森本稀哲
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森本 稀哲(もりもと ひちょり、1981年1月31日 - )は、東京都荒川区出身のプロ野球選手。ポジションは外野手で、主に中堅手。北海道日本ハムファイターズ所属。チーム内での愛称は「チョリ」。血液型はB型
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[編集] 来歴・人物
帝京高校では1998年に主将、遊撃手として夏の甲子園に出場。三回戦・浜田高校戦で8回に和田毅(現福岡ソフトバンクホークス)から同点本塁打を放つも敗退。高校通算34本塁打。同年秋のドラフト4位で日本ハムファイターズに入団し、外野手に転向した。守備走塁に定評があり、パンチ力もあるが、打撃に波があったため、当初は控えに甘んじていた。2006年には打撃でも結果を出し、1番・左翼手または中堅手としてレギュラー出場して、規定打席にも到達しパ・リーグ得点王になった。新庄剛志・稲葉篤紀と共に、外野のレギュラーを確保しチームのリーグ優勝に貢献した。
スキンヘッドが特徴だが、これは小学生の時、髪の毛はじめ体毛すべてが突如抜け落ちた上生えてこなくなる原因不明の難病にかかり、大変苦労したことを忘れないように、そして同じ病気で苦しむ人に勇気を与えるためにと病気を克服した今でも毎日自身でカミソリをあてて頭を剃っているためである。
在日朝鮮人(韓国籍)の父、日本人の母を持つ。
生家は日暮里駅の近くで焼肉店「絵理花」を営んでいる(この店の名は森本の応援歌の歌詞にも登場している)。両親はとてもサービス精神旺盛であり、日本ハムファンにリピーターが多い。
同じ歳で元チームメイトの實松一成(現読売ジャイアンツ)とは自他共に認める親友である。また、新庄剛志のことを兄貴分のように慕っており、2006年の日本シリーズで引退した新庄は自らの「背番号1」を森本に譲りたいと発言、森本本人もこれには前向きであり、球団側も高田繁GMが容認、11月30日時点で来季の2007年シーズンは森本が「背番号1」を背負うことが決定した。ムードメーカーとしても貴重な存在であり、ファンからは今後も大きな活躍が期待されている。
[編集] 略歴
[編集] タイトル
- 1回 (2006年)
- 1回 (2006年)
- 日本シリーズ優秀選手賞
- 1回 (2006年)
- 1回 (2006年)
- オールスター出場
- 1回 (2006年)
[編集] 記録
- 2試合連続先頭打者ホームラン
- オールスターでのホームスチールを達成。
- オールスター第2戦で、一塁ランナーと重盗し、同年7月23日(史上3人目)に記録。
- 1試合6安打
- 同年9月17日の対ロッテ戦で延長戦ながら達成(パ・リーグタイ記録)。
[編集] 通算成績(2006年シーズン終了時点)
- 514試合 打率.254(1212打数 308安打) 23本塁打 103打点 42盗塁
[編集] 背番号
- 53(1998年~1999年)
- 46(2000年~2006年)
- 1(2007年~)
[編集] エピソード
- 「ひちょり」の命名は父による。朝鮮語の「ヒチョル」から取られた。
- 帝京高校時代、登校日はいつも両親手製の焼肉弁当(肉・タレは店で使うものと同じ)を持参していた。
- ただし弁当は森本が食べるのでなく、いつも他の部員(持ち回り)と取替えっこ。部員仲間に焼肉弁当を堪能してもらおうという森本の粋な計らいであった。
- 2004年9月20日、対福岡ダイエー戦の試合前に新庄のパフォーマンスで外野手5人が『秘密戦隊ゴレンジャー』のマスクを付けて守備練習をした際、アカレンジャーのマスクを付けている。ちなみに森本はこの時の5人(森本、新庄の他に島田一輝、石本努、坪井智哉)の中で唯一『ゴレンジャー』本放送時に生まれていない。
- 2006年7月2日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦で、試合後のヒーローインタビューの際、前年のファン感謝イベントで公約していた通りカラオケを披露、尾崎豊の『きっと忘れない』を熱唱した。なおこの試合以降ホームランを打つたびに全力疾走でベースランニングをするようになった。
- 同年7月21日のオールスターゲーム第1戦では顔を緑に塗った上に触角をつけ、漫画『ドラゴンボール』の登場人物「ピッコロ大魔王」の姿で登場した。しかしテレビ中継では原作版権の問題もあり、ピッコロ森本は画面に映るもののアナウンサーが頑なに無視し続けた事もファンの爆笑を誘った。
- 7月23日の第2戦では真ん中を空けたカツラをつけて、差し歯を抜いたスタイルで登場し、新庄らパ・リーグナインの爆笑を誘った。この試合では3安打1本塁打2打点、そして2年前の新庄に続きホームスチール(ただし重盗、一塁走者は西岡剛)を決めるなど活躍し、新人MVPを受賞した。
- 同年8月13日、札幌ドームで行われた「ファイターズ超満員大作戦」第3回(対千葉ロッテマリーンズ戦)、北海道日本ハムのスタメン選手らがラリージャパンの宣伝のためラリーカーに乗って入場してくる際に、自身は一番最後からラリージャパンののぼりをはためかせながら自転車を漕いで入場。転倒し、球場内のファンを沸かせた。
- 10月12日のパ・リーグプレーオフ2ndステージ第2戦の9回裏、内野で送球が逸れた隙を突き本塁を陥れ、サヨナラで優勝を決めた。その際「何が何だか分からなかったが、稲葉さんを見たら『喜びを通り越した怖い顔』をしていたので、優勝したことに気付いた」といい、森本のホームインを見て優勝を知った稲葉同様、『お互いの姿を確認するまで優勝に気付かなかった』という珍事にもなった。
- 兄貴分の新庄剛志、良き先輩である稲葉篤紀とはいつも仲が良く、味方の投手交代やタイムの時などは三人でセンターに集まり、良く同じポーズ(頭にグラブを被り、片膝をつく)をとりながら三人で会話していた。また森本も球界屈指の名手である二人に負けない守備力を持っており、フェンス直撃の打球を素手でキャッチして二塁でバッターランナーを刺したり、2006年のプレーオフ、福岡ソフトバンク戦の第2戦では緊迫した場面でファインプレーを連発した。日本シリーズでは自らがウィニングボールを掌中に収め、新庄と歓喜の抱擁を行った。同年のアジアシリーズでは紺田・稲葉とこのポーズをしてるのが見られている。
- その後のビールかけではスピードスケーターに扮し、ナインの爆笑を浴びる。本人曰く、500のレースではスタートに出遅れ負けたらしい。
- 森本には専用の応援歌があるが、2006年のアジアシリーズ決勝戦の第4打席ではファンから後継者という期待を込め、新庄剛志の応援歌を替え歌として演奏された。なお、歌詞中の「メジャー」を「鎌ヶ谷」、「新庄」を「稀哲」としていた。2007年シーズンは守備位置もセンターにコンバートされる予定で、名実共に「新庄の後継者」となりつつある。
- 2006年、日本ハムゴールデングラブ賞外野部門独占のメンバーである。
- 札幌で行われた優勝パレードでは5度の寒い中、半袖のユニホーム姿で登場し、ファンを沸かせた。これは長袖を自主トレ先の千葉の鎌ヶ谷に送ってたため。本人によるとやはり「寒かった」とのこと。
- 2006年11月26日、茨城県筑西市にて少年野球教室を行う。(押本健彦・市川卓とともに)筑西市(旧下館市)には2001年以降毎年訪れている。
[編集] 関連項目
北海道日本ハムファイターズ - 2007 | |
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1 森本稀哲 | 3 田中賢介 | 6 田中幸雄 | 8 金子誠 | 9 小田智之 | 10 木元邦之 | 11 ダルビッシュ有 | 12 鎌倉健 | 13 須永英輝 | 16 金村曉 | 17 宮本賢 | 19 清水章夫 | 20 糸数敬作 | 21 武田久 | 22 建山義紀 | 23 尾崎匡哉 | 24 陽仲壽 | 25 立石尚行 | 26 糸井嘉男 | 27 江尻慎太郎 | 28 正田樹 | 29 八木智哉 | 30 高橋信二 | 31 小谷野栄一 | 32 選手兼コーチ 中嶋聡 | 33 橋本義隆 | 34 吉川光夫 | 35 木下達生 | 36 MICHEAL | 37 小山桂司 | 38 武田勝 | 39 川島慶三 | 40 金子洋平 | 41 稲葉篤紀 | 43 星野八千穂 | 44 山本一徳 | 45 今浪隆博 | 46 植村祐介 | 47 菊地和正 | 48 中村渉 | 49 内山雄介 | 50 市川卓 | 52 紺田敏正 | 53 工藤隆人 | 54 稲田直人 | 55 佐藤吉宏 | 56 駒居鉄平 | 57 飯山裕志 | 58 高口隆行 | 59 金森敬之 | 60 伊藤剛 | 61 押本健彦 | 62 今成亮太 | 63 渡部龍一 | 64 鶴岡慎也 | 65 鵜久森淳志 | 66 ダース・ローマシュ匡| (未定) グリーン | (未定) スウィーニー | |
88 監督 ヒルマン | 90 白井一幸 | 77 淡口憲治 | 81 佐藤義則 | 74 厚沢和幸 | 82 平野謙 | 83 オーウェン | 78 二軍監督 福良淳一 | 80 野村収 | 73 島崎毅 | 79 島田一輝 | 76 大村巌 | 71 山中潔 | 72 水上善雄 | 75 川名慎一 |
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球団 | |