神奈川県第3区
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神奈川県第3区(かながわけんだい3く)は、日本の衆議院における選挙区である。
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[編集] 大日本帝国憲法下
1890年の第1回衆議院議員総選挙では、現在は東京都に属する南多摩郡、西多摩郡、北多摩郡で構成されており定数は2であった。
1900年の大選挙区制の導入で神奈川県第3区は姿を消すが、1919年の法改正により再び小選挙区制が導入され、久良岐郡、橘樹郡、都筑郡(現在の横浜市北部、川崎市北部)が神奈川県第3区となる。
1925年のいわゆる普通選挙の導入で中選挙区制となり、平塚市、藤沢市、小田原市、高座郡、中郡、足柄上郡、足柄下郡、愛甲郡、津久井郡で構成され定数は4となった。
1946年の第22回衆議院議員総選挙では、神奈川県全県が1選挙区となったたため神奈川県第3区は姿を消す。
[編集] 日本国憲法下
[編集] 中選挙区制(1947年以降)
1947年に再び中選挙区制が導入され、その区割りでは、平塚市、藤沢市、小田原市、高座郡、中郡、足柄上郡、足柄下郡、愛甲郡、津久井郡で構成され定数は5であった。
1975年7月に選挙区が分割され、平塚市、小田原市、秦野市、厚木市、伊勢原市、南足柄市、中郡、足柄上郡、足柄下郡、愛甲郡は神奈川県第5区となった。
以降、1993年の第40回衆議院議員総選挙までは、藤沢市、茅ヶ崎市、相模原市、大和市、海老名市、座間市、綾瀬市、高座郡、津久井郡であった。
[編集] 小選挙区制(1994年以降)
1994年の小選挙区比例代表並立制導入以降は、神奈川県横浜市の鶴見区と神奈川区によって構成される。平成17年9月の第44回衆議院議員総選挙の結果、鶴見区に事務所を持つ自由民主党の小此木八郎が5期目の当選を果たした。
小此木の父である小此木彦三郎も鶴見区を地盤とする政治家で、建設大臣を務めた。
八郎は、玉川大学卒業後、父である彦三郎の秘書として社会人デビュー。年齢に比較し政界歴は豊富といわれ、2004年(平成16年)の第2次小泉改造内閣では39歳で経済産業副大臣に就任、副大臣として最年少の就任が話題となった。年齢に比較し、その政界での経験の豊富さを評価される一方、典型的な二世議員としての批判も存在する。
神奈川県第3区は京浜工業地帯の中核に位置する土地柄で、同じ横浜市でも神奈川県第5区や神奈川県第8区のように、東京都のベッドタウンとして機能している街とはやや違う。