新湊市
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新湊市(しんみなとし)は富山県の富山湾沿岸にあった市。2005年に市町村合併により射水市となった。
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[編集] 歴史
鎌倉時代以後、海岸部の湊町放生津(ほうじょうづ)を守る放生津城が築かれ、越中守護所が設けられた。室町時代の1493年には、明応の政変の難を避けて室町幕府10代将軍足利義材が、放生津城主神保長誠の手引きで下向し、幕府政権を樹立した地である。江戸時代には加賀藩領となり、北前船の出航地として栄えた。江戸後期に放生津郊外の高木地区で生まれた石黒信由は和算・測量術・天文暦学を修め、富山県・石川県の正確な地図を制作した。伊能忠敬とも交流した信由の残した資料は、「石黒信由関係資料」(重要文化財)として伝えられている。信由5代の外孫として久々湊地区に生まれた石黒宗麿は陶芸家として知られ、鉄釉陶器の製作の功績により1955年に人間国宝として認定された。
新湊には希少性のある苗字が非常に多く、「珍姓の宝庫」ともいわれる。
[編集] 地理
[編集] 隣接している自治体
[編集] 歴史
- 1871年、町村制施行により射水郡新湊町ほかが発足。
- 1940年12月1日、新湊町が射水郡牧野村を編入する。
- 1942年10月1日、新湊町が高岡市に編入。
- 1951年1月1日、高岡市から新湊町と牧野村が分離。
- 1951年3月15日、新湊町が市制施行。
- 1953年4月1日、射水郡海老江村、片口村、七美村、作道村、堀岡村、本江村を編入する。
- 1953年10月5日、射水郡塚原村を編入する。
- 2005年11月1日に、射水郡小杉町、大門町、下村、大島町と合併し、射水市(いみずし)となる。
[編集] 行政
- 市長:分家静男(1999年~2005年)
[編集] 姉妹都市・提携都市
[編集] 国内
[編集] 地域
[編集] 教育
- 新湊市立片口小学校
- 新湊市立新湊小学校
- 新湊市立塚原小学校
- 新湊市立作道小学校
- 新湊市立東明小学校
- 新湊市立中伏木小学校
- 新湊市立放生津小学校
- 新湊市立堀岡小学校
- 新湊市立射北中学校
- 新湊市立新湊西部中学校
- 新湊市立新湊南部中学校
- 新湊市立奈古中学校
- 富山県立新湊高等学校
- 富山商船高等専門学校
[編集] 交通
[編集] 鉄道路線
[編集] バス
[編集] 道路
- 一般国道
- 都道府県道
- 主要地方道
- 富山県道11号新湊庄川線
- 富山県道41号新湊平岡線
- 主要地方道
[編集] 船舶
[編集] 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
- 富山新港新湊まつり(8月第1土・日曜)
- 海老江曳山まつり(9月23日)
- 新湊曳山まつり(10月1日)
- 新湊産業海鮮まつり(10月中旬)