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本願寺道路 - Wikipedia

本願寺道路

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

本願寺道路(ほんがんじどうろ)は、明治初年に東本願寺北海道札幌と尾去別(現在の伊達市内)とを山越えで結ぶ街道として建設した道路で、1871年(明治4年)に開通した。本願寺街道、有珠街道ともいう。現在の国道230号の基礎となった。

後に本願寺道路が作られた経路は、従来からアイヌが通行しており、江戸時代には松浦武四郎らがアイヌの案内で通っていた。1869年(明治2年)に札幌に蝦夷地(同年北海道と改称)の本府を置くことが決まると、札幌と箱館(同年函館と改称)を連絡する道路が必要になった。このとき、財政難の明治政府は東本願寺を動かして道路開削を出願させた。東本願寺はその年内に調査・計画を行い、1870年(明治3年)から1871年(明治4年)にかけて工事を実施し、尾去別(現在の伊達市長和)と平岸(現在の札幌市豊平区平岸)の間に約103kmの道路を開削した。工事の労働には僧侶のほか、士族と平民の移民、アイヌが従事した。しかし、1873年(明治6年)に苫小牧経由で室蘭に至る札幌本道が建設されると、山を通る本願寺道路は敬遠され、荒廃した。後、北海道庁によって1886年(明治19年)から改修が進められ、重要な街道として復活した。1950年(昭和25年)に国道230号とされた。

目次

[編集] 「本願寺道路」の全開削・整備

北海道における「本願寺道路」といっても、実は4ルートある。(当時の地名の後に現在の地名等の説明をしている都合上、読みづらいがご了承願いたい。)

  • (1)軍川(「いくさがわ」:現在の亀田郡七飯町「ななえちょう」、大沼付近、地名残存。)~砂原(「さわら」:現在の茅部郡「かやべぐん」森町、地名は旧砂原町内の町名として残存。)
  • (2)鶉(「うずら」:当時は檜山郡厚沢部町「あっさぶちょう」から数Km東側にあった集落、現在も同所に存在。)~大野(現在の北斗市を指す。)
  • (3)山鼻~八垂別
    (山鼻「やまはな」:時代により範囲に諸説あるが、明治初頭に於いては、現在の札幌市すすきのの南はずれ、または、中島公園北端から同公園北西部、東屯田通近辺までの数丁四方。後に山鼻村となり、西と南に範囲が広がる。その後、円山村、後の円山町と合併し、さらに札幌と合併。現在は、都心部条丁化に伴い、付近の公園や一部行政施設に地名の名残があり、店舗の名称などに使用しているのみ。)
    (八垂別「はったりべつ」:現在の札幌市南区の藻岩下、通称「軍艦岬」付近以南、北ノ沢、川沿、南沢一帯を指す。現在は地名消失し、地区の住民すら知らない状態。南沢にある墓地や滝などに地名の名残がある程度。当時は同様に円山村と合併し、更に合併し札幌市の一部となる。)
    旧川沿市街地付近は、当初の豊平川の水量も多く、水害にも度々見舞われていたことにより地盤も悪く、現在のルートから推し量る事が可能なのは、軍艦岬付近(但し、現在は先端が掘削され、道路拡張とカーブの緩和化が進んでいる。)など、ほんの一部である。唯一残存する当時の絵図も正確なものではないため、現在の区画や路線から完全にルートをなぞる事は不可能であり、推測の域を出ないともいわれている。
  • (4)尾去別~平岸
    (尾去別「おさるべつ」:現在の伊達市長和。地名消失。字は変わってしまったが、付近を流れる長流「おさる」川という名称に、当時の名の一端が読み取れるだけ。)
    (平岸「ひらぎし」:現在の札幌市豊平区平岸、天神山付近。当時は後述する簾舞「みすまい」も含め札幌郡平岸村で、後、豊平村と併合、豊平町となり、札幌と合併する。

となるが、ここでは最も距離が長く、開削に難を極めた4番目の道路についての説明が主になる。

[編集] 本願寺道路開削以前の蝦夷地での調査

1807年文化)4年)に近藤重蔵が、石狩~虻田「あぶた」間の調査のために札幌から豊平川をさかのぼって調査した。

1845年弘化2年)から5年間、及び、1855年安政5年)から3年間の二度にわたり、松浦武四郎が実地調査を行った。松浦は、3度蝦夷地に渡り、3度目に前述の近藤の踏査を確認した。松浦のコースは虻田~石狩樋平(とひぴら)・津石狩(現在の「対雁」~ついしかり)ルートで、湿地帯や豊平川支流が積雪や氷結の為に渡り易くなる、冬期間に行われた。これらの踏査は現地のアイヌの案内なしには不可能であった。松浦はその結果、「川に従い虻田、有珠に道を開かばその便(弁)如何ばかりならん(む)」と、江戸幕府に対しそのルートの必要性を説いた。後の明治時代に至って、ロシア南下政策対策と相まって、当道路を開削、開通する根拠ともなったといわれている。

[編集] 道路開削までの経緯

東本願寺はもともと、徳川家の恩顧があり、大政奉還後まもなくである、慶応4年年始に行われた宮中会議において、同寺焼き討ちの案も出された。そのことは濡れ衣や誤解でもあった。東本願寺側は、当時、二十一世門主の大谷光勝(厳如上人)であり、その妻は皇族出身の嘉家宮和子であった。その妻の実兄である山階宮晃親王は、その宮中会議の経過を耳に入れ、同寺のお取り潰しの実現を懸念し、「叛意がない」旨の誓書を朝廷に提出させることにより事なきを得たという。

一方、明治政府は北海道の開拓のために開拓使を設け、その本府を札幌に置くことを計画していた。前述のロシアの南下政策の脅威に対抗するため、また、それに伴って、大量の移民を入植させるためにも、当時すでに北海道の拠点として開けていた箱館から札幌へのルート開拓は急務とされた。しかしながら、極端な財政難に陥っていた当時の政府には、北海道の道路を含めた開拓にまで手がける事は不可能で、薩長土肥等の勤皇雄藩も同様であった。そんな台所事情の新政府が苦し紛れに目をつけたのが、全国に宗門徒を抱えていた本願寺であった。

かといって、東西にかかわらず、両本願寺側も、既にいくつかの新政府からの財政援助に応じていた過程、決してさらなる要求に応えられる状態ではなかった。西本願寺は、京都の賀茂川のいくつかの架橋工事、不換紙幣と正貨との多額なる交換などといった、多大なる資金の提供を新政府の為に既に行っていた。そこで、大同小異ではあったのだが、時の太政大臣、三条実美より東本願寺側に道路開削についての密談があった。よって形式上は、「東本願寺から明治政府に出願された」形がとられたのだが、実情は、「政府からの援助協力依頼」であった。「援助協力依頼」とはいっても、前述の経緯より、政府に対して断る事は東本願寺存続の上でも不可能であったため、実質は命令ともいってよい。

しかし、双方の政治的駆け引き、組織的な思惑ばかりではなく、その事業自体が、仏教特有の宗教的思想に基づいて行われ、最終的には、平均的に貧しかった、当時の北海道への移民たちなどに対して、大きな雇用を生み出す結果ともなったのは、想像に難くない。

[編集] 作業の前段階

  • 明治2年6月5日、時の政府に対して(表向きの)東本願寺側から出願が提出される。

その主旨は

  • (1)新道切開
  • (2)農民移植(移民奨励)
  • (3)教化普及

の三点項目であった。

  • 明治2年9月3日太政官より許可が下る。東本願寺側の決定で、当時19歳の新門、大谷光瑩(こうえい)・現如上人が事業の責任者となる。
  • 同年9月20日、開拓使の許可の下、5名の調査隊を編成し渡道し、翌3年3月2日帰京する。
  • 明治3年2月10日、随行した僧侶を合わせて約百数十名が本山表玄関を出発。
  • 前年から全国末門に回状を出し、名古屋から北陸、東北日本海側を陸路北上し(但し、秋田藩」など、「廃仏思想」の強い地域は海路を迂回して)、「勅書」「開拓御用本願寺東新門主」と書かれた表札を掲げ、浄財の寄進を受けながら、蝦夷の地へと向かっていった。
    「トトさんカカさんゆかしゃんせ、うまい肴(さかな)も胆斗(たんと)ある、おいしい酒も旦(たん)とある、エゾ、エゾ、エゾ、エゾ、エイジャナイカ」といった歌も一行(一説によると、現如上人自らの作。)によって歌われたというが、何せ、(21世紀に入った時点で)130年以上も前のことである。節までは伝わってはいない。
  • 明治3年7月7日、津軽藩青森村(現在の青森市)に一度上陸し、津軽海峡を渡って函館に到着。

[編集] 作業開始

  • その後、3日間の函館滞在のうちに開拓使函館出張所にて、「新道開削」及び「蝦夷地に於ける新寺創立」の打ち合わせを東久世長官を交えて行い、人員振り分けを行った。随行した大部分の僧侶達は、新道開削へと回された。
  • 明治3年7月24日、現如上人は27名を伴い、小樽経由で札幌入り。東本願寺管刹境内地を検分した。

その検分した場所は「山鼻」で、現在の南7条西8丁目にあたり、現在、「東本願寺」の「真宗大谷派札幌別院」が建っている場所である。なお、時の政府から下賜されたその地に管刹(寺)が設立されたのは、検分後まもなくで、そこが「札幌別院」と改称されたのは、明治9年のことである。

  • 翌25日、希望者29名に対し帰敬式を行い、彼ら希望者は帰京した。

かくして(他の3つの路線を含め)道路開削が開始されることとなった。

[編集] 本願寺道路の内容

  • 実質作業期間~明治3年9月から翌4年10月
  • 開削工事区間~尾去別から平岸天神山麓付近まで、二十六里十町(約103km余り)、当時は尾去別(伊達市長和付近)が起点。
    ちなみに、現在それに相当する国道230号(他の国道との重複区間有)は、約108.5kmの長さである。また、札幌本道から発展した国道36号や、白石街道から発展した国道12号の起点でもあるところの、札幌市中心部の起点(中央区北1条西3丁目と西4丁目間の交差点)から大通り西10丁目と西11丁目の境目(現在の「石山通」)を通って、定山渓、中山峠を経て、伊達市よりやや西側の虻田町の方へ延びている。以降は、他の国道との重複区間を経てせたな町へと続く。
  • 道路の規模~伐木幅三間(約5.4m)、道路幅九尺(約2.7m)。橋の架設百十三箇所、谷間の板敷き十七箇所。
  • 作業人員~東本願寺宗門の僧侶多数、伊達氏仙台藩支藩の亘理藩)の士族移住者約50名、道東の和田村への移民から(地名確定は現在不可能)大工職人をはじめとする約50名、胆振地方のアイヌたち人数不明だが多数が参加。全員が最初から最後まで従事したとは思えないが、記録によると延べ人数、5万5千余人。
  • 日給~笹刈り一人に付、日給一分。伐木、架橋作業については更に割り増し。
  • 所要経費~一万八千五十七両余り(諸物価に落差があるが、幕末一両は約一万円程度といわれているので)現在に換算すると2億円程度かそれ以上。但し、これらは、ほとんど人件費や食費、斧や鎌などの工具類に費やされた。しかし、原始林を伐木した後の木材を、原木のままか板や棒に加工するかは別として、現地調達で、道路自体に使用できたという点である。湿地帯や谷地などは、板敷きや固定した浮橋、桟橋のような状態にしたということである。
  • 比較的安定した土壌の地区では、「竹や笹を横たえる程度」という開削が多かったといわれているが、集落周辺単位では、「藪の中にかろうじて人の足痕のある程度の、道ともいいきれない道を利用した」部分が多かったともいわれ、工事期間が異様に短かかったことや、「突貫工事」と呼ばれるに至った所以の一つも、そこにあった。

[編集] 「本願寺道路」の経路

(前項目との重複有り。現在の地図を元に確認したため、他の項も含めて、アイヌ語や郷土史にお詳しい研究者の加筆修正のご意見も、できればお願い致します。)

「オサルベツ」=「尾去別」(現在の「伊達市長和」)~(有珠山東側はずれ)~「ソウベツ」(現;「壮瞥」。洞爺湖畔南)~(洞爺湖東側)~「ニッポキナイ」(別の文書では「ニボツキナイ」。地名特定できず。東湖畔という地名から、同湖北湖畔にある洞爺村、その北部にかけての地名と推測される。)~「ヌツキベツ」(現;「貫気別」。)~「シリベツ」(「喜茂別」内の「尻別」。)~「アンユク」(全く不明。現在、喜茂別町-中山峠間の旧国道が林道として利用されているため、その間の地名と推測。)~「ムイナイ」(「無意根」と思われるが、現在は「無意根山」を指すので、その麓なのかどうかは不明。)~「ケレベツ」(この位置関係からでは不明。)~「ウスベツ」(現:「薄別」。定山渓「じょうざんけい」と中山峠間の温泉地。)~「定山渓」~「ニセイオマップ」(このアイヌ語起源の地名は、後に「ミソマップ」と呼ばれ、明治から現在まで「簾舞(ミスマイ)」と呼ばれていると、一般的にはいわれている。)~「石切山」(現:「石山」)の旧市街地(ここもかつては、旧国道230号であった。)~現在の石山陸橋のある辺りから迂回して北上し、同じく現在ある札幌市営地下鉄南北線が地上シェルターになっている区間、真駒内駅以北とほぼ平行に通り~「平岸」の天神山の麓(現在の地下鉄南北線の南平岸駅澄川駅との中間付近)と至っている。

余談だが、今述べた、現在の国道230号から分岐して北上する、旧石山市街地から石山陸橋、同地下鉄に沿って通り、平岸を貫いて走る道路は、現在「平岸街道」と呼ばれ、この道路自体が、「旧本願寺道路」に基づいて作られたとされる。

[編集] 開通後の歴史

冬の厳しい寒さや、春から秋にかけての蜂や毒虫の害、との戦い、(ひぐま)との遭遇などのアクシデントにもめげず、明治4年(1871年)10月工事完了。突貫工事ながらも、当時は徒歩が主だった時代に、「馬も通行可能」という道路は画期的だった。また、以前は、「獣道」に毛の生えた程度だった、札幌-定山渓の間も、しっかりとした道がつけられることとなった。札幌に近すぎたために休憩所扱いであった、(旧)簾舞通行屋も、現在の簾舞中学校付近、国道230号のちょうど路線上に当たる土地に建てられたという。

しかしわずか2年後の、明治6年に現在の国道36号線の基礎となる札幌本道が開通したため、「本願寺街道」を利用する者は激減した。

一度廃止された(旧)本願寺道路であったが、明治19年に札幌中央部から徐々に拡張工事が行われた。石切山~定山渓間も例外ではなく、結果、簾舞に於いては、現在の旧国道230号が、「新・本願寺街道」として蘇り、道幅も約5.4m、馬車も通れるくらいの、当時としては画期的な道路として出来上がった。それに伴って、通行屋も現在ある位置に移され、中山峠や定山渓にある宿泊所同様、駅逓所としての役割も兼ねるようになった。(新街道沿いに移された後の方の「簾舞通行屋」は、現在、「札幌市有形文化財」に指定され、当時の資料館も兼ねている。)
今から130年以上も前に突貫工事で作られた、幅3m程度の「旧・本願寺道路」は、その後、崩落したり、獣道化し草木が生い茂り、あるいは、田畑にされ、人家が建ち、国道拡張工事などで99%以上は残っていないが、後述するようにわずか2箇所ほど、ほぼ当時のままで残っている。保存会があり、それらを後世に伝える動きもある。非常に短い区間ながら、徒歩で通行し、当時を偲ぶ程度の事は可能ではあるが、その保存されている区間の両端が、現在、個人所有の土地や簾舞中学校敷地(札幌市教育委員会所轄)に接しているため、図示するなどの方法による詳細は述べない。現在の国道230号が開削開通するまで、地形上、付近には道路も無く、また、拡張も不可能だったため、戦後もしばらくの期間、生活用道路として徒歩で利用されていたという偶然性が、この区間の残存していた大きな理由とされている。

註;ここで述べている「旧・本願寺道路」、「新・本願寺道路」といった名称は、便宜上そう記しているだけであり、当時からそう呼ばれていた訳ではない。簾舞に於いて、「本願寺道路の新道」が開通した時点で、それまでの本願寺道路が「旧道」となり、後の時代にその「新道」が拡幅されて、「国道230号」となった。また、新旧の本願寺道路の間に国道230号の新道が開通した時点で、「新・本願寺道路」に基づく、それまでの国道を「旧国道」などと呼ばれるようになったものである。
また、そこから後志支庁へ向かって、現在の「豊滝」(旧地名「七曲り」)、さらに、「定山渓から喜茂別に至る区間」などは、現在までに切り替え工事、及び、拡幅工事、トンネル貫通工事等が繰り返され、結果、別項でも触れた通り、現在の国道230号は本来の本願寺道路とは全く別ルートとなっている。

[編集] 関係する記念碑、史跡等

  • (1)「東本願寺道路起点碑」(伊達市)
  • (2)「現如上人之像」(中山峠)
  • (3)「本願寺道路終点碑」(札幌市平岸)
  • (4)他、「中山峠」、「札幌市簾舞」にも、旧同街道跡沿いに「旧本願寺道路跡」を示す碑があり、その「経緯や内容、残存している近辺の経路を示す板標識」が簾舞中学校入り口付近に、後述する簾舞保存会によって設置された。
  • その旧街道に基づいて直線化や拡張された旧国道230号線のうち、定山渓から中山峠にかけては、薄別川に架かる橋などが崩落してしまい、藪に埋もれている箇所もあり、通行不可能である。しかしながら、中山峠から喜茂別町へ続く旧国道は残存しており、カーブや坂も多く、舗装箇所も少なく道路状況の悪い箇所もあるが、夏場は通行可能である。明治30年代に設置されたと思われる、石製の一等水準点も数箇所道路脇にも残存している。時代から推測して、道路の拡幅拡張工事のなされた頃でもあり、馬車の通行を想定した、当時の拡張やカーブの緩和化の為の工事から、更に整備して自動車道に利用したことにより、全区間が旧本願寺そのものに沿った道筋ではないにせよ、周囲の景色等など、当時の面影を偲ぶ事は十分可能である。
  • 「旧黒岩家住宅(旧簾舞通行屋)」(札幌市有形文化財) ここは、「新本願寺道路」つまり、「国道230号の旧道」沿いにある。「本願寺道路」「定山渓鉄道」などの資料館にもなっている。
  • 実は、「旧本願寺道路跡」が、130年以上たっても、簾舞中学校を挟む形で、離れて二箇所存在している。黒岩家の子孫方と、地元連合町内会などの有志が保存会を作り、後世に残すべく保存整備に努めているからである。

[編集] 特記

  • なお、「本願寺道路(街道)終点の地」は、前述の(3)の石碑のある位置かどうかは、はっきりしていない。本来、この道路を突貫工事的に開削したのは、「ロシア南下政策」に対抗するべく、人員、馬、武器、食料等のための補給路として作られたものであり、本来は、現在の北海道庁付近まで作られるべき目的のものである。札幌側も年々増える人口に対応するために、周辺の道路を整備していて、平岸村中心部と札幌都心部とは、時代相応に既に道路拡幅整備が終わっていたであろうし、同村南端の、「本願寺道路の終点碑」があった付近で、突然道路がなくなるということも考えられなかったからである。確かに、この付近は拡幅工事はされたであろうが、この碑の立つ地が正式に、同工事が終わった正確な場所であるのと同時に、「本願寺道路」の終点であったという確証はない。「当初、この辺りで開削工事が終了した「北端」、または、「札幌中心側の地」」という、程度に捉えた方がよい、との関係者の見解もある。

[編集] 関連項目

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