加越能鉄道
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加越能鉄道株式会社(かえつのうてつどう)は富山県西部を中心に路線バスを運営するバス事業者。かつては鉄道路線を保有していたが、2002年には最後の鉄道路線だった万葉線を万葉線株式会社に譲渡し鉄道事業者ではなくなった。
路線バス事業のほか、貸切バス事業や旅行業なども行う。
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[編集] 歴史
- 1950年5月23日 加越能三国(加賀国・越中国・能登国)を結ぶ鉄道を作るという計画を遂行するために、富山地方鉄道(地鉄)の出資(後に北陸鉄道・富山県・石川県・金沢市も出資した)によって設立され、地鉄から加越線(石動駅~青島町駅(後の庄川町駅))と富山県西部のバス事業が譲渡された。
- 1959年4月1日 地鉄から高岡軌道線(地鉄高岡駅~米島口駅~新湊駅(現在の六渡寺駅))、伏木線(米島口駅~伏木港駅)が譲渡された。
- 1966年4月5日 富山新港の建設により地鉄射水線が分断される事になり、高岡側の越ノ潟駅~新湊駅が加越能鉄道に譲渡されて、新湊港線となった。分断された堀岡駅・越ノ潟駅間は富山県営渡船で連絡を取ったが、乗り換えの不便のため、新湊港線・地鉄射水線共に乗客が激減した。
- 1971年9月1日 伏木線を廃止
- 1972年9月15日 加越線を廃止
[編集] 鉄道事業(撤退)
[編集] 路線
[編集] 万葉線
高岡軌道線・新湊港線は「万葉線」という愛称で一体の路線として運行されていた。しかし、旅客数の伸び悩みなどにより、加越能鉄道は万葉線の廃止・バス代替の意向を示した。地域住民や自治体から反対運動が起き、2001年に高岡市・新湊市が中心となって第三セクター会社「万葉線株式会社」を設立して存続することとなった。2002年2月、加越能鉄道は万葉線株式会社に万葉線の事業譲渡を行った。
[編集] 加越能新線
本来の目的である加越能新線は、手始めとして乗客数の見込める電鉄富山駅~小杉町(現射水市)太閤山~地鉄高岡駅の路線から着手された。市街地を除く区間は用地買収がほぼ完了していたが、モータリゼーションなどの情勢の変化により、1970年に計画は中止された。加越能新線の用地跡は富山県に買い上げられ、サイクリングロードに転用されている。
[編集] バス事業
[編集] 路線バス
[編集] 高速バス
※余談ではあるが、同社は富山地方鉄道よりも先に3列シート車を導入した。
[編集] 外部リンク
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