現代峨山
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現代峨山 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 현대아산 |
漢字: | 現代峨山 |
平仮名: (日本語読み仮名): |
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片仮名: (現地語読み仮名): |
ヒョンデアサン |
ラテン文字転写: | {{{latin}}} |
英語: | HYUNDAI ASAN |
現代峨山(ヒョンデアサン、日本語読み:げんだいあさん)は大韓民国の現代財閥に属する、対北朝鮮事業を業務の中心としている企業である。
目次 |
[編集] 概要
現代峨山の本社はソウル特別市鍾路区にある。支所が北朝鮮側の金剛山と開城、そして韓国側の軍事境界線近くの高城と都羅山にあるが、これら支所は金剛山と高城は主に金剛山観光事業、開城と都羅山は開城工業地区事業を行うために設けられている。
現在の主な業務は韓国の対北朝鮮三大経済協力事業と言われている金剛山観光事業、開城工業地区事業、そして京義線、東海線の鉄道・道路の再連結事業であるが、将来的には北朝鮮での電力、通信事業や、白頭山や開城などの観光事業などへの事業拡大を図る予定である。
また最近は韓国国内の建設工事も手がけており、当初のように対北朝鮮事業専門企業ではなくなっている。
[編集] 北朝鮮との交渉
現代峨山が事業交渉を行う北朝鮮側の組織は、主には朝鮮アジア太平洋平和委員会である。朝鮮アジア太平洋平和委員会は金正日の側近として知られていた金容淳が長い間委員長を務めていた。また金正日が現代財閥の代表であった鄭周永や鄭夢憲と複数回面会をしている事実からも、北朝鮮の数少ない現金収入手段である韓国の経済協力を金正日が重視していることが伺える。
その一方、現代峨山の行っている事業について北朝鮮の保守派といわれる軍部が反発をしているとされるが、北朝鮮軍部の頂点に立つ人物も金正日であるので、金正日の判断で事業を進めたりブレーキをかけたりしているのではないかと見られている。また韓国側からより多くの援助を引き出すためにじらし作戦を取っているとの意見も根強い。
しかし厳しい経済難が続く北朝鮮としては、韓国の他の企業が対北朝鮮事業に消極的であることもあって、現代峨山の意見も聞き入れざるを得ない面があり、開城観光や白頭山観光のように今現在も観光料の問題などで交渉が続けられている事業もある。
[編集] 歴史
現代財閥は創始者鄭周永が1989年に韓国の財界人として初めて北朝鮮を訪問し、金日成と会談するなど、以前から対北朝鮮事業に関心を持っていた。韓国と北朝鮮との南北関係は、1990年代に入って一進一退の状態が続いたが、1998年に対北朝鮮宥和政策、いわゆる太陽政策を提唱する金大中が大統領になると、同年の6月、鄭周永は牛500頭とともに板門店を経由して北朝鮮に向かい、金剛山観光事業の開始についての約束を北朝鮮当局と取り付けた。しかし予定通り金剛山観光が始まらないと見るや、10月に再度訪朝し、今度は金正日と直接面談して金剛山観光開始の約束を取り付け、11月18日に韓国江原道東海港から金剛山観光船を出航させることに成功した。
金剛山観光を皮切りに現代財閥は対北朝鮮事業を本格的に開始する。そのような中、1999年2月に対北朝鮮事業専門企業として現代峨山が発足することになった。対北朝鮮事業では当初から鄭周永とともに5男の鄭夢憲が活躍した。鄭夢憲は韓国国内で王子の乱と言われた兄の鄭夢九との争いに勝利して現代財閥の後継者となったが、鄭夢九は現代-起亜自動車グループを率いて独立し、弟の鄭夢準も現代重工業グループを率いて現代グループから独立してしまい、本家の現代財閥は小さなグループとなってしまった。当初、金剛山観光は思ったように収益が挙がらずに巨額の赤字を生み続けるが、小さくなってしまった現代財閥には赤字を補填する能力はなく、2001年末から2003年にかけて、現代峨山では給料の遅配が頻発した。
南北関係に貢献した鄭夢憲は2000年の南北首脳会談に際して、韓国側代表団の一人に選ばれるが、その一方で現代財閥は南北首脳会談の直前に北朝鮮に対して総額5億ドルもの秘密支援を行った。これは公式的には現代財閥が対北朝鮮事業の独占権確保のために支払った対価とされるが、実は南北首脳会談の対価ではないかという疑いが強い。この対北朝鮮秘密支援の捜査中の2003年8月4日、鄭夢憲は現代峨山の本社から飛び降り自殺をする。
鄭夢憲の後継者は未亡人の玄貞恩となる。皮肉なことに対北朝鮮事業は鄭夢憲の死後の方が順調に進み、赤字続きであった金剛山観光も黒字を計上するようになり、足踏みが続いていた開城工業地区の建設も進むようになった。
しかし2006年には京義線、東海線の鉄道試運転が北朝鮮側の反対で突然中止になり、その後7月のミサイル発射や10月の核実験実施によって、現代峨山が行っている対北朝鮮事業は内外の厳しい批判を集めるようになり、対北朝鮮事業の先行きには不透明感が強まっている。
[編集] 対北朝鮮事業の成果と問題点
対北朝鮮事業の成果は、曲がりなりにも北朝鮮とともに各種事業を継続している点、南北融和に大きく貢献している点が挙げられよう。現在、開城工業地区でも金剛山でも、韓国人のもとで多くの北朝鮮労働者が工場労働者やホテルやレストランの従業員などとして働いている。金剛山では北朝鮮側がサービスの工夫について韓国側と意見の交換をするようになっており、韓国と北朝鮮との共同事業としての進化が見られる。また南北融和への貢献としては、金剛山で定例化している離散家族の再会事業のために常設の面会場の建設が行われたり、金剛山地区の農家への農業技術移転などが挙げられる。
最近では韓国のNPO団体が金剛山付近で活動を進めており、現在朝鮮戦争で焼失した寺院の再建も韓国と北朝鮮共同で進められている。限定的ではあるが、現代峨山の行う対北朝鮮事業とともに様々な形の南北交流が始まっているのも事実である。
問題点はとしてはまず北朝鮮を利する事業を行っているのではないかという非難がある。金剛山観光事業では当初月額約10億円以上にもなる巨額の観光料を北朝鮮側に支払っていた。現在はさすがに支払額は減ったが、一般的な2泊3日の観光では一人当たり80ドルの観光料を北朝鮮側に支払っている。その上金剛山や開城そのものも、北朝鮮側に巨額の資金を支払い、長期間借り受ける形で事業を展開している。また金剛山や開城で働く北朝鮮労働者への賃金は、現代峨山から直接渡されることはなく、全て北朝鮮当局を通して渡されることになっているが、給料の大部分が北朝鮮当局の懐に入っていると推定されている。これら対北朝鮮事業によって北朝鮮に流れる資金は、北朝鮮の延命に力を貸すものだという強い非難を受けている。
続いて韓国政府が進める太陽政策に則った事業を行っている関係上、現代峨山の事業は韓国政府の強い影響を受ける点が挙げられる。現代峨山の行っている事業を中断させられない韓国政府は、2002年には金剛山旅行代金を観光客に直接補助するという破天荒な方法で、現代峨山の事業を守るということまでした。一方で北朝鮮と現代峨山側が対立した場合などは韓国政府の干渉を受けることにもなるが、太陽政策を推し進めている現在の韓国政府が対北朝鮮事業を中止されられないことを上手く利用して、現代財閥は赤字続きであった対北朝鮮事業のみならず現代財閥そのものも守ってきた。
そしてもう一つの問題は、対北朝鮮事業そのものの先行き不透明感である。現代財閥以外の多くの韓国財閥は対北朝鮮事業に及び腰である。現代財閥は巨額の対価を支払って北朝鮮当局から様々な事業の独占権を得たはずなのであるが、事業を進めるたびに様々な無理難題が飛び出す現状を見て、北朝鮮はとても事業を進める相手とはなり得ないというのが韓国でも一般的な見方である。また北朝鮮という国そのものの先行きが不透明である点も見逃せない。いくら対北朝鮮事業で大きな成果が挙がったとしても、北朝鮮情勢が劇的な変化をすれば事業がどうなってしまうのか、これもまた不透明である。
事実、2006年7月に発生した北朝鮮ミサイル問題の影響で離散家族再開事業は中断され、北朝鮮の数少ない合法的収入源となっている金剛山観光事業と開城工業地区事業についてアメリカから問題提起がなされ、10月の北朝鮮核実験の後には金剛山観光事業と開城工業団地事業に対する批判が高まり、改めて現代峨山の事業は不安定な北朝鮮情勢の趨勢に左右されることが浮き彫りになった。
[編集] 現代峨山社員の北朝鮮赴任
現代峨山では強制ではないが、社員は少なくとも一度は北朝鮮に赴任する風潮がある。北朝鮮で仕事をすることによって、北朝鮮側の考えが理解しやすくなって日常業務に大いに役立つというのがその理由である。赴任先は金剛山か開城である。赴任期間は最低一年間で、給料も韓国国内よりも格段に良い。しかし現地では北朝鮮側と毎日のように交渉等を行うわけであるが、考え方が大きく違う韓国側と北朝鮮側はよく衝突があり、ストレスが絶えない仕事である。北朝鮮では仕事が終わった後の息抜きの場がほとんどないことも大きな問題である。
また、金剛山では現代峨山以外で金剛山に進出している企業職員が駐在していて、中国系朝鮮族も大勢出稼ぎに来ている。開城工業団地でも各進出企業の職員が駐在している。現代財閥は金剛山と開城の独占開発権を握っているため、現代峨山はこれら進出企業の上に立つ形で北朝鮮側との交渉などの業務を進めている形になる。
[編集] 年表
- 1989年1月 鄭周永現代財閥会長、北朝鮮を韓国財界人として初訪問し、金日成らと会談
- 1998年2月 金大中大統領就任、対北朝鮮宥和政策「太陽政策」を開始
- 1998年6月 鄭周永、500頭の牛とともに板門店を越え2度目の訪朝。韓国側からの金剛山観光の開始で合意
- 1998年10月 鄭周永3回目の訪朝、金正日と会談して金剛山観光の正式許可を受ける
- 1998年11月 金剛山観光開始
- 1999年2月 現代峨山創設
- 1999年6月 金剛山観光中の韓国人観光客が「亡命をそそのかした」との理由で北朝鮮当局に拘束され、金剛山観光一時中断
- 2000年6月 平壌で南北首脳会談
- 2000年8月 鄭夢憲と金正日が会談を行い、金剛山観光開発の推進と開城工業地区の開発開始で合意
- 2000年9月 金正日、現代が作った金剛山観光施設を視察
- 2001年1月 現代峨山の資金難が深刻化
- 2001年3月 鄭周永死去
- 2002年3月 韓国政府が金剛山観光客への観光費用の直接補助を行うことを決定(2002年度のみの措置)
- 2002年4月 金剛山で第4回離散家族再会事業が行われる。以降離散家族再会は金剛山で行われるのが慣例となる
- 2002年9月 京義線、東海線の鉄道・道路連結工事が着工される
- 2002年11月 北朝鮮、金剛山を観光地区、開城を工業地区に設定する
- 2003年2月 金剛山で軍事境界線を直接越える陸路観光の試験が行われる。また5億ドルにも及ぶ対北朝鮮秘密支援が行われた事実が明るみとなる
- 2003年6月 開城工業団地着工、京義・東海線の南北鉄道の連結式が行われる
- 2003年8月 鄭夢憲、現代峨山本社から投身自殺
- 2003年9月 金剛山陸路観光本格化
- 2004年12月 開城工業団地で製品生産が開始される
- 2005年6月 金剛山観光100万人突破
- 2005年8月 金剛山で離散家族の面会場が着工される
- 2006年7月 離散家族再開事業中断に伴い、面会場建設も中断される
- 2006年10月 北朝鮮が核実験を実施、金剛山観光事業と開城工業団地事業の継続が危機に陥る