相馬郡 (下総国)
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相馬郡(そうまぐん)は律令制による行政区分で、下総国に存在した郡。1878年に茨城県北相馬郡と千葉県南相馬郡に分割され消滅。
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[編集] 歴史
平安時代末期に相馬郡の荘園の大部分が伊勢神宮に寄進されたため相馬御厨として文献に登城する。相馬御厨の税収管理権は千葉氏にあったようであるが、これを巡って上総氏などと争っている。千葉常胤の時に千葉氏による下総国の支配権が確定した後は次男相馬師常に相馬御厨が相続され、以降師常の子孫が相馬氏を名乗る事になる。相馬氏のその後については下記項目の福島県相馬氏との関わりを参照されたい。
その後明治維新以降の行政区分変動に伴い、下総国は千葉県、茨城県、東京府、埼玉県に分割されるが、複数の府県に跨っていた葛飾郡と相馬郡はそれぞれの府県に分割される事になった。この内相馬郡は茨城県と千葉県に跨っていたが、茨城県の相馬郡を北相馬郡、千葉県の相馬郡を南相馬郡とした。更に南相馬郡はその後東葛飾郡に吸収され消滅した。(現在は東葛飾郡も消滅している。)
[編集] 下総国相馬郡の郡域
下総国相馬郡の郡域を分裂した2郡に分けて現在の市町村域で記す。
但し下記は1878年の郡制施行時のものであり、古代、中世の相馬郡、及び相馬御厨はこれよりも範囲が広かったのではないかと考えられている。
[編集] 茨城県(北相馬郡)
[編集] 千葉県(南相馬郡→東葛飾郡)
[編集] 福島県相馬郡について
現在福島県に存在する相馬郡は、中世下総国相馬郡より起こった千葉氏の一族相馬氏に由来するものである。相馬氏2代目の相馬義胤が軍功によって陸奥国行方郡(現在の福島県相馬郡)に地頭職を得、11代目の相馬重胤が行方郡に土着したとされる。従って現在の茨城県北相馬郡、千葉県東葛飾郡と福島県相馬郡の歴史的な関係は深く、現在に至るまで交流が続いている。