広島藩
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広島藩(ひろしまはん)は安芸国一国と備後国の半分を領有した藩で、現在の広島県の大部分にあたる。藩庁は広島城(広島市)に置かれた。芸州藩(または安芸藩)と呼ばれることも多い。
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[編集] 藩史
安土桃山時代は毛利氏が中国地方の大半を治め、広島はその政治経済の中心地となっていた。
しかし、慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いで西軍の総大将として参戦し敗戦した毛利氏は防長二国(現在の山口県)に押し込められた。
代わって、安芸・備後二国49万8千石の太守として尾張国清洲より福島正則が入封した。正則は大坂の陣が終わった後の、元和5年(1619年)広島城を無断改修した罪により改易を受けた。実際は豊臣氏恩顧の有力大名であり、大坂の陣によって徳川幕府が豊臣氏を滅亡させたことに異を唱えた事によるものであったと思われる。
同年、代わって紀伊国紀州藩より浅野長晟が42万6千石で入封し、正式にはここに広島藩が成立する。
広島は大坂との瀬戸内海航路の海運に恵まれ藩成立の早期より木材・鉄・紙などの専売を敷いた。また、米相場を巧みに利用し、自藩の米のみならず他藩の米を安く仕入れ相場を見極めて売りさばき巨利を得て、「芸侯の商売上手」と江戸時代中期の学者・海保青陵(儒学・経済学)より評された。
元禄14年(1701年)分家である赤穂藩主・浅野長矩が刃傷事件を起こすに至ったが、当藩はこの事件への関与を極力避け累が及ばないようにした。しかし、数年の後、大石内蔵助の三男・大三郎など赤穂藩の旧臣を召し抱え救済措置を講じている。
江戸時代後期になると財政は悪化に転じた。5代・吉長は藩政改革を試みたが大規模な一揆にあい失敗に終わった。9代・斉粛と11代将軍・徳川家斉の娘・末姫との婚儀、神社の造営、幕府の手伝い普請、凶作が相次ぎ、幕末になると藩財政は窮乏の一途を辿った。
11代・長訓は先代からの藩政改革を受け継ぎ、文久2年(1862年)辻将曹を家老に抜擢し文久の改革を行った。藩政機構・支配体系の中央集権化を図り、財政を強化し軍備を近代化し、成功をみた。長州征伐で広島は最前線基地となり戦争景気となった。その後、広島藩は明治政府軍に加わり戊辰戦争を戦った。
明治17年(1884年)藩主・浅野家は侯爵となり華族に列した。
なお、支藩として三次藩、広島新田藩があった。また浅野家の分家で「忠臣蔵」で著名な赤穂藩(元の常陸真壁藩、同笠間藩)も支藩とみなす説もある。
[編集] 歴代藩主
[編集] 福島(ふくしま)家
外様 49万8千石 (1600年~1619年)
- 正則(まさのり)〔従三位・左衛門大夫、右少将、侍従、参議〕
[編集] 浅野(あさの)家
外様 42万6千石 (1619年~1871年)
- 長晟(ながあきら)〔従四位下・但馬守、侍従〕
- 光晟(みつあきら)〔従四位下・安芸守、左少将〕
- 綱晟(つなあきら)〔従四位下・弾正大弼、侍従〕
- 綱長(つななが)〔従四位下・安芸守、侍従〕
- 吉長(よしなが)〔従四位下・安芸守、左少将〕
- 宗恒(むねつね)〔従四位下・安芸守、左少将〕
- 重晟(しげあきら)〔従四位下・安芸守、左少将〕
- 斉賢(なりかた)〔従四位下・安芸守、侍従〕
- 斉粛(なりたか)〔従四位下・安芸守、少将〕
- 慶熾(よしてる)〔従四位下・安芸守、侍従〕
- 長訓(ながみち)〔従四位下・安芸守、侍従〕
- 長勲(ながこと)〔従四位下・安芸守、左近衛少将〕
[編集] 支藩
[編集] 三次藩
三次藩(みよしはん)は江戸時代中期まで備後北部を領有した藩。藩庁として三次に陣屋が置かれた。知行高は5万石。
寛永9年(1632年)初代広島藩主・浅野長晟の庶子で長男の長治が三次郡・恵蘇郡を与えられ立藩した。享保4年(1719年)4月、4代・長経は13歳で没し一旦は広島藩領となったが、同年11月、長経の弟・長寔に相続が認められた。しかし、長寔も翌、享保5年(1720年)10歳で没したため廃藩となった。
- 歴代藩主
- 浅野(あさの)家
5万石 (1632年~1720年)
- 長治(ながはる)〔従五位下・因幡守〕
- 長照(ながてる)〔従五位下・式部少輔〕
- 長澄(ながずみ)〔従五位下・土佐守〕
- 長経(ながつね)〔官位官職なし(夭折のため)〕
- 長寔(ながざね)〔官位官職なし(夭折のため)〕
[編集] 広島新田藩
広島新田藩(ひろしましんでんはん)は享保15年(1730年)より広島藩の蔵米3万石を与えられ、広島藩4代・綱長の三男・長賢により立藩した。藩主は参勤交代を行わず江戸定府の大名であった。元治元年(1864年)には吉田(現在の安芸高田市)に陣屋を構えた。明治2年(1869年)広島藩に併合され廃藩となった。
- 歴代藩主
- 浅野(あさの)家
3万石 (1730年~1869年)
- 長賢(ながかた)〔従五位下・兵部少輔〕
- 長喬(ながたか)〔従五位下・兵部少輔〕
- 長員(ながかず)〔従五位下・近江守〕以後、官位官職は同職
- 長容(ながかね)
- 長訓(ながみち)→広島藩を相続(11代藩主となる)
- 長興(ながおき)→広島藩を相続(12代藩主・長勲となる)
- 長厚(ながあつ)