上において多く展開されているが、その指摘は、この旧体制における活動の事を指している。ただし、新体制になった今でも、これらの批判や非難は決してゆるまっていない。旧体制を非難する論調の多くは、新体制を、その改善であると評価していない。その理由は、新体制に対する評価と批判を参照のこと。

[編集] 新体制に対する評価と批判

新体制における、評価すべき点と批判すべき点、その他特筆すべきことなどを列記する。


  • 旧体制とは、布教経験の厚かった小山美秀子と、過激な信仰指導を好む小山荘吉の二者によって作られた体制であったが、新体制とは、布教経験が無く、常識主義で穏健派である小山弘子会長によって作られた体制である。そのため、旧体制の時と新体制時の風潮や考え方は矛盾し合っているが、大部分の信者はその矛盾を追求せずにだまって受け入れている状態である。教義や学んできたことが矛盾していることの不満よりも、旧体制時代の過酷なノルマが消滅したことが嬉しいため、多くの信者にとっては、新体制は歓迎すべきものであった。
  • 旧体制下では非常に明確だった、教団の活動方針は、新体制下では非常に不明確であり、特に熱心だった信者ほど信仰的な活動の方向性を見失い、いまだに困惑している者も多い。
  • 新体制下の神慈秀明会においては、布教や献金の目標(事実上のノルマ)達成という風潮はなくなり、新たな社会問題を起こしにくい団体となったが、旧体制時代の不都合を黙殺しているにすぎないという批判も多い。
  • 新体制とは、過激な布教と建設で社会問題になりかけた旧体制をけん制したものにすぎず、単なる事実の隠蔽にすぎないと批判する論調が多い。
  • 旧体制時代の話は、新体制においては禁句となり、旧体制時代に活躍した教師などの有力信者は、信者に話す体験談や武勇伝を失った。
  • 神慈秀明会の旧体制時代の所業はいまだに批判の的であるが、信者の多くは、それは旧体制時代のことであり、新体制の今は関係がないと考える者が多い。
  • 旧体制時代、自己放棄などの過激な活動を積極的に行い、多くの被害者を出したとされる、神慈秀明会の中でも比較的大きな支部が存在したが、旧体制の社会問題は、この支部だけが勝手に行ったことであり、神慈秀明会の大部分は無関係で、非難されるべき道理は無いと考える者が多い。
    • ただし、旧体制時代は、自己放棄などの過激な活動を行わないと、とうてい達成不可能な高い目標(ノルマ)を各拠点が立てており、実際に過激な活動を行った結果、目標を達成できた拠点ほど、年末の祭典で、会主小山美秀子から絶賛されたという事実は、当時の神慈秀明会の方向性は、自己放棄などの過激な活動を結果的に推奨していたと言える。
  • 新体制とは、事実上、旧体制の完全な否定であり、同教団の歴史の切り捨てであるといえる。このため、旧体制の布教活動を、自己の生活を捨て全力で取り組んだ熱心な信者の中には、新体制によって自分の活動や実績を、会によって否定された形となり、非常な精神的ショックを受けた者もいる。そして神慈秀明会は、新体制に変わるに当たり、このような熱心な信者に対する適切な対応を行っておらず、事実上、切り捨てている。
  • 旧体制の過激な布教姿勢を好む信者の中に、現在の穏便な新体制を不満とする者もいる。そのような者は、旧体制こそ神慈秀明会の本来の姿であり、新体制は一時的なものにすぎず、いつか旧体制の活動が復活するものと考えている。
  • 信者の中には、旧体制の数々の所業を悪であると認識しつつも、それは、その時代に必要であった経綸(神の計画)の一部として通らざるを得なかった必要悪であったと理解している者もいる。
    • この考え方は、信者が旧体制というものを理解する上で、信者間においてかなり定着した考え方である。
    • ただし、神慈秀明会自体からは、なぜ旧体制があったのか、なぜ信者は後に否定されるような活動を、長年にわたりさせられたのかに関する正式な見解は出ていない。
    • この考え方は、旧体制というものをなんとか正当化して理解しようとする信者たちの苦肉の策による自発的な発案にすぎず、神慈秀明会の公式見解ではないことを気づいていない信者は多い。
  • 旧体制時代は、会が自らの非を認めたり、信者に謝罪するということは全く見られなかったが、新体制からは、それがまれにみられるようになった。旧体制のあやまちを認めた1996年12月23日の小山弘子会長の講話や、2006年相続税申告漏れ報道をうけての、2006年5月の記念大祭講話(ただし報道された内容全てに言及したわけではなく都合の悪い部分には触れなかった)などが代表的である。ただし、現場の支部長や教師は、いまだに自らの非を認めない旧体制時代の風潮を維持したままの者もいる。
  • 新体制となっても、新体制という教団の方針を無視し、いまだに旧体制時代の行動を改めない指導者や世話人も存在する。しかし教団には、こういった指導者や世話人に対し、積極的に注意や反省を促すような風潮や体制は存在しない。いわば放置状態である。このことは神慈秀明会の新体制に対する不信感をぬぐい去ることが出来ない原因のひとつとなっており、やはり新体制などは一時的な物にすぎず、いつか旧体制が復活するのではないかという懸念の材料ともなっている。
  • 新体制に伴い、それまで目標数にこだわるあまり、社会と対立し、信者の生活を軽視してきた風潮を一新し、社会へ貢献することと、信者一人ひとりを大切にしようとする方向性に変わった。
  • 新体制では、国内から海外に目を向けることが多くなった。海外の同じ精神性を持った団体とのコネクションを築き、いくつかの団体とパートナーシップを結んでいる。
  • 新体制では、教義を基とした社会貢献を目指した、有意義な社会貢献活動を展開しようと試みている。その活動の一環として、2004年に国連NGOスペシャルのステイタスを取得した。教団では、このことで教団の活動が、特に海外で注目されはじめているとしている。
  • 旧体制時代に、旧体制の社会問題的一面への批判を認めず、正当化していた信者と同じ信者が、新体制になると、まるで旧体制時代の自分の言動を忘れてしまったかのように旧体制の批判を行い、新体制になった神慈秀明会を高く評価しはじめた、という現象が随所に見られる。
    • これは、教団が新体制になるに伴い、教団自身が旧体制を公に批判したことにより、教団の方針、すなわち教義上の「旧体制批判の解禁」を得たことになるので、それらの信者もそれに追従したためであると考えられる。
    • すなわち、一見、自己反省的で自己批判的に見える、信者による旧体制批判の行動も、その本質は、教団が旧体制を批判した教団方針に対する無条件的追従の一種にぎないと言えるだろう。
    •  結局、彼らの旧体制批判は、教団の方針の一つに従っているにすぎず、決して、教団内に、旧体制時代には見ることが出来なかった「自己批判」「自己反省」「自浄作用」「自己改善」「自己改革」などの新しい文化が生まれたというわけではないと思われる。
    • 教団の旧体制自己批判は、旧体制終焉時の1996年から1997年前半に少々あった程度であり、教団は現在でも常に旧体制の批判を行っているというわけではない。この態度を受けて、これらの信者も、積極的に旧体制時代の反省の弁を述べるという態度より、出来るだけ話題として触れたくないという態度が一般的である。
    • もともと、旧体制の社会問題的な一面を長く容認してきた大きな原因のひとつは、信者による、教団方針への無条件的追従という教団文化にあったわけで、結局、旧体制時代を長く維持してきたこの教団文化には、新体制の現在においても、なんの変化も起こっていないと考えられる。
    • 今後、もし、教団が改めて旧体制の正当化を始めたならば、これらの信者は、またそれに追従するだろうということは容易に想像が出来る。

[編集] 離脱の神意

離脱の神意とは、神慈秀明会の教義の名称である。

離脱の神意の教義は、世界救世教や、その他の分派教団にはなく、神慈秀明会独自の教義である。

神慈秀明会の教義と、世界救世教および分派教団との教義はほぼ同一であるが、教団内の文化、風潮などはまったく異なっている。神慈秀明会が、世界救世教とも、その他の一般的な宗教団体とも異なる、独特の文化を形成している原因が、この『離脱の神意』の教義にあると考えられている。

立教当時から現在に至るまで、神慈秀明会は、

  1. 教祖岡田茂吉の教義
  2. 『離脱の神意』を基本とし、会主小山美秀子前会長小山荘吉が作り上げた神慈秀明会独自の教義と文化

という、互いに矛盾しあっている2系統の教義でなりたっていた。このため、教団の活動や、信者の行動、言行などが一貫性を欠いているという現象が発生している。

この節では、神慈秀明会の独自文化のルーツであり、教団自身に内在する矛盾の原因となっている離脱の神意について解説する。

[編集] 概要

  • 『離脱』とは、神慈秀明会の前身である「宗教法人 世界救世教秀明教会」が、「宗教法人 世界救世教」との被包括関係を、1970年(昭和45年)に解除し、独立したことを指す。
  • だが神慈秀明会においては、『離脱』は単なる法的な独立ではなく、「正邪の大戦い」であり、人類史上における歴史的、かつ霊的に重要な神事であるとし、それを教義化したものが、『離脱の神意』である。
  • 『離脱の神意』は、教祖が説いた本来の教義ではなく、神慈秀明会が世界救世教から独立するときに生まれた、副次的な教義である。
  • 離脱の神意とは、神慈秀明会の立教の歴史と、その歴史の奧にあるとされる神意を説いた物である。
  • 離脱の神意は、神慈秀明会の立教の根本を説く重要な教義であり、神慈秀明会の存在意義は離脱の神意の教義において説かれている。このことは、離脱の神意が、単なる過去の歴史の解説という程度の位置づけではなく、離脱の神意の否定が、神慈秀明会そのものの否定となってしまうほどの重要な位置づけとなっていることを意味する。
  • 同教義を骨子を端的に説明すると、「神慈秀明会は崇高で正しく、天国にいる教祖から導かれ選ばれた、唯一正当な後継教団である。それにくらべて、世界救世教は邪神(邪悪な神)に操られた、もっとも邪悪で嫌忌すべき存在であり、近寄ってはいけないものである」ということになる。
  • 離脱の神意は、次の2点を同時に説くものである。
    • 世界救世教という宗教がいかに劣悪で邪悪で教祖の意志に反した団体であるか
    • それに比べ、世界救世教と神慈秀明会を比較し、神慈秀明会という団体や、開祖小山美秀子、初代会長小山荘吉がいかにすばらしい存在か
  • 上記2点を説いた離脱の神意が、神慈秀明会の立教における重要な教義である事実は、下記の2点が、神慈秀明会の信仰の根本に組み込まれていることを意味する。
    • 神慈秀明会における、離脱の神意に基づいた、より高い信仰姿勢とは、すでに法人としては利害関係もなく無関係なはずの世界救世教を非難することである。これは、世界救世教への批判が、神慈秀明会の立教の意義、正統性、優秀性の確信につながるという密接な関係になっているためで、世界救世教への批判、非難という行為は、過去の一時的な感情ではなく、神慈秀明会の存在意義の再確認のため、現在においても常に必要不可欠な態度であり、信者のあるべき信仰姿勢となっている。
    • 神慈秀明会における、離脱の神意に基づいた、より高い信仰姿勢とは、離脱の神意の教義において活躍をし、多大な功績を残したとする、会主小山美秀子、前会長小山荘吉の功績と人間性を絶賛、賛美する事である。小山美秀子、小山荘吉、ひいては小山家の人物を絶賛賛美し、崇拝する姿勢は、神慈秀明会を信仰する上において、常識であり、理想形とみなされている。
  • 神慈秀明会では、「離脱の神意が分からないと、この信仰のことは本当にはわからない」、とし、同教義の重要性を強調していた。
  • 神慈秀明会は、ともすれば単なる特定宗教団体への悪口に取られがちな離脱の神意を、そういう低俗な物ではなく、もっと崇高で奥の深いものである、と信者に説明していた。
  • ある支部の支部長は、離脱の神意を何度も学び、世界救世教に対する、腹の底からの怒りの感情が出てくれば、信仰は一人前になったと言える、と説いていた。
  • 『離脱の神意』の教義を劇にした離脱劇が、青年部信者により毎年講演された。


離脱の神意の本質は、神慈秀明会の会主小山美秀子および前会長小山荘吉の功績に対する賛美と、世界救世教に対する憎悪をセットにして教義化したものである。離脱が行われて40年近く経った現在、すでに社会情勢も世界救世教の事情も全く変わっているのにもかかわらず、神慈秀明会は、同教義を通じて、1970年当時の事情を永遠の真理であるかのように学び、世界救世教に対する憎悪の心を現代まで伝え続けている。

神慈秀明会が持つ、世界救世教に対する敵意や嫌忌の感情は、教団内に自然発生した文化や風潮ではなく、教団が教義という形で、組織的、系統的、計画的、意図的に、信者に教育をした結果である。

[編集] 影響

神慈秀明会は、教祖の教義よりも、『離脱の神意』の教義のほうに、より強く影響を受けた教団であると言える。『離脱の神意』の教義は、神慈秀明会に、次のような特徴を形成している。

  • 神慈秀明会は、世界救世教を、人類に害をなす最も邪悪な存在とみなし、世界救世教のいかなる実績も完全に否定し、世界救世教との交流をいっさい拒絶する。(この考え方は、前述のインターフェイスの活動と矛盾している。)
  • 離脱の神意の教義と、教祖の教義は矛盾しているのだが、その矛盾を感じさせないよう、教祖の教義のほうに手を加えることで、教義の整合性を保っている。教義の大部分を削除したり、教祖の文章に大幅な改変をほどこしている。
  • 神慈秀明会では、離脱の神意の価値観を、信仰の基準ととらえており、離脱の神意の価値観に準じた信仰姿勢を示す信者を「高い信仰」をもった者として評価する。反対に、離脱の神意の価値観に反する態度を示す信者を「信仰の分からない者」または「邪神にやられた者(邪神の邪気によって魂を曇らされ、正常な判断が出来なくなり、邪神によって思考をあやつられている者)」と認識する。
  • 離脱の神意に反する態度とは、世界救世教に好意的感情を持つ事、小山美秀子や小山荘吉、小山家の人物を批判する事、離脱の神意を批判し、神慈秀明会の正統性を批判する事などである。
  • 離脱の神意に従い、神慈秀明会では、信者に以下のように考えるように教育が行われ、実際に以下のような行動が行われてきた。
    • 信者は、世界救世教に関するもの(美術館などの施設、信者、出版物や品物。世界救世教が関わっているEM推進などの社会活動)を嫌忌、または恐怖する。
    • 信者は、世界救世教に関する品物、施設、人物は、すべて邪悪な(邪気)が出ており、接触することで穢れるとし、決して接触しようとしない。
    • 信者は、世界救世教には、神慈秀明会で起こるような奇跡は起こらず、世界救世教の信者は全員、不幸のどん底で地獄にいると信じている。
    • 世界救世教の聖地や美術館、信者、書物などに接触した信者は、監視や村八分、無視などといった迫害の対象になる。
    • 世界救世教の聖地や美術館、信者、書物などに接触した職員は、解雇や左遷など、懲罰の対象になる。
    • 教祖ゆかりの品物(教祖直筆の書画、教祖の教えが書かれた書物、教祖の肉声が録音された録音テープやレコードなど)であっても、神慈秀明会から提供されたものでないものは、入手する事が懲罰や迫害の理由となるばかりか、焼却などの破棄を求められることもある。
    • 離脱の神意の教義により、会主小山美秀子は、神として崇められている教祖岡田茂吉からただ一人選ばれた後継者的存在であるため、いかなる過ちや間違った判断もするはずがなく、神に近い完璧な人間であると信じられている。その小山美秀子が率いる神慈秀明会であるので、この教団は、いかなる過ちも犯さず、完璧であり、社会から愛され、永久に発展する宗教団体であると信じられている。
  • もともと離脱の神意の教義は、世界救世教だけに向けられた憎悪と嫌忌の教義だったのだが、信者はこの教義の影響を強く受けており、世界救世教以外の存在にもこの感情を向けることがある。
    • 神慈秀明会は、他宗教(世界救世教)を非難することを教義の根本に据えているため、自分たちを攻撃してくる存在を非難し、対決姿勢をとるということが文化として定着している。
    • このため、世界救世教と無関係でも、神慈秀明会に批判的な活動、報道、団体、個人、元信者は、世界救世教と同様、邪神に操られていると考え、憎悪と嫌忌の感情を向けたり、まれに暴力を駆使しても対決しようとしたり、接触すると邪気のため魂が穢れると考え、避けようとする。(例:「神慈秀明会の公式ホームページ以外のインターネットからは邪気が出ているから、見ると魂が穢れる」)
    • 神慈秀明会では、離脱の神意の教義を説くとき、当時の世界救世教の幹部や、秀明教会の離脱についてこなかった信者の話をする際、その個人名を隠すどころか、名前を明らかにして説明し、しかも、信者には、教義の一環として、それらの氏名を記憶させる。当時の救世教幹部や、離脱についてこなかった人物の氏名は、神慈秀明会においては、重要な教義となっている。
    • 神慈秀明会では、離脱の神意の悪役とされる世界救世教の幹部や、離脱についてこなかった人物の名を、呼び捨てで説明する。これは、離脱の神意の舞台であった昭和の時代において、当時のマスコミなどが、犯罪者の名字を呼び捨てにして報道していたことに由来していると思われる。これが転じて、神慈秀明会では、現在でも、「邪神にやられ、神慈秀明会に敵対するようになった人」は、たとえ相手が目上や恩人であっても、信者はその人物の名字を呼び捨てにする。


世界救世教への憎悪の感情を全面に出している、神慈秀明会のこれらの態度は、本来、和を尊ぶべき宗教団体がとるべき態度として常識範囲を逸脱しているとし、他宗教や未信者から批判の的になっている。


なお、神慈秀明会の信者が、神慈秀明会によって教育された世界救世教の情報の真偽の確認する事を、自らの意志で積極的に行うことは不可能である。なぜなら、これらの真偽を確認するには世界救世教の資料や信者に接触して調査する必要があるが、それは教団によって教育され植え付けられた、世界救世教への恐怖心と嫌悪心のため、それらのものに近寄ることすら出来ないからである。


しかし、教団によって教育された世界救世教への恐怖心や嫌悪心を克服し、さまざまな調査を行い、その結果、離脱の神意の教えは誤りであると指摘する啓蒙活動も、教団の内外に少数派ながら存在する。調査の結果離脱の神意の虚偽点や矛盾点、もとの教義との変更点などを発見し、それを研究、解説したホームページも登場し、その内容が信者にとって衝撃的であったため、話題になった。


もちろん、こういった活動も、神慈秀明会では『離脱の神意』の教義に基づき、迫害の対象になっている。


[編集] 会主信仰

会主信仰という言葉は、神慈秀明会の中では使われてはいないが、解説の便宜上必要なので暫定的に使用している。


もともと世界救世教系教団の信仰は、主催神である大光明(みろくおおみかみ)と、教祖であり神人合一である岡田茂吉が信仰の対象であるが、神慈秀明会においては、事実上、会主小山美秀子に対する信仰が行われている。このことが、神慈秀明会の内部事情を複雑にし、信者の思想や行動に矛盾が発生している原因となっている。


小山美秀子は、世界救世教在籍中、教会長をしていた世界救世教秀明教会を、短期間で世界救世教内で最大級の教会に成長させ、その功績を買われて布教部長の要職についた経歴を有している。小山美秀子は真剣な信仰姿勢と強い布教指導力、高い審美眼などから、強力なカリスマ性を発揮していた。

なお、小山美秀子はキリスト教系の学校である自由学園の出身であり、ここでの学生生活においてキリスト教の影響を強く受けており、小山美秀子流のキリスト教観は神慈秀明会にも多大な影響を与えているが、小山美秀子流のキリスト教観に基づく信仰観と、教祖の教義には大きな差異がある。


神慈秀明会では、そんな会主小山美秀子だけが、この神に対する正しい信仰のあり方を指導できる唯一の人物であるとし、小山美秀子の指導からはずれた信仰を行うと、たちまち邪神に憑依され、魂が汚れ、地獄に堕ちると考えている。(この思想は前述の離脱の神意から来ている)


そのため、小山美秀子の判断や指導が教祖の教義の記述と矛盾していたとしても、信者は小山美秀子の方が正しいと判断する。その延長として、直接的に小山美秀子の指導とは限らない神慈秀明会の活動方針や各拠点の活動方針が教祖の教義と矛盾していても、会主小山美秀子の名の下にその矛盾は許容され、受け入れられている。事実、神慈秀明会の活動や思想には、教祖の教義との矛盾点や問題点が多数発見されている。


一例として、次のような事実がある。神慈秀明会で公開している教祖の教義は、わずか100篇程度、全体の5%以下しか信者に公開してないのだが、その事実に対し、信者は会主小山美秀子がこれで十分であると選択した教えであるのだから、それ以上の教えを読む必要ないなどと理解し、むしろそれ以外の、神慈秀明会が信者に出していない教えを読むことは害にすらなる(邪神に憑依される。魂が汚れる。地獄に堕ちる。)という考えがひろく一般的になっている。このことは、神慈秀明会の常識として、教祖よりも小山美秀子の言動を重要視している証拠であるといえる。


ところが、小山美秀子自身は、神と信者との関係性について、次のように説いている。「今までの考えでいけば、私をその間(註:神と信者との間)の取り次ぎ者とみるかも知れない。しかしこれはたいへんな誤りです。何者も介しないのです。(飛天 P78)」


小山美秀子の思想が、神と人との間には何者も介さないというものでありながら、現実問題として、神慈秀明会では、神慈秀明会という団体や、会主小山美秀子を介さないと、大光明(みろくおおみかみ)や岡田茂吉とつながることは出来ないと暗に説いている。その結果、神慈秀明会の信者は、会主が「何者も介さない」と言っているのだから自分たちの信仰には何者も介在していないはずであると信じながら、実際には、会主小山美秀子に対する信仰を気づかないままに行うという矛盾を生み出している。だが多くの信者はこの矛盾に気づいておらず、ここが、信者の言動や思想における矛盾発生の原因になっている。


神慈秀明会における教祖の教義の学びとは、教祖の教えそのものを学ぶのではなく、教祖の教えを会主小山美秀子がどのように理解し、とらえたかということを学ぶことである。そのため、神慈秀明会の会報「秀明」には、教祖の論文や教えよりも、会主小山美秀子の言葉や考え、体験などのほうがはるかに多く掲載されている。その結果、神慈秀明会の信者は、岡田茂吉の信者であるとしながら、岡田茂吉の功績や歴史、思想に関する知識や理解が、他の世界救世教系教団の信者に比べ著しく乏しい。


小山美秀子に対する信仰は、小山家(前会長小山荘吉、現会長小山弘子)に対する信仰につながっており、現会長の小山弘子も小山美秀子に近い存在として特別視されている。


神慈秀明会は、独立後の発展の歴史において、強力なカリスマ性をもった小山美秀子会主の影響のもと、徐々に教祖の影響が薄れ、教祖の影響が強い他の世界救世教系教団とは異なる価値観や文化を有することとなり、いわば小山流とも言えるような独自の方向に大きく変質した教団となった。



[編集] 報道

[編集] 2006年4月19日 宗教法人「神慈秀明会」、会長ら16億円申告漏れ 朝日新聞(関西版)ほか

  • 朝日新聞(関西版)、毎日新聞産経新聞、その他関西地方紙多数、日本テレビ系列によるニュース報道
  • 約35万人の信者をもつとされる宗教法人「神慈秀明会(しんじしゅうめいかい)」(本部・滋賀県甲賀市)の設立者であり、03年11月に死去した小山美秀子(こやまみほこ)の遺産をめぐり、同会と小山弘子会長(65)ら親族が大阪国税局の税務調査を受け、相続税など計約16億円の申告漏れを指摘されていたことが2006年4月18日に判明。
  • 小山美秀子の遺産相続に関して、遺族は課税価格で合計約31億1200万円を申告していた。しかし、それ以外に、16億円の申告漏れが確認された。
  • 会主小山美秀子の遺産は、合計50億円近くあったことになる。
  • 大阪国税局が調査では、会主の所有していた古美術品のうち、約700点(10億円相当)を、MIHO MUSEUMの運営団体に寄贈されたように処理されており、本来、宗教団体への寄付は非課税になるはずだったが、これらの古美術品について非課税措置を受けるために必要な書類が税務当局に提出されておらず、寄付した物と認められなかった。
  •  その他、京都国立博物館(京都市東山区)に寄託していた茶道具や掛け軸など約40点(4億5000万円相当)も同様に申告漏れが発覚。
  • 教団の施設(教祖殿)に約80点の古美術品(1億円相当)が隠されており、これも同様に申告漏れと判断。
  • 同国税局は、この寄贈を相続税逃れの悪質な仮装工作だったと判断。
  • 相続された古美術品約800点は、同会に寄贈したように装うなどしていたとし、大阪国税局は意図的な隠蔽(いんぺい)にあたると認定。追徴税額は重加算税などを含めて計約10億円にのぼるとみられる。
  • これらの美術品の大半は小山会長の相続財産と認定された。 小山会長らは修正申告に応じている。
  • 小山美秀子の次男であり、同会役員である人物が、発注の施設工事に絡んで請負業者から得た謝礼金計1億円を自分が代表を務める赤字会社が受け取ったことにし、個人の所得申告から除外していた事実が発覚。
  • 兵庫県内の同会名義の不動産を小山会長らが独占使用していたことについて、大阪国税局は「家賃が著しく低額で、同会長らへの給与にあたる」と認定。源泉所得税の徴収漏れを指摘。
  • 神慈秀明会側は、会主の「会に寄付した」と言う生前の言葉に従い、遺産との認識はなかった。指摘はすべて認め、追徴課税に応じたとコメント。
  • 信者に対しては、今回の件は国税局と会との見解の相違であり、寄付が認められず残念であると説明している。
  • 小山美秀子自身が、神慈秀明会から合計50億円もの報酬を得ていた事実が、今回、追徴課税に応じたことで事実上認めた形になった。このことは信者からも批判を受けているが、それに関する、信者に向けた明確な説明は、行われていない(2006年4月22日)
  • 小山美秀子の次男は、1億円の違法な収得を行ったとする報道に対し、2006年4月24日づけで、報道を行った朝日新聞に対し訴訟を起こし、反論を行う意思表明をしたが、神慈秀明会側は、報道を真実とし、次男の役職を解任、出入り禁止を要請した。(2006年4月30日)。
  • 神慈秀明会は、今回の報道を、小山家の問題ではなく会の公的な問題ととらえ、一部の責任者の解任に踏み切った。(2006年4月30日)
  • 神慈秀明会は、贈与扱いになっていなかった美術品を改めて買い取ることにし小山弘子会長は、その代金で相続税を支払ったという。このことは、信者から集めたお金で得た報酬から美術品を買い、さらに、それを信者から集めたお金であらためて買い取ったということになるため、さらに批判を集めている(2006年5月1日)。

[編集] 参考文献

  • 清水雅人編 『新宗教時代 2』 ISBN 4804352074
  • 護られた街編集委員会 編 『護られた街 実録 カルトは防げる撃退出来る』 ISBN 4-9980905-1-8
(神慈秀明会の参拝所の建設を、街の住人が一致団結して阻止した記録。同著では、神慈秀明会をカルト宗教として紹介している。)


[編集] 外部リンク

[編集] 備考

  • 神慈秀明会の「神」の字は、登記上、正式には「示」に「申」である。
  • 林真理子の小説「紫色の場所」に登場する「久慈尊光教(くじそんこうきょう)」のモデルとされている。
  • 信楽の本部近くにある美術館、MIHO MUSEUMの運営母体である。
  • NPO法人 秀明インターナショナルおよび秀明自然農法ネットワークは、神慈秀明会の関係団体である。
  • 次の団体は、神慈秀明会とは無関係である。
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