須永英輝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
須永英輝(すなが ひでき、1985年10月28日 - )は北海道日本ハムファイターズに所属する投手。背番号は13。左投左打。
[編集] プロフィールなど
小学生の頃から野球を始めた。2001年、野球の名門・浦和学院高校に進学。野球部では1年秋からエースとなり、チームを2002年春・夏、2003年春の甲子園大会出場に導いた。大会通算63奪三振。2002年夏は当時無敵を誇った報徳学園に勝利し、注目を集めた。
2003年ドラフト会議前に須永は読売ジャイアンツ入りを強く志望。須永自身熱狂的な巨人ファンであった。他球団に指名されたら社会人野球に進むとまで明言していた。しかし巨人より先に2巡目で日本ハムが強行指名。このとき須永は自らの心境を「灰色(気持ちの整理がついていない状態)です」と表現しており、当初は指名挨拶に訪れたスカウトとの面会すら避けていたが、徐々に態度が軟化。初交渉の際は、心境を「白」と表現。最終的には日本ハムへの入団を決意し、心境は「バラ色」になった。(後に、日本ハムにきてよかったと発言している)
ルーキーイヤーの2004年はイースタンリーグで6月途中までに6勝を挙げ、大物の片鱗を見せつけた。一軍先発陣の不調もあり、6月16日の対千葉ロッテマリーンズ戦(札幌ドーム)で一軍初先発。しかし3回7失点でノックアウト、プロの洗礼を浴びる結果となった。このように一軍では結果を残せなかったが、二軍では10勝を挙げ最多勝利。
期待された2005年だったが、調整に失敗し不振に陥っていた。漸くシーズン最終戦の9月27日、対千葉ロッテ戦に先発。9回を被安打4、無失点に抑えた(味方打線の援護無く勝利投手にはなっていない)。
2006年からは高校時代の後輩でバッテリーを組んでいた今成亮太がファイターズに入団し、浦学バッテリーの復活も成し遂げた。ちなみに大竹寛(広島)は高校の2学年先輩である。 だが開幕後しばらくして一軍から落ち、その後も今ひとつの調子だった。期待は大きいだけに、来季の2007年は正念場となる。
[編集] 略歴
[編集] 通算成績(2005年シーズン終了時)
6試合登板(うち先発2)、212/3投球回、勝利0、敗戦2、セーブ0、失点13、自責点13、防御率5.40
北海道日本ハムファイターズ - 2007 | |
---|---|
1 森本稀哲 | 3 田中賢介 | 4 グリーン | 5 セギノール | 6 田中幸雄 | 8 金子誠 | 9 小田智之 | 10 木元邦之 | 11 ダルビッシュ有 | 12 鎌倉健 | 13 須永英輝 | 16 金村曉 | 17 宮本賢 | 19 清水章夫 | 20 糸数敬作 | 21 武田久 | 22 建山義紀 | 23 尾崎匡哉 | 24 陽仲壽 | 25 立石尚行 | 26 糸井嘉男 | 27 江尻慎太郎 | 28 正田樹 | 29 八木智哉 | 30 高橋信二 | 31 小谷野栄一 | 32 選手兼コーチ 中嶋聡 | 33 橋本義隆 | 34 吉川光夫 | 35 木下達生 | 36 MICHEAL | 37 小山桂司 | 38 武田勝 | 39 川島慶三 | 40 金子洋平 | 41 稲葉篤紀 | 42 スウィーニー | 43 星野八千穂 | 44 山本一徳 | 45 今浪隆博 | 46 植村祐介 | 47 菊地和正 | 48 中村渉 | 49 内山雄介 | 50 市川卓 | 52 紺田敏正 | 53 工藤隆人 | 54 稲田直人 | 55 佐藤吉宏 | 56 駒居鉄平 | 57 飯山裕志 | 58 高口隆行 | 59 金森敬之 | 60 伊藤剛 | 61 押本健彦 | 62 今成亮太 | 63 渡部龍一 | 64 鶴岡慎也 | 65 鵜久森淳志 | 66 ダース・ローマシュ匡| | |
88 監督 ヒルマン | 90 白井一幸 | 77 淡口憲治 | 81 佐藤義則 | 74 厚沢和幸 | 82 平野謙 | 83 オーウェン | 78 二軍監督 福良淳一 | 80 野村収 | 73 島崎毅 | 79 島田一輝 | 76 大村巌 | 71 山中潔 | 72 水上善雄 | 75 川名慎一 |
|
球団 | |