愛甲猛
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愛甲 猛(あいこう たけし、1962年8月15日 - )は、神奈川県逗子市出身の元プロ野球選手(一塁手・外野手)。左投げ左打ち。身長・体重は181cm、87kg。現役時代はロッテで勝負強い打撃を売りに活躍し、中日では代打の切り札として活躍した。
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[編集] 来歴・人物
横浜高では左腕エースで4番打者を務め、3年次の1980年に夏の甲子園で優勝。しかし一方では悪童としても鳴らしたといい、高校卒業間際に暴行事件が発覚し部員に土下座するという一幕もあった(後輩達は、この一件が原因で対外試合禁止処分を受けている)。同年ドラフト1位でロッテに入団した。
プロでは投手としてスタートするが1勝も上げることができず伸び悩む。3年目の1983年限りで投手としての活動を打ち切り、翌1984年からは野手に転向した。徐々に試合出場回数を重ね、1988年からはレギュラーとして定着し、勝負強い打撃を見せた。同年6月25日から1992年7月11日にかけて記録した535試合連続フルイニング出場は、パ・リーグ記録となっている。
1995年、大スランプに陥りチーム構想を外れ、シーズンオフに中日へ無償トレード。1999年リーグ優勝時には代打の切り札として存在感を示した。
2000年シーズンを最後に現役引退し、タレントに転身。同年の東海豪雨の際、洪水で愛車を流された。2002年失踪騒動が起こるも無事発見され、事なきを得た。その後美容関係の会社に勤務したらしい。2006年現在は独立して錦糸町で化粧品・サプリメントの企画会社をやっているようである。
フラップ(耳当て)が無いヘルメットを被り打席に立った最後の選手である。また最近、週刊誌で自らの薬物使用を告白した。
アーチェリーの第一人者で日体大助教授の山本博は高校の同窓である。
[編集] タイトル・表彰
- ゴールデングラブ賞(1989年)