浦上駅
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浦上駅(うらかみえき)は、長崎県長崎市川口町に所在する九州旅客鉄道(JR九州)長崎本線の駅である。長崎本線の新・旧線の分岐駅であり、寝台特急「あかつき」を除く全ての列車が停車する。ここでは駅前にある長崎電気軌道の浦上駅前電停についても併記する。
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[編集] 駅構造
[編集] 駅舎
一階建ての簡単な駅舎が在る。前の駅舎が原爆で焼失した後、建てられた物である。コンビニエンスストアam/pmが駅舎内部に設けられている。 自動券売機が1台設置されている。自動改札機は無いがマルス端末機が設備されている。JR九州直営駅である。
駅には諫早方面のみLED発車案内表示があり、長与経由・市布経由は別表示となっている。
[編集] ホーム
相対式ホーム2面2線の構造を持つ。駅舎側が長崎方面下りホーム、奥が諫早方面上りホームである。ホームとホームとの間の移動には、跨線橋を利用する。
[編集] その他
浦上駅から諫早方面に2~300m程進むと、踏切の手前にクロスポイントがあり、これが新線と旧線との分岐点となっている。そのまま直進すると旧線、ポイントを曲がると新線である。
旧線は電化されておらず、直進する列車は全て気動車である。一方新線は電化されており、気動車のみでなく電車も走行する。
このクロスポイントの後の踏切から次の長崎トンネルまで、長崎本線の新旧線が並走する単線並列区間となっている。
[編集] 長崎電気軌道浦上駅前電停
浦上駅前の国道206号上にある相対式2面2線の併用軌道の電停である。
[編集] 駅周辺
駅前広場を挟み国道に面する。又、長崎電気軌道本線の浦上駅前電停に接続している。駅の裏には病院、近くにはマンション・コンサートホール・放送局・学校等様々な施設が有り、この駅の利用者の中にはそれらへの通勤通学者も多い。
[編集] 文教施設
- 活水中学校・高等学校
- 長崎県立長崎西高等学校
- 長崎市立淵中学校
- 長崎市立銭座小学校
- 長崎市立坂本小学校
- 北九州予備校長崎校
- 長崎大学医学部
- 長崎大学歯学部
[編集] 医療
- 長崎大学医学部・歯学部附属病院
- 日本赤十字社長崎原爆病院
- 長崎県医師会館
[編集] 文化施設
- 国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館
- 長崎原爆資料館
- 長崎市平和会館
- 長崎市立歴史民俗資料館
- 長崎ブリックホール
[編集] マスコミ
浦上駅近くの長崎自動車茂里町営業所の再開発事業計画が行われている。観覧車をランドマークとする滞在型商業施設を予定しており、物販フロアの面積を最小限に留める等、地元商店街との摩擦に配慮していると言う。
[編集] 利用状況
- 1日の乗降者数は3400人。
[編集] 歴史
1897年(明治30年)7月22日の開業当時、この駅は長崎駅と言う名であった。今の長崎駅が出来るまでの8年間は終着駅であり、長崎市の表玄関の駅でもあった。現在でも駅前広場の一角に「長崎駅址」の石碑が建てられている。
1945年8月9日、この駅は長崎への原子爆弾の投下により被爆した。爆心地にかなり近かった為辺りは相当な被害となったが、諫早駅等との間で被災者をピストン輸送する拠点として機能し続けた。
- 1897年(明治30年)7月22日 - 九州鉄道長崎線の終着駅、長崎駅(ながさきえき)として開業。
- 1905年(明治38年)4月5日 - 路線延伸により浦上駅(うらかみえき)に改称。
- 1907年(明治40年)7月1日 - 九州鉄道の国有化に伴い官設鉄道の駅となる。
- 1909年(明治42年)10月12日 - 国有鉄道の線路名称制定により長崎本線の駅となる。
- 1945年(昭和20年)8月9日 - 原子爆弾により被災。
- 1972年(昭和47年)10月2日 - 喜々津駅から市布駅を経て当駅に至る長崎本線の新線が開業し、分岐駅となる。
- 1976年(昭和51年)6月6日 - 鳥栖~長崎駅間電化。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道の駅となる。
[編集] 隣の駅
- 九州旅客鉄道
■長崎本線(新線、市布経由)
- 快速「シーサイドライナー」
- 普通
- 現川駅 - (肥前三川信号場) - 浦上駅 - 長崎駅
■長崎本線(旧線、長与経由)
- 西浦上駅 - 浦上駅