抑圧された記憶
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抑圧された記憶(よくあつされたきおく、Repressed Memory)とは無意識下に封印された記憶のことを言う。回復した際の記憶のことを回復記憶(かいふくきおく、Recovered Memory)という。
このような記憶がある可能性は否定できないが、無理に思い出させようとしたフェミニストらにより「全く性的虐待を受けていない人」が「性的虐待を受けたと思い込む」事態となった。その意味でこの記憶はしばしば疑似科学とみなされている。
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[編集] 概説
オリジナルの「抑圧された記憶」の概念を提唱したのはジークムント・フロイト(1896)である。彼によるとこの記憶は性的虐待の記憶の耐えられない苦痛から発生し、その記憶は無意識の領域に封印され、それが意識に影響を与え続けるのだという。このためアメリカでは1980年代から1990年代にかけ回復記憶運動が起こったが、エリザベス・ロフタスらにより虚偽記憶が作り出される可能性が指摘された。このため、このような記憶が本当に実在するのか疑惑が上がった。
だが、実際に「抑圧された記憶」なるものはある可能性がある。実際に心因性の健忘は虚偽記憶と同様によく起こる事が分かっている。例えば、リンダ・マイヤ・ウイリアムズ(1994)の報告では健忘が起こるという事を確定的に示している。この調査では12歳未満で性的虐待を受け通報され救急病院で診察を受けた129人の女性を追跡調査したが、この女性たちの38%は「カルテにその事実が残っていたのに」17年後の調査時点で全く記憶がなかった。
だが、抑圧された記憶の考えはただ忘れるだけではなくそれを後に取り戻す事ができるというため、その意味で抑圧された記憶の概念と健忘の概念は異なる。ただ、健忘の考えにはそれを思い出せるという考えは含まれている。しかしそれでも「抑圧された記憶」の概念と「健忘」の概念はそれぞれ異なるといえる。また、通常の心理学用語でいう「抑圧」は記憶に重点を置かず衝動を考えているため、記憶が抑制されるという意味の「抑圧された記憶」の概念とは異なる。
また、「抑圧された記憶」は回復記憶療法で捏造された「虚偽記憶」の概念ともまた異なるため、それが偽りであっても「抑圧された記憶」が存在しないという事にはならない。また逆に、「抑圧された記憶」が存在するからといって「虚偽記憶」が存在しないわけでもない。
[編集] 支持的な論
支持的な論は主に神経生理学(脳科学)の分野に多い。ロフタスに反対する精神分析の流れを汲む還元主義者エリック・カンデルはCREB(=en:CREB)のブロックにより長期記憶の形成が妨げられる事実を発見し、記憶を忘れたり強化したりする事が人工的に可能であることを示した。そもそもロフタスが抑圧説の否定の根拠としたのはそういった神経メカニズムがないことであったのだが、彼の発見によりそれが否定された。1990年代末には、複数の研究でコルチゾールという物質がトラウマティック・ストレスにより発散され、これが記憶の抑圧に関与しているらしいことがわかった。この物質がストレスにより誘発された場合には長期記憶で貯えられる情報の検索を妨げることができる[1][2]。この物質は海馬を損傷させる作用があり、この物質が大量に分泌された場合、実際に記憶の検索が妨げられ「抑圧された記憶」のような現象は起こりうる可能性がある。
また、精神活動の即時的効果を示す事を示す事の出来る脳スキャンのような新たな技術は神経生理学の分野に大きな進歩をもたらした。それらの説は心的外傷による海馬や扁桃体の変化に着目する(van der Kolk等の研究者)。それによると海馬や扁桃体(大脳辺縁系)において統合されないまま脳内に散在している記憶が抑圧された記憶であるという。これは「潜在記憶」と「顕在記憶」に関係する話であり、これが正しければ潜在記憶を言語化させることには意味があるということになる。この記憶は危険な場面にあった際に次に同じような場面に遭遇した際に生命を守る可能性を少しでも高めるための学習であり、極限状態に応じて前頭前野が通常の判断をして行動に移すまでの長い時間を短縮するために、複雑な処理過程を極端に省いてしまうのだという [3]。また、普通の人はトラウマティックな記憶を普通に思い出せるのに、PTSD患者の場合想起がフラッシュバックになってしまうという事実もある[4]。
[編集] 反論
こういったものに関する批判には、回復記憶セラピーにより記憶が捏造された事を反証として述べる場合がある。実際に多くの捏造された記憶を植え込まれた人が出たのは事実であり、現在アメリカではこんな治療を行った場合免許証が取り消される可能性がある。また、この現象のためにこの記憶には虚偽記憶が含まれていると見なされており、司法の場ではこの記憶は信憑性がないとされている。例えばマイケル・ジャクソンに1987年から1999年まで性的虐待をされたことを「思い出した」男がいた[5]が、彼の民事訴訟は2006年4月18日に裁判官によって却下された。
なお、抑圧された記憶の正体に関してはこれ以外にも忘れようとしているだけであるとか、普通に想起しているだけであるとか、トラウマ記憶以外を忘れているのだとか様々な話がある。また、ロフタスのいうように自分自身のわずかな体験を文化的ナラティブに当てはめようとして起こる(つまり過激に誇張している)場合も実際にある。こういった曖昧さも批判の対象となる。
また、多くのトラウマ被害者はその記憶を抑圧せず、むしろ何をしても頭から離れないものだという事も反論となる。しかし、これに関しては性的虐待のトラウマの質が「秘密」に包まれたものであり全く違うという反論がある。しかし、それならばなぜ全ての性的虐待記憶が抑圧されないのかという反論がこれになされる。だが、そういった事例はあるという反論もこれにはある。だがさらに、これに事例のみならず確証がもてるような証拠を出せるかといえば、やはり存在しないのではないかとも言われる。これに関しては事実上堂々巡りである。
また、抑圧された記憶があったとしても、その形が不完全である可能性がある。実際PTSD症状が激しい場合記憶の詳細が乱れるケースが多いため、あったとしてもまともな記憶の形をとれない可能性もある。
[編集] フロイトとの関連
フロイトは1896年に『ヒステリーの病因について』を発表し、ヒステリー患者の女性は幼児期の性的虐待が心的外傷となり精神疾患を引き起こすとする「誘惑理論」を公表した。彼は女性12人、男性6人の患者を診察し、一人の例外もなく幼児期に性的虐待を受けていた事実を突き止めていた。ところが、この1年後前説が変わり、性的虐待の事実は無く幼児性欲による幻想であると唱えた。同時にそれらの記憶は心の真実として意味を持つとした。
この説の変換のために、性的虐待が認められ始めたとき性的虐待を受けた人間は、記憶が幻想であるとしたフロイトを非難し、一方で訴えられた方はフロイトは抑圧された性的虐待の記憶が神経症の原因になるというでたらめな心的外傷論を打ち立てたとしてフロイトを非難するという状況が1990年代初めに作り出された。この結果、フロイトは「記憶の幻想の主張」(主に被害者側)と「記憶の捏造の促進」(主に加害者側)の面で二重の非難を浴びる結果となり、フロイトの地位は一度かなり落ちてしまった。ただ、現在は神経学者らがフロイトの考えにフォローを入れたので少しは復活している。
なお、転換後のフロイト自身の説は前期と後期とで大きく違っている。前期においてはリビドーを一種の生命力と捉え、それを抑圧することが病理を引き起こすというものであった。この段階でフロイトは初めの「誘惑理論」の説を変化させ、「エディプス・コンプレックス」の概念を提唱した。だが、エレン・バスの『The Courege to Heal』(1988)もジュディス・ハーマンの『Trauma and Recovery』(1992)も実はフロイトは心的外傷論自体は全く放棄していない事に気づいていない。
フロイトは問題の説の転換のさらに後にその説を再び変化させ、内在化された社会的な禁令(タブー)に目を向けだす。1923年、フロイトは『自我とエス』を発表。深層心理の考えに基づいたそれまでの「意識」「前意識」「無意識」の局所論から変化し、自我の考えに基づいた新たなる「超自我」「自我」「エス」の局所論を唱える。それによると、社会的禁令が内面化されたものが「超自我」と呼ばれるものであり、人間が欲動に駆られた際に、それと反発する超自我との葛藤が起こり、これにより精神が不安定になるのだという。アンナ・フロイトはこのテキストを重視し、自我心理学を開き、自我を強くする事こそが病理を直す助けになると唱えた。
だが、一方で彼は「対象リビドー」(性欲動)と「自我リビドー」(自己保存欲動、自我欲動)の当初の二元論を変化させ、エロス(生の欲動)とタナトス(死の欲動)という概念も提唱した。1920年フロイトは『快感原則の彼岸』を発表し、この新たなる二元論を表明した。この概念は後にPTSDと呼ばれることになる外傷神経症の患者の悪夢の研究で考え出されたものであった。それによれば外傷性の悪夢にはタナトスの概念が働いていて、何度も何度も反復強迫的に悪夢を見続けることで統一性を破壊し永遠の休息を得ようとするのだという。エロスとタナトスの二元論に基づき、「必死に生きたい」と「死を追い求める」の混合した感情を外傷神経症患者が持っているとすると、その患者は客観的には「紆余曲折だらけ、狡猾で曲がりくねった性格、逆説的で奇矯な言動」に見えるかもしれない。だが、それこそが性的虐待サバイバーの毎日でもある。アンナ・フロイトのやり方は間違っていると述べ「フロイトに帰れ」と唱えたジャック・ラカンはこちらのテキストを重視した。
また、フロイト自身も子守女性レジから性的虐待を受けていたのではないかとも言われ、彼の話は彼自身患っていた神経症の症状を記述したものであるとも言われるので、その辺りも考慮する必要もある。果たして、性的虐待の記憶に関係した事象の歴史が彼の思考のように変遷するのかは分からない。だが、近年の脳科学研究は超自我が前頭葉の働きに依存し、さらに極限的判断が抑圧された記憶を作り出し、結果的にフラッシュバックを引き起こしているらしいことを示す。これが正しいのかは時がやがて教えてくれるだろう。
[編集] メディア作品
こういった話はよくメディア作品に使われるが、こういった論争を考えずに(知らずに)多くは用いている模様である。
- 『D.C. ~ダ・カーポ~』の朝倉音夢(アダルトゲーム・アニメ・漫画・小説・官能小説)
- 『コ・コ・ロ・・・』の久遠寺宗治(アダルトゲーム・官能小説・OVA)
- 『腐り姫~euthanasia~』の簸川五樹(アダルトゲーム)
- 『エルフェンリート』のコウタ(漫画・アニメ)
[編集] 出典
- ↑ http://www.cnn.com/HEALTH/9808/19/stress.memory/
- ↑ http://medschool.wustl.edu/~wumpa/news/newcomer.html
- ↑ http://yukitachi.cool.ne.jp/psystory/psect12.html
- ↑ http://www.psych.org/news_room/press_releases/ptsd11404.pdf
- ↑ http://www.tmz.com/2006/01/12/new-molestation-suit/
[編集] 参考文献
- 『Opening Skinner's Box: Great Psychological Experiments of the Twentieth Century』(Lauren Slater,2004)ISBN 0393326551
- 『心は実験できるか20世紀心理学実験物語』(ローレン・スレイター、訳2005)ISBN 4-314-00989-6
- 『家族の闇をさぐる現代の親子関係』(斉藤学、2001)ISBN 4-09-387247-3