手
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手(て)
- 腕の末端にある器官。
- 術、手段、方法の事。幅広い用法がある。
- 囲碁、将棋などで一回の動作の単位。
- 邦楽において、パート、器楽部分、楽器の旋律、旋律型及び技法等を指す。
- 手 (沖縄武術)。
- 相撲や各種武術の技の種類を数える時の単位。
- 空間内の位置関係を表わす。螺旋の向き、「右手の法則」等。
手は脊椎動物の前肢末端部にある器官である。主に、人間の腕の末端にある器官をさすことが多い。生物的には前足にあたる。カニやサソリなど、節足動物でも前足に特徴のある場合はそれを手ということもある。5本の指、平、甲からなる。人間の手は他の動物のものと比べると器用で、様々な道具を使うことが出来る。 日本語で手といった場合は腕を含めることがある。
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[編集] 生物学的な「手」
脊椎動物の前肢末端部、すなわち「手」は、手頸(wrist)、掌(palm)、指からなる。 特に哺乳類ではその機能によって形状が特化している。木に登るサルなどの生物は指が長く、指の末端を保護する爪が見られる。クジラ、カイギュウ、トドなどの手は、構造は陸上哺乳動物と同じだが、退化して魚類の鰭のようになっている。コウモリでは人間の親指に当たる指に鉤爪があり、ほかの四本の指は翼を支える役割を果たしている。四本足の哺乳類では指が発達しておらず、馬などの爪は土をけるための蹄に、猫などの皮膚は衝撃を吸収するための肉球に特化しているが、前肢と下肢に著しい差は見られない。このように、足とほぼ同じような構造のものもある。 また、両生類と爬虫類においては、カメやヘビなどを除いて種によって著しい形態の差は見られない。
[編集] 解剖学的な「手」
[編集] 手の骨
手の骨は手根骨(手首に近い母指側から小指側へ舟状骨、月状骨、三角骨、豆状骨の4つと舟状骨の上部から同じく小指側へ向かって大菱形骨、小菱形骨、有頭骨、有鈎骨の4つ)と中手骨と基節骨、中節骨、末節骨が示指(人差し指)から小指に3本ずつ存在している。母指においては中節骨は無く基節骨と末節骨で構成されている。これら27本の骨を合わせて手を構成している。
[編集] 手の皮膚
それぞれの指にの先端には爪があり、それを取り巻く部分の皮膚(触球)は感覚が鋭敏であり細かい作業などがこなせる。爪に続く手の甲(手背)側の皮膚は、掌側と異なりゆとりがあり、つまむことができる。これは屈曲の目的を果たすために必要なことである。
掌、および掌側の指はの皮膚は身体の他の部位と異なり、皮脂腺がなく指紋・掌紋がありる。また、メラニン色素が少ないため、人種を問わず他の部位より白く見えることになる。指の節や、掌には深浅さまざまな溝(運動ひだ)が走っている。指紋・掌紋はヒトに特有のものではなく、霊長類に見られるものである。
[編集] 文化的な「手」
漢字の「手」は五本指の手の様子を表している。和語における「て」は古くから広い意味範囲を持って使われてきており、広辞苑では30を越える意味を示しているほどである。古く万葉集では“価”の字をテと読む例があり、経済(その原初的形態としての交換行為)とのつながりが考えられる。また現代においても上手(かみて)・下手(しもて)といったように方角・方向を意味する用法もある。なお上手(じょうず)・下手(へた)と読んだ場合にはある行為行動に対する習熟の意となるように、手に依る動作が、ついで援用して手に依らずともあらゆる動作・手段・方法、およびその行動の主体が広く「手」と呼ばれたのである。
[編集] 人を象徴する手
「動作の主体」まで「手」で代表されるのということの一例は、手は「仕事」(職業、生業)を象徴し、それはその人自身をも指し示すということである。「仕事」に「手」を付けることで職業名・役職名となることは、手がいかに人を代表しているかを示すものと言えよう。例を挙げるならば野球における野手・投手・捕手など、あるいは競馬の騎手などがそれであり、また様々な分野において「○○の担い手」といった表現も用いられる。「受け手」「聴き手」といった使い方もお馴染みのものであろう。それらは「○○をする人」と同義であり、それは手による動作と直接の関係が無くとも用いられる。
文化の中で手が重視されることは、いわゆる前近代的な呪術的価値観との関係は切り離せないが、単にそれのみで説明しうるものではない。現代の脳医学においても、鋭敏な感覚器であり、人間が外界を操作するための最大の手段である「手」は、脳の中では実際のサイズ以上に大きなものとして認識されていることが明らかにされている。
人が外界を認識する手段である五感のうち、最大のものは視覚であり、それゆえ目にまつわる文化的な表象は非常に多いが、ものの質感や温度などは触覚によってのみ捉えられる。写真や映画などの映像表現において「質感が表現できている」「温度を感じる」と評されるのは、視覚を通して受け手の経験の中から触覚の体験を引き出すことに成功している、ということだと言えよう。まして、目は(現在科学的に認められている範囲では)外界に対して物理的に物事を成すことができないのに対し、手は人間が生存し社会の中で役割を果たしていくための大きな武器である。すなわち手とは脳が外界と関わるための、入出力を兼ねた重要なインターフェイスであるという考え方もできよう。
手はまた、人間の自由と同列にも見做され得る。その一つの表象が手錠である。
[編集] 手と犯罪
手錠が使用されるのは、なんらかの犯罪をおかした者に対してであり、多くの犯罪には手が必須である。とくに盗みと手の関係は深く、「手癖が悪い」「手が長い」などと表現することがある。文化によっては(たとえばイスラム法で)他者の財物を盗んだ者に対して、手の切断などの刑を課している。(もっとも、そういった文化で必ずその刑が執行されていたわけではなく、様々な条件をつけてかなり融通を利かせていたことが多かった)また、古い言葉では捕縛することを手当てと言い、手当者という言葉が重罪の囚人のことを意味した。
[編集] 運命・呪術・信仰
日本に限らず、手は人間の行為行動と結びつけられてきた。掌に走る溝(運動ひだ)の状態と、その手の持ち主の性向および今後の運勢を結びつけるものとしては手相学があるが、これは科学的に合理的な説明があるわけではない。 呪術的な手の用法としては、印を挙げないわけにはいかない。我々が目にするものとしては仏像などがおこなっている、手および指を特定の配置にするおこないは、それによって精神の集中や超常の力を得ることができるとされ、修験道でもお馴染みの光景である。手で結んだ印が力を持つという前提は、呪文同様に説明の必要すらないものとして広く小説や漫画などのフィクションの中で用いられている。
また、超常的なことを起こすだけでなく、手を合わせる(合掌)、指を組み合わせるなどの行為は信仰の局面でも多々見られる。合掌は神前仏前のみでなく、日本ではたとえば食事の前後などに行われているほか、書簡などの末尾に記す人もいる。
[編集] コミュニケーション
また、手は手話や握手など、コミュニケーションの点でも重要である。手は、指を有し把持機能を持つ特徴から、「手を組む」「手を切る」などの慣用句に見られるように、人と人とのつながりの象徴ともなる。そしてそうした関係構築に際して、身体の中で「手」は非常に良く動く部位であるため、音声言語によらず感情や意志の伝達をおこなう手段として選ばれやすい。「目は口ほどに物を言う」という諺があるが、手ほど多彩な動きで、かつ誤解のないコミュニケーションをおこなうのは難しいと言える。
握手は互いに利き手を相手に預け、互いに握ることで、武器を持っていないことを示す儀礼に発するともされるが、そういった即物的な意味だけではなく、抱擁のように身体的接触による相互間の緊張緩和こそが目的という指摘もできる。武器を使用しない類人猿においても、緊張緩和の方法として抱擁が用いられるように。
また、臭いによって敵・味方を区別する習慣を持つ文化に「握手」の習慣が入ってきたとき、彼らはそれをうまく自文化にとりいれた例が報告されている。すなわち、握手したあとに自分の掌を素早く鼻に近づけ、相手の臭いを嗅ぐことである。体臭は食生活などによって変化するため、同種の体臭=同種の食文化=味方およびそれに類する者ということであり、握手が入ってくるまでは直接鼻を近づけていたという。
[編集] 手当て
広義のコミュニケーションであり呪術でもあるものとして、「手当て」がある。純粋に治療を意味する語として捉える限りそのような意味合いは感じないが、強い霊力・霊性を持つ人物あるいは子供などの無垢なる者が病人に手で触れることで、疾病が快癒するという伝承は世界各地にある。原初的形態としては、傷口や疾病の部位を本能的に手で押さえることに発する原初的な医療の形態であろうが、イエス・キリストの奇跡にもそのようなものは含まれるし、それは単に絵空事ではなく、手で触れられていることによる安心感(一般に「ふれあい」と呼ばれるコミュニケーションである)が良い心理的効果を持ち、病状を快方に向かわせることが広く知られている。これは中世ヨーロッパにおいても、王が患部に触れることで病気を治癒するという「ロイヤル・タッチ」として知られるものと同列であり、トールキンは『指輪物語』の第3部『王の帰還』において、これらを踏まえて「王の手」を描いている。
- ロイヤル・タッチは結核の一種に対して有効な治療とされ、時代が下って17~18世紀ごろにも儀礼化してさかんに行われ、ルイ15世は戴冠式で2000人に触れたという。この治療対象は瘰癧(るいれき=頸部リンパ節結核)で、日本などでは珍しかったと思われるが、近世までのヨーロッパでは生活環境の違いなどから、ずっと多かった模様である。
[編集] 手と経済
[編集] 手当
上述の「手当て」と同じ漢字で、振り仮名を使わず「手当」とした場合、日本語においては通常指すものが異なり、「労働などに対して報酬として与える金銭」あるいは「基本給のほかに支給する金銭」の意となる。また、古い文章などでは、心付けの意でも用いている。
- 実際には治療の「てあて」を「手当」とする場合や、その逆も多く、日本語本来の区別ではなく近代以降便宜的にそのようになされたのみであろう。また、「前もっておこなう準備」も手当てという。「人員の手当てをする」などと用い、これは手が手段・方法・対処などを意味する例と言えよう。
[編集] 手形
現代、身元確認の一手段として指紋押捺がある。これは指紋が個々人により異なることを利用した認証方法であるが、仔細に検討するための知識や、そもそも拡大鏡などの道具がなかったころには利用することができないものであった。しかし大まかな指紋と指の節の幅・長さ、そして掌の形状および掌紋などの関係性から、「手形」は唯一性を持つもの経験的に知られており(また呪術的な側面もあり?)、個人認証の手段であった。
そのため(識字率の問題も関係しているかもしれないが)、証書類に署名の代替として用いられることが多く、ここから証書を「手形」と呼ぶようになったとされる。通行手形などもこれに含まれるが、現代は手形と言うと、一定金額の支払いを委託もしくは約束した有価証券を指す。
[編集] 手工業
産業革命以降、機械による工業製品の大量生産が登場すると、当初はコストの高い手仕事は駆逐されていった。だがそれが一般化すると、今度は機械ではできない高精度や職人のぬくもり、あるいは手仕事の味などを求めて、「手作り」への需要が登場することとなった。
「手作り」が一種のブランド的なものとなると、その内実が粗製濫造であっても商品価値を高めることとなり、それを利用したマーケティングも発達した。
[編集] ワザとしての手
手によってなされることが「手」と表現されることは既に述べたが、日本伝統の技芸などでは、特定の技法やそれによって構成されるものを指したりする。「本手」とは伝統音楽において本格的な手(曲)・本来の手(曲)、あるいは元々の旋律を指し、「派手」は前者の、「替手」は後者の対義である。また、歌・唄に対して「手」と呼ぶ時は、声楽に対する器楽、あるいは楽器が奏する旋律、旋律型、技法を指す(旋律型としての「楽の手」、技法としての和琴(わごん)の「折る手」や箏の「押し手」、三味線の「摺り手」など)。
なお「手事」は、地唄など三曲の音楽において、唄と唄との間に置かれた長大な器楽部分であり、まさに手によってなされる事の意である。また「合いの手」は唄と唄の間をつなぐ、手事よりも短い旋律であり、これも同様の意味から来ており、本来手拍子とは関係ないとされる。また、従来の曲に新しいパートを付ける(編曲、アレンジする)ことを「手付け」と呼ぶ。これに対し唄を付けるのが「節付け」である。
相撲などで言う「決まり手」も決まり技という意味で使われる。
琉球の挌闘術である手は、挌闘技法のことであり、これは英語において Arm(腕)が武装・軍備を指すこととも通じる。空手はかつて唐手と書いてトウテイ(トウティ)と読み、中国から伝わった挌闘技法(をベースにしている)を意味した。
[編集] 空間内の方向・位置関係を表わす「手」
右手(みぎて)、左手(ひだりて)と言えば、日常的には右側、左側の意味になる。これとは別に、手の指の位置等を使い、電流と磁場の関係や、螺旋の巻き付く方向等、空間内での位置関係を表わす名称や記憶法として、右手、左手の語が使われる。
[編集] 直進と回転の関係
親指を開いたまま、残りの4本の指を軽く握る。 親指の付け根から先に向かう方角が直進運動、直線等を表わし、4本の指の付け根から先に向かう方角が、回転運動、巻き等の方角を表わす(図-2)。 両者の関係が人体の右手と一致する時右手、左手と一致する時左手と言う。
- 電流の作る磁場の方向。直線の電流に対し、磁場は電流を中心とした同心円を成す。磁場の方向は右手である。詳しくは、「ビオ・サバールの法則」、「アンペールの法則」のページを見よ。
- 螺旋の向き一般を表わす。詳しくは、「右巻き、左巻き」のページを見よ。
[編集] 三本の直線の関係
- フレミングの右手の法則、左手の法則
- 座標系の取り方。右手系、左手系。